ウクライナ6週間の惨事と反骨、続く世界への危機 現地取材のBBC記者が振り返る
ジェレミー・ボウエン、BBCニュース、ウクライナ・キーウ

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軍事侵攻の開始当初はロシアがあっという間に勝つものと大勢が予測していたが、ウクライナの戦闘意欲がそのような予測を覆した。ロシアとウクライナの戦争は今や、長期戦へと移行しつつあり、それは今なお世界全体に危険をもたらしかねない(文中敬称略)。

ロシア軍の軍事侵攻が始まった時、首都キーウがどういう様子だったか、思い出してみてほしい。凍てつく鉄道駅のプラットフォームで数千人がひしめきあい、ロシア軍から離れられるならどこ行きでも構わないと、駅に到着する列車に次々と乗り込んだ。混乱が最高潮に達した2月末から3月初めにかけての1週間、約5万人もの人が連日、キーウの駅から西へと向かった。運行列車を何十本と増やすため、とっくに引退してどこかの側線でもう何年も休眠していたかのような、さびついた客車が現役復帰させられていた。
乗客のほとんどは女性と子供だった。男たちは残った。男にはウクライナのために戦ってもらう必要があるから、出国させられないのだと、法律はそう定めた。男たちを強制的に徴兵するような集団は、私は特に目にしなかった。ウクライナはもっぱら、自らの意思で志願する人たちの国だった。
約400万人の首都の人口は半分になった。避難しない女性の中には、戦うため制服を身に着ける人たちもいた。志願受付所の前で私は、カトリーナという名の女性が生後1年半の息子、ニキータちゃんを抱きしめるのを見た。所属部隊がキーウを拠点に交代するタイミングでのことだ。母と幼い息子のしばしの再会だった。カトリーナは狙撃手で、自分の息子に未来を与えるため、自分は殺す用意があるのだと話した。

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侵攻開始の数日後、私は南からキーウへ向けて車を走らせていた。同じころ、長さ60キロ以上もあるロシア軍の車列が、同盟国ベラルーシを出発し、ウクライナの北と北西からキーウを目指していた。
ベラルーシはロシアのウラジミール・プーチン大統領にとって、隣国とはこうあってもらいたいというタイプの国だ。ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領はプーチン氏の支援をありがたく受け入れているし、ロシアの従属国としての役割も受け入れている。それでもなお、ルカシェンコは自国の兵をウクライナに派遣しなかった。ベラルーシ軍の派兵もロシアの作戦の一部に違いないと、外部の人間の多くは当然視していたのだが。あるいはプーチンでさえ、どんな忠誠にも限界はあると受け入れたのか。
キーウでは誰もが最悪を恐れた。街の中心部に、ひとけはほとんどなかった。いたのは検問所の男たちのみで、彼らは武器を持ち、緊張していた。自分の気に入らない動きをする者はだれもがロシアの破壊工作員だと、そう思い込んでいそうだった。首都の端の方からは爆音が響いた。最強のロシア軍が今にもキーウを包囲し、攻撃するものと誰もが恐れていた。
キーウに入って最初の夜、私はホテルの地下2階のシェルターでは寝ないと決めた。人が多すぎたし、換気もなかった。それに砲撃はまだ街の中心部には届いていなかった。これは賭け(かけ)だと思った。しかしあれから6週間後、同じホテルの3階の同じ部屋で、私はこの原稿を書いている。キーウの美しく歴史ある中心部は、まだ攻撃されていない。ロシア軍のミサイルや空軍の攻撃圏内には、しっかり入っているのだが。
この6週間で、あまりにたくさんのことが変わった。ロシア軍のあの長い車列はぬかるみにはまり、破壊された。ロシア軍は後退した。戦争はまだ終わりからは程遠いが、キーウの戦いに勝ったのはウクライナ人だった。第1次キーウ戦に。今後、第2弾はあり得る。
ロシアがあっという間に勝利するというあらゆる予測は、ウクライナ人の戦闘意欲と死をも辞さない覚悟によって、完全にひっくりかえされた。ロシアの進軍をせきとめて殺害された兵士の軍葬では、母親と姉妹が、その遺影を抱きかかえて泣いていた。棺の上を礼砲が飛び、数百人の戦友が並んで国歌を歌い、愛国スローガンを口々に叫んだ。

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居並ぶ兵士たちの姿は、彼らが何者かを物語っていた。10代後半から中年後半までの、志願兵だ。身に着けた制服も、抱える武器も様々だった。ウクライナにはこのほかに、もっとプロの軍人らしい外見の、高度に訓練された兵士たちがいる。
ウクライナの首脳陣は賢く、戦術は鋭敏だ。そこに、北大西洋条約機構(NATO)が提供する武器が加わり、ウクライナの兵士たちは実に見事に戦ってきた。あまりに見事な戦いぶりに、ウクライナに対する世界の見方も変わった。4月初めにブリュッセルで開かれたNATO外相会議では、世界有数の民主国家の外相たちが、ウクライナから招かれたドミトロ・クレバ外相の近くに寄ろうと、押し合いへし合いする始末だった。NATOと欧州連合(EU)の加盟国の間では、ロシアへの圧力をどう強化すべきか、国ごとに温度差が出始めている。それでも外相たちは、注目の来賓に少しでもあやかりたかったのだ。
戦争においては常に、指導者の指導力は決定的に重要な要素だ。そして現代の戦争においては、メディアの戦場でどのようなメッセージを発信するかが、かつてないほど重要になっている。戦争のその側面では、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が勝ち続けている。侵攻されてただちに安全圏へ移動するのとは真逆の行動をとった彼は、スーツを脱いで、カーキのTシャツに着替えた。
ウクライナはロシアの影響下にあるべきだとするプーチンは、その根拠の一つとして、ウクライナはそもそも国ではないと主張する。これは皮肉なことだ。プーチン本人の行動と、国家総動員という大事業を成し遂げたゼレンスキーが発し続ける思慮深いメッセージによって、むしろウクライナ人の国民的アイデンティティーの形は明確になりつつある。
ウクライナが持ちこたえている理由にはほかに、戦争に巻き込まれた人間の順応力がある。最初のショックが薄れると、人はたちまち状況に順応するものだ。キーウのおしゃれな地域では、おしゃれな造形作家たちが自分の工房を作り変えて、装甲車のタイヤを切り裂くとげだらけのすさまじい鉄の障害物を作り始めた。ボランティア・センターの地下では、若い女性たちがシーツを引き裂いて、火炎びんの導火線を作っていた。換気のないこの作業場には揮発油のにおいが立ち込めていた。キーウ各地の検問所は、緊張しきりの男たちが守るタイヤ数本のバリケードから、土嚢(どのう)を積み上げた頑丈な防衛拠点へと様変わりした。
ウクライナの反骨精神は、以前から重要な要素だった。武器の扱い方と戦い方を学ぶため、実に大勢が訓練に参加した。その中には、私たちが取材を続ける2人の若者、大学生のドミトロ・キシレンコ(18)とその友人のマクシム・ルツィク(19)もいる。
ドミトロとマクシムが3月初めに志願した時、2人を含めて同年代の志願兵たちはまるで、音楽フェスティバルに向かう若者のグループに見えた。しかし、2人はすでに前線での戦闘を経験している。そして、あらゆるウクライナ人と同様、世界観を揺さぶられ、その世界で生きていく人生を揺さぶられている。

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若いマクシムとドミトロは今月初め、キーウにいた。数日後に東部の戦線に移動させられる前に、必要な備品をそろえていた。
すべてのウクライナ人にとって、そしてマクシムにとって、これは一世一代の戦いだ。
「自分たちは、この国の命のためだけじゃなく、文明世界すべての命のために戦っている。自分たちの最大の目標は、国内外の、欧州の、自分たちの自由と権利を守ることだから。ロシアがこの国を占領する限り、世界全体に自由はないと、1人1人がみんな理解している」
前線の兵士として過ごした数週間が、ドミトロを変えた。「人の命は大事だ。親類でも友人でも。何より自分の国が大事だ(中略)最近のニュースのせいで、それと自分がすでに経験したことのせいで、僕は前よりもっときっちり行動するように、残念ながら前よりもっと容赦なく行動するようになった。ロシア兵に対して、情け容赦なく。あらゆる状況に対して、情け容赦なく。自分は前よりずっと、兵隊らしくなった」。
ロシア軍はキーウ周辺で深刻な敗退に見舞われ、後退を余儀なくされた。しかし、戦争に敗れたわけではないし、東部と南部ではじりじりと占領する面積を広げつつある。ロシア軍がキーウ州を離れてからというもの、占領地にもたらした被害の実態がますます明らかになっている。

土地や建物の破壊は広範囲にわたり、深刻だ。私はイルピンやボロジャンカといった街の中心部で、ひどい惨状を目にした。しかし、それにも増して深刻でひどく懸念されるのは、民間人をはじめとする非戦闘員の扱いだ。私は複数の遺体を目にしてきた。紛れもなく民間人だと分かる遺体も、ロシア兵に殺された場所に、そのまま放置されていた。
ロシア軍が戦争犯罪を犯したという証拠は、今では圧倒的なほどに積みあがっている。一方で、ウクライナ軍も非難は免れていない。負傷して身動き取れずに地面に横たわる複数のロシア兵を、ウクライナ兵が殺害したかのように見える動画が明らかになっている。
ロシア軍は戦車で国際法を粉々に破壊した。しかし、この戦争が世界全体にとって危機なのは、それだけが理由ではない。ロシア軍が民間人にしたことも、同様だ。この戦争は世界全体にとっての危機だ。なぜかといえば、核兵器を持つ軍事大国同士がこれほどまで、直接対決の瀬戸際に立たされたことは、1991年のソ連崩壊に至った冷戦以降、ついぞなかったことだからだ。
21世紀にも今や、21世紀の冷戦が起きた。これが「熱い」戦争になった場合のリスクは、20世紀の冷戦と同じだ。ウクライナの国防諜報活動の責任者、キリロ・ブダノフ少将は私に、NATOにとってのリスクをこう話した。プーチンのロシアにNATOが立ち向かわないことのリスクは、NATOがプーチンに立ち向かい、ウクライナが求める殺傷力の高い武器を提供するリスクよりも、はるかに大きいのだと。
「欧州の中央で起きたこの侵略戦争は、既存の政治体制や既存の軍事安全保障体制を完全に破壊する。もしも世界がプーチンの侵略を受け入れ、何の抜本的な解決策も示さないなら、同じことが今後何度も何度も繰り返される」と、ブダノフ少将は言った。
侵攻開始当初のあの凍てつく日々に比べると、今のキーウはずっと落ち着いている。しかし、東部の様子はまるで違う。ウクライナ東部に部隊が集結し、多くの市民がすべてを捨てて避難している。ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、多くの人を驚かせた。しかし、ロシアと西側の間の危機は、もう何年も前からくすぶっていた。その兆候を認めようとしなかったのは、政治家だけではない。多くの人がそうだった。

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1990年代に続いた旧ユーゴスラヴィアをめぐる戦争について、大勢が集団的な記憶喪失に陥っていた。国境を変更して外国政府を倒すために欧州で流血沙汰が起きるなど、もはやあり得ないと大勢が思っていた。欧州は賢すぎる、豊かすぎる、利己的すぎると。欧州はもはや、そんな旧弊な大陸ではないと。
独善的で、間違った認識だった。今ならそれが分かる。西側諸国の首脳は、この時代の課題と危険にどう対応を調整するか、大急ぎで熟慮せざるを得ない状況だ。
この戦いは、長い消耗戦になる。影響は実に大きい。プーチン政権存続か、それともウクライナの独立か、ぎりぎりの争いが最終決戦までエスカレートするならば、世界全体はさらにひどい危険に直面することになる。













