ロシアのスパイだったFBI捜査官、刑務所で死亡

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米連邦捜査局(FBI)の捜査官からロシアのスパイとなって活動していたことが発覚し、有罪となったロバート・ハンセン受刑者が5日、厳重警備体制を敷くコロラド州の刑務所で死亡しているのが見つかった。79歳だった。ハンセン受刑者はアメリカの歴史でも特にアメリカの国益に大きな被害をもたらしたとして、2002年に終身刑を受けていた。
ハンセン受刑者は1976年1月にFBIに入り、外部からの諜報活動に対抗するいわゆる「カウンター・インテリジェンス」を担当。その任務上、機密情報を入手できる立場にあった。1985年から当時のソ連のためにスパイ活動を開始し、機密を提供し始めた。
ソ連側の諜報担当と接触する際には「ラモン・ガルシア」の偽名を使っていた。機密提供の報酬として、140万ドル相当の現金やダイヤ、ロシアの銀行口座に振り込まれた資金などを受け取っていた。
2001年2月にヴァージニア州郊外の自宅近くで逮捕された。それまでは寝室4つの質素な一軒家に、妻と子供6人と共に暮らしていた。
ハンセン受刑者の死因は、まだ明らかにされていない。
米CBSニュースは、2人の消息筋の話として、自然死だったようだと伝えている。

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「どうしてこんなに長くかかった」
FBIのウエブサイトによると、ハンセン受刑者は「複数の人的ソースやカウンター・インテリジェンス技術、捜査、数重の機密書類、きわめて重要で有意義な作戦を妨害した」。
FBI内ではハンセン受刑者の行動を疑問視する動きもあったものの、逮捕されるまでに何年もかかった。
FBIは1994年、ソ連とロシアのスパイとして活動していた米中央情報局(CIA)職員アルドリット・ヘイゼン・エイムズ受刑者を逮捕した後も、機密漏洩が続いていることに気づき、ハンセン捜査官への捜査に着手した。
退任を控えていた同捜査官を現行犯で捕らえるため、FBIは2001年1月からハンセン受刑者をFBI本部で働かせ、隠しカメラやマイクなどでその行動を監視した。
FBIはその後、ハンセン捜査官が同年2月18日にヴァージニア州近郊の公園で、あらかじめ決められた場所に機密書類などを置いて立ち去る、いわゆる「デッド・ドロップ」を行うと察知した。FBIは、機密書類の入ったビニール袋を公園内に放置してから車に戻った同捜査官を逮捕した。
同僚たちに逮捕されたハンセン捜査官は、「どうしてこんなに長くかかったんだ?」と尋ねたという。
その後の取り調べで捜査官は、FBIの情報管理を酷評したうえで、死刑を免れるために捜査に協力した。
逮捕が明らかになると、友人や近隣住民は口々に衝撃をあらわにし、「物静かで目立たない人」だったと話した。
家族は毎週日曜日、10年物のバンに乗って教会に通っていた。受刑者は子供たちのテレビ視聴時間を制限する、厳しい父親だったと言われた。
他方で、自分の妻のわいせつ動画を隠し撮りして、友人に見せるといった性癖の持ち主でもあった。
逮捕時に米CBSニュースは、受刑者はストリップクラブの常連で、舞台に上がる女性たちをカトリックに改宗させようとしていたと伝えた。
自分と妻の性的に露骨な内容をオンラインに投稿したり、妻のヌード写真を掲載することもあった。
FBIの取り調べに対しハンセン受刑者は、英秘密情報部(SIS、通称MI6)の幹部でソ連の二重スパイだったキム・フィルビーにあこがれていたのだと供述している。
FBIの資料によると受刑者はロシアの担当者に、「私は14歳の時、こうすると決めた」のだと手紙で書いていた。
2002年5月に、スパイ罪15件について有罪を認め、仮釈放が認められない終身刑判決を受けた。
コロラド州フロレンスにある刑務所は、アメリカ国内で最も警備が厳しい施設のひとつ。ほかにも、イスラム武装組織アルカイダのメンバー、ザカリアス・ムサウイ受刑者や、ボストン・マラソン爆弾犯のジョハル・ツァルナエフ受刑者など、重大事件で有罪となった受刑者が収監されている。







