ロシア兵が戦争捕虜に……ウクライナの収容所、BBC単独取材

ジェイムズ・ウォーターハウス、BBCウクライナ特派員

Russian prisoners of war at a facility in western Ukraine
画像説明, ウクライナ西部の戦争捕虜収容施設には、数百人のロシア軍兵士や志願兵、雇い兵などが収容されている

私たちがウクライナ西部の戦争捕虜収容所に入ろうとした時、ウクライナを嘲笑するかのようにロシアのミサイルが上空を通り過ぎた。

捕虜となったロシア軍の兵士や徴集兵、雇い兵など数百人が、この砂だらけの建物に収容されている。ウクライナにはこうした施設が50カ所あるという。

ウクライナ防空システムの爆音が遠くに聞こえる中、私たちは地下へ招き入れられた。そこでは、数十人の収容者がロシアの攻撃から逃れるため避難していた。

戦争捕虜の交換はこの戦争で繰り返される要素の一つとなっており、ウクライナにとっては、交換が続くことが非常に重要だ。ウクライナ当局は16日、全面侵攻が始まって以来、計1863人の男女が捕虜交換によって解放された。捕虜交換はきわめて慎重を要する任務で、調整には数カ月かかることが多い。

戦時の捕虜や文民の保護などを規定したジュネーヴ条約では、捕虜を行進させたり、公の場にさらしたりすることは禁じられている。

私たちは、取材したい相手へ近づくことが許され、取材に応じるか本人に尋ねることができた。しかし、どこへ行くにも常に看守が私たちのそばを離れず、捕虜たちも自由には発言できないようだった。

取材した捕虜の多くが、身元の特定を防ぐために顔を隠した。

The prisoners are allowed one phone-call every two weeks, according to the guards
画像説明, 捕虜は2週間に1回、1カ所に電話がかけられるのだという
Presentational white space

国連人権委員会は昨年11月、拷問や不適切な扱いを受けたと話す複数の捕虜との面談に基づき、ロシアとウクライナの双方で捕虜の虐待があったと報告した。

私たちが取材した場所では、自分たちは捕虜をきちんと扱っていると看守たちはことさらに見せようとしているようだった。

雇い兵グループにいたと話す戦闘員がいた。3日前にこの施設に連れて来られたというこの戦闘員は、1月にロシア軍が占領した東部ソレダルの近くで捕虜になったと語った。

何人かが鋭い目線でこちらを見つめていた。目が合ったその中の1人は、昨年12月29日に東部ルハンスク州で捕虜になったのだと話した。

「交換された後、軍隊に戻らなくてすむようにと願っている」と、この人物は話した。

「軍に戻るしかなかったら?」と私が聞くと、数秒だまりこんだ後、「いくつか案がある。自主的に投降してここに戻ることもできる」

防空シェルターから出ると、収容者の半数がけがをしていることが分かった。

手足に包帯を巻いている人もいれば、足を引きずっている人もいた。

自分は手榴弾の爆発で脚を失ったのだと話しながら、感情をあらわにする若者もいた。

Russian prisoners of war construct outdoor furniture sets
画像説明, 施設内の作業場では、捕虜となったロシア兵が庭用の家具を作っていた
Presentational white space

ドリルの音がする方へ向かうと、戦争捕虜たちが屋外用家具を作る製造ラインが見えてきた。

捕虜たちはここでも、うつむいて作業をしていた。

地元企業がこの施設と契約しており、捕虜たちはいくらかの収入を得て、たばこや菓子類が買えるのだという。

捕虜の多くは、強制的にこうした仕事をさせられる。選択肢があるのはロシア将校だけのようだった。

昼食の時間になると、捕虜たちは最上階にある仮設食堂に並んで移動させられた。窓からは、ウクライナ国旗が寒空にはためくのが見えた。

捕虜たちは黙ったまま素早く食事をとった。聞こえるのは食べる音だけだった。その後、机ごとに完璧な勢ぞろいで一斉に立ち上がり、ウクライナ語で「ごちそうさまでした!」と叫んだ。

The prisoners eat a lunch of bread, corn soup, and a bowl of barley and meat
画像説明, 昼食にはパンとコーンスープ、肉と麦の煮物が出た
Presentational white space

捕虜たちはここでウクライナ語のテレビを見させられる。これにはウクライナや南部マリウポリの歴史を描いたドキュメンタリーも含まれる。マリウポリは数カ月にわたるロシアの爆撃で破壊され、占領された。

前回の捕虜交換では、マリウポリを守っていたウクライナ兵も何人かいたという。

私たちはそこにいた1人に、何を見させられているか理解しているかと尋ねた。

「大体は」、「教育的だと思う」という答えが返ってきた。否定的なことを言うはずもなかったのだろう。

見させられている番組の内容が理解できないロシア人捕虜も、そこにはいたかもしれない。たとえ理解できても、理解したくなかったかもしれない。

看守たちによると、捕虜は2週間に1回、1カ所に電話をかけることが許可されている。ロシアにいる家族はこうした電話で初めて、息子が捕虜になったと知ることが多い。

1人の若者がかけている電話越しに、「どこにいるの? どこにいるのかあちこち聞いて回ったよ!」と言う母親の声が聞こえた。

「母さん、待って。捕虜になっている。それ以上は言えない」

「あのひどいウクライナの?」と答えて、母親は泣きだした。

「そうだよ、母さん、静かにして」と、若者は話した。隣に看守が立っていたからだ。

「僕は生きていて元気だ。それが一番大事なことだ」

電話した相手が出ない場合もある。その場合、ロシア兵は次の電話の機会を待ちわびることになる。そして、いずれ捕虜交換の対象になることを。

(追加取材:ハナ・コーナス、モーガン・ギショルト・ミナード)