【解説】 ウクライナは今も果敢、敗北が近いとは思えない……BBC国際編集長

ジェレミー・ボウエンBBC国際編集長(キーウ)
ウクライナ東部ドネツクの暗くて寒い夜、私たちは東部ウクライナで最も激しい戦闘地域を出入りしようと、装甲付トヨタ・ランドクルーザーで移動していた。車のヘッドライトの中、爆発性ドローンによる攻撃から道路を守るための網がきらめき、波打っていた。実に奇妙で、現実離れしたトンネルを作る網は、道路の両脇に並ぶ高さ約6メートルの木柱を支えにつるされ、道路の上部を覆いながら、何キロにもわたって続く。映画「マッド・マックス」シリーズからそのまま出てきたかのような、ディストピア的軍用車両が、それぞれに鉄とケージと網に覆われた状態で、轟音(ごうおん)を響かせながら、通り過ぎる。
道路を覆う網は、攻撃ドローンのプロペラを絡め取る。安価で驚くほど効果的な物理的障壁だ。たとえロシア側の操縦者がドローンに搭載した爆薬を起爆させても、道路を行きかう人たちの近くでは爆発しないかもしれない。つまり、軍用車両だけでなく、民間のバスや自動車で移動する人々は、殺されないかもしれないのだ。
網の大部分を寄付したのは、ヨーロッパの漁師たちだ。スコットランド自治政府はつい最近、リサイクルされる予定だったサケ用の網280トンを追加で送ると発表した。ウクライナで実際に使われる前に、ウクライナ軍は網の強度を試すため、ドローンを衝突させてテストする。

戦場で最も恐れられている3文字はFPV、「First-Person View(一人称視点)」の頭文字だ。FPVドローンはウクライナとロシアの双方が使用する。殺傷力は大きい。カメラが搭載されており、指揮拠点にいる操縦者に情報を送り返す。指揮拠点は現場から30~40キロ離れていることもある。破壊された建物や、何の変哲もない村の家の、その地下に隠されていることがあり、私たちはそういう指揮拠点を何カ所か訪れた。
入ってみると、中には多数のスクリーンが並び、ドローンから送られてくる映像とデータが映し出されていた。ドローンのデータを、ウクライナ軍の最先端ソフトウェアが解析している。カメラは廃墟の中を移動する兵士の小さな姿を拡大し、操縦者は無線やコールサインやヘッドセットを通じて、地上の兵に指示を出す。ドローンがロシア兵を確認した建物に兵士たちが入り、相手を殺害した後に出てくる様子を、私たちは見ることができた。
初期のドローンは無線信号で制御されていたが、ウクライナもロシアも電子戦に長けており、無線を妨害する方法をすぐに見つけた。現在、ドローンは主に光ファイバーケーブルで制御されている。そのケーブルは実に細く、長さ25キロのデータ・映像用ケーブルを巻いた筒が、大きさは漂白剤の大瓶ほどのドローンに仕込まれたケースに収まる。

かつてのウクライナ東部は、第1次世界大戦の西部戦線を思わせる場所だった。塹壕(ざんごう)や、砲撃・狙撃に備えて補強された陣地が点在していたからだ。ロシアによる本格侵攻が4年前に始まった後も、しばらくは20世紀の戦場のようだと思える場所だった。それが今では、ドローンが戦争の戦い方を一変させた。世界中の軍隊がその変化を注視し、戦い方について自分たちの考え方を修正せざるを得なくなっている。
かつてウクライナとロシアの間にあった狭い最前線は、今では両軍の最前線から双方に幅20キロほど続く地帯へと広がっている。ここを両軍とも、「キル・ゾーン」と呼ぶ。補給や負傷者対応のための後方拠点は、以前は比較的安全だった。それが今ではそこも、旧来の前線と同じくらい危険な場所と化している。
上空は監視ドローンで飽和状態となるため、移動は極めて危険だ。FPVドローンが標的へ向かって急降下し、時には開けた場所で兵士を追跡する映像、あるいは建物内部にさえ突入して部屋や扉をすり抜けながら標的を探す恐ろしい映像が、ソーシャルメディアにはあふれている。こうした動画は往々にして、間もなく殺される男の恐怖の表情で終わることが多い。
火砲や戦車も、今なお強力な武器だ。しかし、コストが1000ドルほどのドローンも、熟練操縦者の手にかかれば、3000万ドル相当の戦車を破壊できてしまう。最近の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、昨年エストニアで行われた北大西洋条約機構(NATO)の演習にウクライナからドローン操縦者が招かれた時、彼らはわずか数人でNATO側に大混乱をもたらしたのだという。NATOは大幅な遅れを取り戻さなくてはならない。4年間の戦争の結果、世界で最も熟練したドローン戦の実戦経験者は、今やウクライナとロシアの兵士たちなのだ。そのことは、今の戦争の大きな影響の一つだ。
ドローン戦で優位に立つため、両国は常に技術革新を続けている。世界一の富豪イーロン・マスク氏が所有するスターリンクのシステムを、どちらも戦場での通信やナビゲーションに使用している。マスク氏が最近、ウクライナ国内で活動するロシア登録端末を遮断すると同意したため、ロシアは打撃を受けた。ポーランドの資金で運用されるスターリンクを使うウクライナが最近、ウクライナ南部の領土を奪還できた、その大きな理由がこれだと言われている。
とは言え、私が訪れたウクライナのドローン部隊はどれも、ロシアがすぐに代替策を見つけるはずだという意見だった。ウクライナ側は、「ルビコン」と「審判の日」と呼ばれるロシアの精鋭ドローン部隊の技術を、高く評価していた。
上級将校の一人は、4年前の本格侵攻開始直後にロシア軍が犯した軍事的失策を、西側は忘れる必要があると話した。さらに、毎月数千人単位で殺されていく前線のロシア兵と、ロシア政府が戦争遂行の核心を担う存在だと重視する精鋭ドローン部隊は、区別する必要があると。ロシア軍は、精鋭ドローン部隊を非常に「大切にしている」のだと、このウクライナ将校は話した。

私の最近のウクライナ訪問では、ドローンの脅威に用心し、ドネツクに入る前に天気予報を注意深く確認した。晴天の日には移動を延期し、再び雪が降るのを待った。ドローンは悪天候に弱いからだ。
網と雪を多少なりとも頼りにしながら、私たちはスロヴィヤンスクの町へ向かった。過去4年間に破壊された、数々の建物の廃墟を前を通り過ぎながら進んだ。
スロヴィヤンスクでは、いくつかのカフェや店が営業中で、町としてかろうじて機能している。だが、多くの住民がすでに安全な場所へ移っている。残った住人も、ロシアのFPVドローンを恐れているため、氷と雪に覆われた道を急いで歩き、用事を急いで済ませて、家に生きて帰ろうとする。町の中心部にも、網が設置されつつある。

スロヴィヤンスクは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が停戦条件として要求する中でも、特に重要な要素だ。プーチン氏の要求に、妥協の余地はない。
ウクライナが今なお保持するドネツクの20%と、ロシア軍が奪取できていない南部ザポリッジャとヘルソンの両州を、それぞれロシアに割譲せよ――というのが、プーチン氏がウクライナに突きつけている要求の重要部分だ。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領によると、アメリカは夏までに停戦を実現しようと、この条件を受け入れるよう彼に圧力をかけているのだという。
アメリカのドナルド・トランプ大統領は、ゼレンスキー氏に選挙実施を求めている。プーチン氏に対しては、同じ要求はしていない。トランプ氏は、戦争を終わらせたのは自分だと宣言したがっている様子だ。たとえ停戦が維持されなくても、彼は停戦を自分の手柄だとして、今秋の中間選挙を戦う材料にするだろう。さらにトランプ氏は、対ロ制裁が解除されるまでは行えない、ロシアとの巨大なビジネス取引も視野に入れている。
アメリカは、停戦合意の実現に期限を設けようとしてきた。アメリカは最近では、トランプ氏が中間選挙に集中できるよう、夏までに停戦合意に応じる必要があるとゼレンスキー氏に伝えた。
アメリカはウクライナを、あるいはロシアをも、自分たちの意向に従わせられずにいる。これは、アメリカの影響力に限界があることを示している。ロシアの全面侵攻開始から4年がたつが、真の停戦が近いと示す証拠は見当たらない。
ドネツクでの危険
ウクライナの首都キーウで週末に、ゼレンスキー大統領に会った。彼はその時、ロシアに奪われていない土地を自分が諦めるなど、絶対にあり得ないと私に言った。そこに住む人たちを自分は絶対に見捨てないし、仮にそのような誘惑にかられたとしても、決してうまくいかないと。なぜなら、彼の見立てでは2年以内にロシア軍は再編され、装備を一新し、再び攻撃するようプーチン氏に命じられるはずだからだと。
私たちがスロヴィヤンスクで最初に訪ねたのは、オレフ・トカチェンコ氏だった。がっしりした体格の中年の聖職者で、見事な救援組織を築き上げている。彼ほど危険な地域に入り続ける人は、軍人以外ではきわめて少ない。自分のベーカリーで週に1万7000個のパンを焼き、周辺の村に届けている。
配達を済ませた後は、前線近くの生活に耐えられなくなった住民を連れて戻ることが多い。トカチェンコ氏のベーカリーは、スロヴィヤンスクの外れの工業地帯にある。雪に覆われ、いてついた廃墟の中にあって、秩序とぬくもりを提供するオアシスだ。
彼の地元は現在占領下にある。国連の世界食糧計画が、スロヴィヤンスクでのベーカリー再建を支援した。トカチェンコ氏は、ドローン戦が激化したため、ドネツクの危険がここ数カ月で何倍にも増したと話した。
「状況は激変した。今では、とても危険な場所と、比較的危険な場所しかない。ドネツク州に安全な場所は、もうどこにもない」

私は、停戦のためドネツクを犠牲にせよというロシアとアメリカの圧力に、ゼレンスキー氏は屈するべきか尋ねた。スロヴィヤンスクで会った全員に、同じ質問をしている。返ってきた答えも同じだった。
「プーチンはこれ以上、何が欲しいんだ? ここは私のドネツク州だ。私はここで生まれた。子どもたちもここで生まれた。私はここで家族を作った。それをすべて捨てろというのか? 何のために?」
ロシアに属さない領土を、プーチンが奪い、それを持ち続けるなど、許されてはならない――。トカチェンコ氏はこう言った。
「この世界が基盤としてきた価値観を、1人の人間の気まぐれで破壊している。悪党は罰を免れるだけでなく、報われさえするだって? 申し訳ないが、これほどの悪党が、世界にほかに何人いる?」

画像提供, AFP via Getty Images
喫茶店では、オレクシー・ユコフ氏に会った。彼は「アドヴィス・プラツダルム」という組織を運営し、戦死者の遺体を収容し、埋葬前に身元を確認して家族に確実な情報を届けている。ロシア兵とウクライナ兵を区別しないが、だからといってドネツクでロシアの支配を受け入れるわけではない。トカチェンコ氏と同じように、プーチン氏の約束を信じていない。
「もし狂人があなたの家にやって来て、『娘をよこせ、そうすれば二度と来ない』と言ったとする。そんな男が、略奪と暴行をするような人間が、本当にやめると思うか?」
「狂人は誰のことか、全員分かっているはずだ。恐ろしい話だ。自分の一部を、あるいは自分の子どもを、差し出して、引き裂かれるなんて……なぜウクライナの人間にこんな質問をするのか、そのこと自体が私には理解できない」
ユコフ氏はまた、第2次世界大戦でドンバスで死亡した兵士の遺骨も回収してきた。ドンバスとは、ドネツク州とその隣のルハンスク州を合わせて呼ぶ名前だ。ルハンスク州は今や、完全にロシアに占領されている。
ユコフ氏はプーチン氏の約束を、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーが1938年のミュンヘン会議でした約束になぞらえる。ヒトラーは、ヨーロッパで領土を要求するのはチェコスロヴァキアのズデーテン地方が最後だと主張し、イギリスとフランスは世界大戦を避けようと、その言葉を受け入れた。第2次世界大戦が始まったのは、その翌年のことだ。
現在は過去と似ているとユコフ氏は考える。ヨーロッパのこの地域では多くの人が、同じように考えている。
「ロシアの約束など、何の価値もない。ヒトラーがズデーテンを取ればそれで終わりだと言った時の、あの約束と同じだ。その結果がどうなったかは、誰もが知っている。第2次世界大戦だ。私たちがいま踏みとどまって、ここには自分の国に、自分の土地に暮らしたい人たちが生きているのだと、プーチンに伝えなければ、第3次世界大戦につながりかねない。ここにいる全員に、ここで生きる権利がある。何かを明け渡せる権利があるなどと、そんなことを言える権利は、どのウクライナ人にもない」
ウクライナに戦わずしてドネツクを明け渡させようとするのは、ミュンヘンでチェコスロヴァキアが受けた裏切りと同じだ。それがユコフ氏の意見だ。
隣接する激戦地クラマトルスクと同様、スロヴィヤンスクは「要塞都市」に指定されている。両都市は、鉄条網で埋め尽くされた深い対戦車壕や「竜の歯」と呼ばれるコンクリート製の対戦車障害物に守られている。どちらの街も丘陵地帯に位置し、そこを越えると距離にして約240キロほどの平地が広がる。平地は、ウクライナを北から南へ縦断する自然の障壁、勇壮なドニプロ川へと至る。
この平地にロシア軍が達すれば、防衛はずっと難しくなるとウクライナの人たちは言う。
はじまり
4年前のほぼ同じ時期、私はキーウ中央駅にいた。ウクライナの草原から吹きつける荒風の中、まるでヨーロッパの暗い過去からそのまま出てきたかのような光景が、目の前で繰り広げられていた。
キーウは厳しい冬の真っ最中だった。プラットフォームの光景はあまりに白と黒のモノトーンで、まるで古いニュース映像さながらだったが、それでもそれは、2022年の、「総天然色」の、デジタル時代の出来事だった。
世界は変わってしまったのだと、これほどの大音量で知らせる警鐘は、この時点ではかつてなかった。ヨーロッパの安全保障と未来の安心について、もはや古い思い込みを捨てなくてはならないと、世界はそう告げられていたのだ。
それ以来、中東、スーダン、台湾などでも警告音が鳴っている。ウクライナでの戦争は、NATOに、1949年の設立以来最大の危機をもたらしている。トランプ氏のプーチン氏に対する姿勢は柔軟で、NATOに加盟する欧州諸国の大多数がロシア政府に対して抱く厳しい見方との隔たりは、依然として大きい。

画像提供, Getty Images
戦争が始まった直後の、あの最初の週、キーウ駅のプラットフォームは、ロシア軍の進撃を逃れようと西行きの列車に乗ろうとするウクライナの女性と子どもであふれていた。ロシアの砲撃とウクライナ軍の反撃が、がらんとした首都中心部の道に響き、首都に対する脅威は恐ろしく現実味を帯びていた。
ウクライナの鉄道関係者たちによる限りない創意工夫によって、列車は15分から20分おきに到着した。おびえる人たちは押し合いへし合いしながら乗車し、戦うために残る人たちと涙ながらに別れの言葉を交わしていた。避難の最盛期には、1日5万人が駅を通過していた。
駅のコンコースでは、カラシニコフを背負った若い兵士が恋人を抱きしめていた。恋人は西へ向かい、そして兵士は部隊へと戻っていった。その光景はまるで、第2次世界大戦に参戦したばかりのアメリカで、国民を励ますために米誌サタデー・イヴニング・ポストの表紙を飾った、画家ノーマン・ロックウェルによる作品のようだった。
ゼレンスキー氏は当時、自分がいかに直感で的確に動く戦時のリーダーかを、直ちに示した。いかに国民を鼓舞することができる、生まれながらの発信者かと。開戦直後の暗い夜、大統領は逃げたといううわさを否定するため、彼はオリーブグリーンの軍服姿でキーウの大統領府前に姿を現し、背後に側近たちを従えてビデオの自撮りを録画した。
「私たちはみんな、ここにいます。この国の兵士もここにいます。この国の国民も私たちもここにいます。私たちは自分たちの独立と自分たちの国を守っています。そういうことです。これからも引き続き守り続けます」
ロシアによる全面侵攻開始から最初の数カ月間、恐怖と決意と悲しみ、そして愛国心が、ウクライナの人たちのもとへ波のように押し寄せた。ロシア軍がキーウ周辺で占領した複数の町では、一部の兵士が虐殺を繰り広げた。遺体が高速道路や、キーウ近郊ブチャの道路や浅い墓に放置されていた。
私たちがその遺体を目にしたのは、ウクライナがロシア軍を首都から撤退させた後のことだった。
ウクライナ軍は、首都周辺からロシア軍を撤退させた。それは、ウクライナ軍が数週間で敗れるはずと考えていた西側の予想をそっくり覆す勝利だった。
ウクライナの予想外の強さは、当時のジョー・バイデン米大統領と欧州首脳たちを動かし、より強力な武器をキーウに送ろうと思わせた。ただし、ウクライナ人が望んだほどの量でも速さでもなかった。
残ったウクライナ人たちは志願して戦いに参加し、参加できない人たちは火炎瓶や迷彩網を作る作業場を立ち上げた。
あれから4年がたち、当初のそのエネルギーは失われた。それは意外でもなんでもない。戦争はあらゆるものを巻き込む。人を疲弊させる。
開戦直後の熱量に代わり、今では厳しい決意が浸透している。踏みとどまる、頑張るのだと。特に、前線の兵士とその家族たちの間ではそうだ。
ゼレンスキー氏は今月初め、この4年間で5万5000人のウクライナ兵が死亡したと発言した。さらに多くが行方不明とされているとも認めた。実際の戦死者の数はおそらく、5万5000人よりはるかに多いと思われる。遺体の多くは、長さ約1300キロに及ぶ前線のどこかに眠っているのだろう。

画像提供, Global Images Ukraine via Getty Images
戦死した兵士を補充するのは難しい。前線で拡大し続けるキル・ゾーンでの、絶え間ない死の危険に直面させるのだから。都市や検問所では、徴兵対象年齢の男性が突然、書類検査を受けることがある。徴兵対象で、兵役免除が該当しないなら、その場で兵舎へと連れて行かれることもある。
十分な兵力の確保は、ウクライナにとって最大級の課題だ。それでも複数の世論調査結果によると、ロシアが戦場で前進しているにもかかわらず、大多数のウクライナ国民が、ウクライナは戦い続けられると考えている。ロシアがウクライナ国家を消滅させようとしている以上、戦うよりほかに選択肢はないと、大勢がそう考えているのだ。
加えてウクライナ国民の大半は、アメリカが仲介する和平協議が持続的な平和につながるとは信じていない。しかし、たとえ戦い続けるしかないと考える人が多数派だろうと、制服を着て前線に向かうというのは、決して人気の選択肢ではない。
作家で詩人のヴァレリー・プジク氏は志願して戦い、前線で何カ月も過ごした。キーウのしゃれたバーで彼に会ったが、そこは彼が仲間と100日以上過ごした地下6メートルの塹壕とはまったく別世界だった。兵士の募集がなぜこれほど困難なのか、尋ねてみた。
「それは、持ち場を離れる人間が、何も良いことを言わないからだ。口コミこそ、(兵士募集に)最悪の影響を与える。現場には、良いことが何もないから。自分の友達にはだれひとりとして、塹壕に入って欲しくない。塹壕に入って、そこで座り続けて欲しくない。自分が生き延びられたのは、運が良かったからだ。大体の人は塹壕に、90日、100日、160日も座っている。自分たちは本来、春まであそこにいるはずだった」
プジク氏が今回の前線配置から生還できたのは、仲間の負傷兵2人の避難を手伝うと志願したからだ。
後方から前線へ戻される前に、旧陣地が攻撃された。現場に残っていた兵は殺されるか、行方不明になったのだとプジク氏は話す。負傷兵の避難を手伝ったことで、自分は助かったのだと、彼は確信している。
「もしあの負傷がなければ、おそらく私たちは全員あそこで死んでいた」
長い戦争

画像提供, Getty Images
ウクライナとロシアは2014年から戦争状態にある。プーチン大統領が黒海に面したクリミア半島を占領・併合し、東部ドンバス地方の一部を奪ったのがその始まりだった。
今回の取材でも、戦争がすぐに終わる兆候はまったく見られなかった。
プーチン氏は4年前に全面侵攻を開始し、ウクライナの独立を一気になきものにしようとした。ウクライナは歴史上、ロシアの一部だというのが、彼のかねての持論で、そう何度も繰り返してきた。侵攻から4年を迎える数日前、ゼレンスキー大統領はソーシャルメディア「X」で、プーチン氏の歴史観を一蹴した。
「この戦争を終わらせて外交に移るために、歴史を持ち出すたわごとなど必要ない。それは単なる時間稼ぎだ。私はプーチンと同じぐらい歴史書を読んできた。そして多くを学んだ」
ゼレンスキー氏は昨秋、側近アンドリー・イェルマーク氏を辞任に追い込んだ汚職スキャンダルにも耐えた。大統領を厳しく批判する人々もいるし、政治的なライバルになり得る人々もいる。それでも大統領は、西側のほとんどの指導者が夢見るような支持率を維持している。

画像提供, Gwara Media/Global Images Ukraine via Getty Images
キーウのはるか東では、2022年2月と3月に何十万人ものウクライナ人を避難させた列車が、今も大勢を危険から遠ざけている。ロシア軍の進軍は氷河のように遅いが、東部ドネツクにある重要な戦場では前進を続け、命と景観と町村をのみ込んでいる。ウクライナは依然としてドネツク州のおよそ2割を維持し続けている。そこが、今ウクライナで最も激しく争われている地域だ。
開戦当初はバフムートだった。今ではそれがポクロフスクだ。4年間の戦闘が、ウクライナ各地で町や村をがれきに変えてきた。
ドネツク州からハルキウ州のロゾヴァへ向かう複数のバスが連日、民間の避難者を乗せて州境を越える。一つの学校が、暖かくて清潔な救援調整センターに転用されている。わずかな荷物に囲まれた家族、リードにつながれた犬、かごに入った猫、そして何より、深い喪失感にさいなまれる人々であふれている。
セルヒー氏とヴィクトリア氏は、キル・ゾーンにのみ込まれたドルジュキウカの町からここにたどりついた。夫妻の娘は、ディアナという名前だ。10代の彼女は、膝に猫の「ミカ」を乗せて、黙って座っていた。ここウクライナや世界のその他の激動地にいる何百万人もの人たちと同じように、この家族も、自分たちを守るために家を離れた。家を離れることで、それまでの生活の名残を失うばかりか、個人としての自立を失うことも、痛烈に承知しつつ、そうするしかなかったのだ。
家族3人は今や、自分たちの書類の処理が終わり、次に何をすべきか誰かに指示されるのを、ただ座って待たなくてはならなかった。ヴィクトリア氏は、なぜ自宅を離れたのか説明してくれた。
「もう限界だった。ガスも水も電気もなくて。暖房もなくて。最後の瞬間までそこで踏ん張っていたけれども、3日間ずっと凍えてた」
2022年末に私たちがドルジュキウカの街をバフムート攻防戦の取材拠点としていた当時は、ドルジュキウカは比較的安全な避難場所と考えられていた。しかし今は誰もそこへ行かないと、ヴィクトリア氏は言う。ドルジュキウカは危険すぎるのだ。
「ドローンが、生きているものすべてを破壊する。車も人も、その人たちの家も。涙なしには話せない」
セルヒー氏は、実際の年齢よりも早く老けてしまったように見えた。
「とてもつらい。これまで一生をかけて築いてきたものを、すべて捨ててきた。家族のために働いてきたすべて、築いてきたものすべて。それを、一瞬で捨てなくてはならなかった……全部です……持ち出せたのは、小さい物だけで、それ以上は持ってこれなかった」
近くにはタマラ氏が、9歳になるミラとティナという名の双子の孫娘と一緒に立っていた。
「子どもたちのためです。子どもたちのために、地元を離れた。私たちは森の近くに住んでいて……戦車がたくさんいて……ドローンがあちこち飛んで……平和なんてない……子どもたちは私に向かって走ってきて泣いて……あそこはすごくうるさくて……何もかも揺れている……」

登録が済むと、家族と荷物とペットはバスでロゾヴァ駅へ移り、そこからウクライナ西部リヴィウへ向かう長距離列車に乗った。
ウクライナ東部にあるロゾヴァ駅はかつて、さらに東へ向かうさまざまな列車が集まる、忙しい中継地だった。今ではウクライナ鉄道にとって東の最終地点だ。これより東へ行く線路は危険すぎる。
トランプ大統領の特使として、娘婿ジャレッド・クシュナー氏と、その友人で不動産業界の億万長者スティーヴ・ウィトコフ氏が、ウクライナとロシアの協議を仲介している。
全面侵攻開始から4年を刻む2月24日が過ぎた後、協議はジュネーヴで再開される予定だ。
ウィトコフ氏は前回の会談後に前向きな発言をした。しかし、ロシアとウクライナはどちらも、その場の空気は厳しいものだったと述べた。
プーチン氏かゼレンスキー氏のどちらかが基本的な姿勢を変えない限り、どのような停戦も成立しそうにない。どちらも、何かしらの勝利を得られるまで戦い続けられると考えているのだから、両大統領の基本的姿勢は変わりそうにない。
この交渉は、むしろトランプ氏をなだめるための作業のように見える。交渉の失敗は、ロシアの責任だともウクライナの責任だとも、彼が非難することができないようにするための作業に。
トランプ氏は、最終的にはウクライナに圧力をかける傾向がある。過去には、ゼレンスキー氏が戦争を始めた独裁者だと、事実と異なる主張をしたこともある。これについて私が尋ねると、ゼレンスキー氏は笑いながら、「私は独裁者ではないし、私が戦争を始めたわけでもない」と答えた。
2月17日の協議再開前夜、侵攻開始4年を直前に、トランプ氏は記者団を前に、ウクライナは「早く交渉の席に着いた方がいい」と述べていた。
果敢なウクライナ

画像提供, AFP via Getty Images
トランプ氏はほぼすべての軍事支援を打ち切った。しかし、アメリカだけが提供できる軍事情報に、ウクライナは今も依存している。武器に関しては、特に迎撃ミサイルについては、欧州諸国がウクライナに代わってアメリカの武器を購入している。
今回のウクライナ取材で私は、依然として果敢で強気な国を見た。敗北が近いという感じはしない。
ロシアは今の厳寒を通じて、ウクライナの電力系と暖房系を集中的かつ効果的に攻撃している。それでもウクライナの主要都市は、よく機能している。キーウには渋滞もあるし、店やレストラン、カフェもよく品物がそろっている。
一方で、防空警報はしばしば未明の時間帯に鳴り響く。民間人がロシアのドローンや弾道ミサイルによって自宅で殺されるという、悲惨な話も繰り返されている。
ウクライナはロシアへの長距離攻撃を実施するため、ソ連時代の軍事産業基盤を再建しつつある。

ゼレンスキー大統領は私に対して、戦争には勝てると言った。そして、ウクライナが戦い続けるためには、ヨーロッパからの支援が拡大し続ける必要があると強調した。
春はもうそこまで来ている。しかし、この地域では冬が4月まで長引くこともある。今年の冬はここ数年で特に厳しいものだった。そしてロシアはこの間、地域の給湯と暖房を提供する発電所やソ連時代の施設を標的にし続け、ウクライナに多大な圧力をかけてきた。
場所を特定しないという条件でウクライナ側が私たちの取材を認めた発電所の跡地では、作業員ががれきから鋼材を回収していた。発電所はロシアのミサイルとドローンの激しい攻撃を受け、修理は不可能だった。再建しなくてはならない。
氷点下2桁という寒さの中、私は作業監督に、なぜロシアは攻撃してくるのか尋ねてみた。彼は白い息を吐きながら、この国で一般的な態度を要約するかのように、こう答えた。
「連中は、私たちをひざまずかせたいんだ。ウクライナをひざまずかせたいんだ」
それは確かに事実だ。そして、ウクライナが断固としてそれを阻止しようとしているからこそ、この戦争は続いている。















