友人同士で志願……戦争の1年間はウクライナの若者2人をどう変えた
ジェレミー・ボウエン、BBC国際編集長(キーウ)

画像提供, BBC/Jeremy Bowen
戦争は国を変える。そして人を変える。
2022年2月末にロシア軍がウクライナを飲み込もうとしていた時、2人の大学生は国の危機を前に何もしないわけにはいかないと立ち上がった。友人同士のマクシム・ルツィクさんとドミトロ・キシレンコさんは当時、それぞれ19歳と18歳だった。
私は昨年、首都キーウ中心部の志願者受付センターで2人と出会った。ウクライナ軍で戦うと志願した2人は、戦争ではなく、まるで音楽フェスティバルに向かうような服装で、巨大な未知の世界へと踏み入れた。ドミトロさんは、寝るときのためにヨガマットを持参していた。

年上の志願者たちは、妻や子供に手を振りながら、顔をこわばらせていた。それに対して若者たちは笑って、冗談を言い合って、精いっぱい元気そうに振舞っていた。そうして勇気いっぱいにふるまってはいるものの、それは虚勢で、実は内心は違うのではないかと、私は疑っていた。
あれから12カ月。冷たい冬の日の光の中、私は同じ志願者センターで、ドミトロさんとマクシムさんに再会した。
「実を言えば、すごく怖かったです」と、ドミトロさんは認めた。「うそをついてもしょうがないので。あんなこと初めてだったし。当時は悲観的なニュースだらけで、僕たちは最悪を覚悟していました。なのでおそらく、勇気と同時に……腹の底で僕たちは、すべてがうまくいくはずはないと感じていました」。

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マクシムさんも同じ意見だった。私がこれまで話を聞いたウクライナ人の大勢が、同じようなことを考えていた。
「1年前の僕たちは、心の中で、脳の中でさえ、とても怖かった。兵士になって、銃を持って戦うのは、かなり危険なことだと理解していた。でも僕たちには勇気があったし、ばかみたいなやる気もあって、そのおかげで自分の恐怖を乗り越えられた」
「どこかのシェルターにずっといて、戦いで行動しなかったら、自分たちはかなりみじめだと理解していた。そして、ロシアがキーウとかウクライナのほかの領土を占領したら、自分たちはひどいことになると。僕たちは殺されてしまうかもしれない。自分たちの政治的意見のために投獄されるかもしれない。それは分かっていた」
2人が入隊したのは、必勝の軍隊ではなかった。アメリカとその同盟諸国は、ロシアがたちまち勝利すると見込んで、そのあとに起きるだろう抵抗運動を支援するつもりでいた。

しかし、ウクライナはソ連時代の旧式兵器と、北大西洋条約機構(NATO)が提供したわずかばかりの最新兵器で、実に巧みに戦った。それを見て、アメリカとNATO諸国の態度は急激に変わった。
それ以来、アメリカが主導するNATOは、ウクライナに何をどこまで提供するか自ら課していた制限を、次々と乗り越えてきた。最近では主力戦車の提供が決まった。ウクライナは次に、最新式の戦闘機を求めている。
志願センターの外で、冷たい冬の陽光を浴びながらドミトロさんは座り、この1年間の変化にあらためて驚嘆していた。
「ロシアにとって、とんでもないミスでした。誰が敵なのか、今ではみんな知っている。しかも、この国がそれで団結しただけでなく、国際的な団結が生まれた。2年前に誰かに、イギリスとアメリカと欧州の首脳全員が僕たちを助けてくれると、世界が助けてくれて、あらゆるテレビニュースでウクライナのことが報じられることになるなんて言われたとしても、そんなこと想像もできなかったと思う」

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この紛争によってNATOは、激しく危険に分断された欧州の最新状況に直面せざるを得なかった。ロシア政府との間で10年間も悪化を続けた関係は、昨年2月にウラジーミル・プーチン大統領が侵攻開始を命じた時点で、一気に断絶した。
ウクライナとその国民、そして欧州は、新しい危険な時代に突入した。それによって、冷戦終結から続いた前向きな時代はぐるりと回り、終わりを迎えた。1989年にベルリンの壁が崩壊する半年前、当時のジョージ・ブッシュ大統領は「完全で自由な欧州」の夢について語った。ウクライナ東部ドンバス地域の前線からは、そのような欧州は感じ取れない。
しかし、現在のキーウは1年前の侵攻開始直後のキーウとは違う。あらゆるシャッターやドアや窓が閉ざされ、息をのんでじっと構える街からは、様変わりしている。1年前の当時は、中央駅のプラットフォームに詰めかけた市民の周りを雪が舞っていた。大草原の最も冷たい場所から吹き込んできたかのような寒風が、これから避難民になる何千人もの女性や子供たちに切りつけた。ロシアから逃れるため、西へ向かう列車になんとか乗り込もうと、押し合いへし合いする人たちに。
その場に居合わせた私は、20世紀の暗黒時代を映したニュース映像を見ているかのような感覚を覚えていた。
市内のあらゆる道路は障害物で封鎖され、溶接工は戦車用のわなを鉄柱から作っていた。火炎瓶を作るため、市民は何千もの瓶に石油を流し込んでいた。ロシアの戦車がキーウ市内にやってくると、誰もが予想し、そのために備えていたのだ。ロシアの戦車に、自分が火炎瓶を投げつけるのだと。
現時点の首都は、表向きは平常に見える。店は開いている。金のある人はレストランに行ける。ラッシュアワーもある。もちろん平常そのものではない。この国は戦争中なのだ。夕方を過ぎれば、道は静まり返る。

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東部や南部の激戦地にある前線の町村と、首都キーウの様子は、あまりにも違う。ドミトロさんとマクシムさんは昨年3月末、キーウ周辺からロシア軍を撤退させた戦いに参加した。それ以来、ロシアは東部ドンバス地域や南部クリミア半島への陸路に戦力を集中させており、首都に危険が迫る状況は、最初の悪夢めいた数カ月に比べるとかなり薄れている。
マクシムさんとドミトロさんは志願兵で、かつ学生だ。そのため、兵役免除を申請する権利がある。家族の強い希望を受け、ロシアが首都周辺から引いた後、ドミトロさんは大学に戻った。今では、マクシムさんや他の元同僚兵のために備品を用意する手伝いをしている。
「決心するのは本当に大変でした。でも、自分の戦友が、仲間がみんな西に向かって、戦い続けていて、みんないなくなって、自分だけそこから離れてしまうと、少し妙な感じがします」
ドミトロさんが大学に戻っても、2人の友情に変化はないようだ。マクシムさんは部隊に残り、それからはドンバスにいて、いくつかの激戦に参加している。前より明らかに大人びて見えるし、その態度も前より自信に満ちている。
私は昨年5月にも東部バフムートでマクシムさんに会っている。ロシア軍のバフムート攻撃が始まろうとしていたころだ。マクシムさんは部隊の補給調達のため、車でセヴェロドネツクを出たところだった。その日のうちにセヴェロドネツクに戻った彼は、街がロシア軍に攻略される前に負傷した。
あれが自分にとって最悪の戦争経験だったとマクシムさんは言う。ロシアのピオン203ミリ自走カノン砲の砲撃を浴び、最高級の敢闘賞受賞者だった司令官が殺された。マクシムさんは意識を失い、ひどい脳震とうを起こした。ウクライナ軍は多勢に無勢で、火力でも劣り、川を渡って後退しなくてはならなかった。
「ロシア軍は橋をすべて破壊し、我々の渡河地点を諜報活動で探り当てて、そこを砲撃してきた。なのであの場所にもっといることもできたが、大勢が死んだし、もっと長くあそこにいれば、もっと大勢が数週間のうちに死んでいたはずだ」

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1年前にウクライナにやってきたロシア兵は、自分たちは解放者として、そしてロシア語話者の擁護者としてウクライナ国民に歓迎されると、ロシア政府のプロパガンダを信じていたと、マクシムさんは考えている。しかしそれから1年がたち、セヴェロドネツクやバフムートなどでの戦いによって、ウクライナに勝つとはどういうことか、ロシア側の幻想は雲散霧消したはずだとマクシムさんは言う。
ウクライナへ来ても友人が歓迎してくれるわけではないと、ロシアはもう理解しているとマクシムさんは話す。「バフムートに入れるのは、バフムートを破壊した時だと、向こうはもう分かっている。バフムートを守るウクライナ兵を1人残らず殺してからのことだと。(中略)ロシア側は、自分たちが戦うのは領土のため、それと自分たちの政府が抱くなにか政治的な理由のためだと、もう理解している」。
東部戦線で戦ったウクライナの兵士たちは、簡単に勝てるなどという幻想を抱いていない。ロシア側は甚大な被害を受けたが、まだ戦い続けている。優れた電子戦能力と防空システムがあり、多くのウクライナ人を殺し、負傷させている。消耗戦を続けるのだというロシア政府の意欲は、減退していない。

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ドミトロさんとマクシムさんの勝利への展望は、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の展望と同じだ。ウクライナの全領土を奪還しなくてはならない。NATOは支援を大幅に拡大した。しかし、ウクライナに決定的な戦闘力を提供するのは、リスクが大きすぎる。アメリカは特にそう考えている。ウクライナに協力する各国がいずれ、ウクライナに交渉するよう強く促す時も来るかもしれない。
しかし、ドミトロさんの意志は固い。「1991年の時点でウクライナの領土と認められていたすべての領土が、ウクライナのものであるべきだ」。
プーチン大統領は、ウクライナはロシアのものだと信じている。皮肉なことに、その彼が始めた戦争によって、ウクライナという民族国家ができつつある。
「こういう冗談があります」とマクシムさんは言う。「ウクライナを団結させて、この国の経済を築いて、この国の軍隊を築いて、ウクライナを偉大な国にしたことで、プーチンはウクライナの英雄になると」。
ドミトロさんが笑う。「そう、でも、戦争はひどいけど、でも自分たちの団結とこの国のために払う代償なのかも」。














