幸運のネコ、ぼろぼろのサッカーボール……2年間の戦争でガザ住民が手放さなかったもの

青系のスカーフを頭に巻き、黒い服を着たパレスチナ人女性が、緑色のインコを両手で持っている。左肩にはネコが、右肩にはカメが乗っている

アリス・カディ記者、BBCビジュアル・ジャーナリズム・チーム

「ビコ」という名前の緑色の鳥、ぼろぼろのサッカーボール、金の指輪、そして学校の友人にもらった、ハートマークがたくさん描かれた手紙――。 これはどれも、2年間にわたるイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘で、避難生活を余儀なくされながらも、パレスチナ・ガザ地区のパレスチナ人が肌身離さず大切にしてきたものの、ほんの一部だ。

ガザでの戦闘は、イスラエルとハマスの停戦合意により一時的に停止している。住民たちはそれぞれのコミュニティに戻り始めている。しかし、残っているのは廃墟ばかりだ。開戦後、住民たちはかつて大切にしていたものを残したまま、家を追われた。その品々はいま、がれきに埋もれている。

しかし中には、大切なものをずっと手放さずに戦争に耐えてきた人たちもいる。思い出深いものから、一見平凡なものまでさまざまだ。危険を冒しながらも大切なものを失わないよう過ごしてきた人々に、BBCが話を聞いた。

自分のペットたち ヤリン・アブ・ナジャ(44)

茶と白の毛のネコがカゴの上に座り、中にいるインコ3羽を見ている。インコは茶色と黄色と緑色の3種類

「私にとってペットは自分の魂そのものです。どこへ行くにも一緒です。自分の子どものように接しています」。ヤリン・アブ・ナジャさんはこう話す。

「自宅は破壊されてしまいました。今は息子と一緒に、母のアパートで暮らしています。そこもひどく損傷していますが、ほかの人たちの状況よりはましです。この戦争では何度も避難する羽目になりました。何日も路上で過ごしたこともあります。親切な人たちがテントをくれるまで、身を隠す場所さえありませんでした。この戦争で私たちは屈辱を受け、打ちのめされました」

ヤリンさんはペットとのやりとりや、出会いについても教えてくれた。

「カメ数匹と、ビコという名前のワカケホンセイインコを飼っています。ビコは話しかけると返事をしてくれるし、私と一緒に笑ってくれます。ネコのルカは、私が泣き出すと、私に寄り添って悲しんでくれます。道端で虫だらけの状態でいるルカを私が見つけました。運よく(by Luck)出会えたので、ルカ(Luca)と名付けました」

緑色のインコを持った手のクローズアップ写真
青系のスカーフを頭に巻いた女性が、右肩にカメを乗せ、カメラの方を見ている

ペットを連れての避難は簡単ではないとも、ヤリンさんは話した。

「一番最近の避難では、こういうことがありました。戦車が迫ってきたので、ほかの親族の家に身を寄せたのですが、その家の人たちは私が連れてきたペットにうんざりしてしまったんです。なので、避難命令が出ていて、戦車も走っていたけど、母のアパートに戻りました。避難指示が解除されるまで、私は1人でそこにいました」

茶と白の毛のネコが赤いソファーに寝そべっている。隣に座る少年が、猫を両手で触っている

避難を繰り返すうちに、鳥かごは使い古されて、壊れてしまったという。

「もう使えません。だけど代わりのかごはないし、仮に見つかったとしてもすごく高価だと思います。ペットのえさを探すのにも苦労しています」

それでもヤリンさんは、ペットに危害がおよばないようにする覚悟だ。

「鳥もカメもネコも、みんな私の魂そのものです。私の子どもたち、私の理解者です。爆撃が止んで、今はみんな無事なのでうれしい」

手紙と友情のブレスレット ダリア・アフメド・ベディル(15)

広げた両手の上に、折りたたまれた複数の紙や、緑や白のビーズのブレスレットが乗っている。手紙やブレスレットを保管する小さな箱の内側には、黄色いハートが描かれている

ダリア・アフメド・ベディルさんが大事にしているのは手紙だ。

「友達からの手紙やブレスレットを、小さな箱に入れて保管しています。友達がくれたものだし、戦争で亡くなった子もいるので、本当に大切です」

手紙は小学校を卒業する時にもらったものだという。「ずっと一緒だよ」、「決して忘れないよ」などと書かれている。

「この戦争中に、悲しくなったり不安を感じたときに手紙を読み返しています。前向きになれるし、希望をもらえます。手紙を書いてくれた女の子のことを思い出して、その子のために祈ったり、懐かしく思ったりもします」

黒いスカーフを頭に巻いた少女が、複数の手紙を広げてカメラに見せている
緑や白、赤、青のビーズで作られたブレスレットを持つ手のクローズアップ写真

「戦争で亡くなった友達からの手紙もあります」。そう言うと、赤いハートが描かれた手紙を見せてくれた。

手紙には、「ラヤからダリアへ。私はあなたが大好き。これからもずっと大好き。あなたは私の親友。あなたに出会えた日が、学校生活で一番幸せな日でした。私のことを一生忘れないでね。あなたが大好きだっていう私の気持ちを表現するのに、この手紙は短すぎる。あなたはいつも私の心の中にいます。あなたが大好き。あなたの友達、ラヤ」と書かれている。

手紙の結びの、「I Love you(あなたが大好き)」と、「Your friend, Laya(あなたの友達、ラヤ)」は英語で書かれている。

ラヤさんがダリアさんに宛てた手紙。黒い文字の間に、赤いハートが描かれている
ラヤさんがダリアさんに宛てた手紙。「ラヤからダリアへ。私はあなたが大好き。これからもずっと大好き。あなたは私の親友です。あなたに出会えた日が、学校生活で一番幸せな日でした。私のことを一生忘れないでほしい。あなたのことがどれほど大好きか、この手紙じゃ表現しきれない。いつもあなたのことを思っているよ。大好き」と書かれている
画像説明, ラヤさんの手紙を英訳すると、こうなる

ダリアさんは避難する際に一度、手紙が入った箱をなくしかけたという。

「かばんの中をどんなに探しても見つからなくて、何もかもなくしたような気持ちになりました。その後も探し続けて、ようやく見つかりました。それ以来、どこへ行くにも必ず持ち歩いています」

「自宅を失った今、私には手紙しか残っていません。これが唯一の思い出です」

身分証明書 アフマド・ジダン(52)

国連が発行した家族登録証を両手で広げている。用紙には国連の青いロゴが入っている

アフマドさんは、「所持品を運ぶお金すらなく、別の場所へと移動しないといけないなんて屈辱的」なことだと話す。「テントで暮らすなんて、こんな生活には慣れていません」。

「私が働いていた歯科センターは破壊されました。息子は学校に通えなくなり、娘の大学もなくなってしまいました」

アフマドさんは今でも、国連が発行した家族登録証を携帯しているという。

「パレスチナ難民として自分に与えられた権利を思い出します。子供のころから、診療所に行ったり食料を受け取る際に、両親がこの登録証を提示するのを見てきました」

グレーのTシャツを着た白髪交じりの男性が、国連発行の家族登録証を広げてカメラに見せている

「今では、これを出しても食べ物も何も手に入らないし、何の意味も持ちません。ですが、私にとってはとても大切なものです。これは私の、そして子どもたちのアイデンティティーそのものなので」と、アフマドさんは言う。

「私のすべてです。本当に大切です。人生のどんな時にも、この登録証はずっと私と一緒でした。手放すつもりはありません」

自分のサッカーボール アルカン・アル・タラビーン(22)

黄色のサッカーボールががれきの上にある。奥には男児2人が座っている

アルカンさんの家族は、「サッカー好きの一家」として知られている。

「家族全員がサッカーを心底愛していて、生活のすべてがサッカーを中心に回っていました。でも、戦争で変わってしまった。もう試合は見られないし、サッカーをするには、がれきをどかして場所を確保しないといけません」と、アルカンさんは言う。

開戦からの2年間、アルカンさん一家のそばには常にサッカーボールがあった。

「家を追われた時もこのボールを持ち歩いて、ボールの隣で眠りました」

白に赤いボーダー柄のTシャツに、赤いズボンを着た男性が、左手で黄色いサッカーボールを持っている

「サッカーはエネルギーを発散させてくれます。ネガティブな感情を消してくれるんです」

ガザでは物価が高騰していて、サッカーボールも手に入りにくい状況だ。そのため、アルカンさん一家にはボールが一つしかない。

アルカンさんは、「家を追われた時にボールを忘れてしまい、命がけで取りに戻ったこともある」と教えてくれた。

「それでも何とか、このボールがあったから、私たちはここまでやってこられました」

自分の携帯電話 モアメン・アブ・ドワバ(23)

がれきの上に砂で薄汚れたスマートフォンが画面を伏せて置いてある

モアメンさんにとって一番大切なのは携帯電話だ。戦争が続く間、肌身離さず持ち歩いていたという。

「これなしでは生きていけません。人とのつながりを保つ手段なので」と、モアメンさんは言う。

「ガザの外にいるきょうだいが電話をかけてくるので、私はいつも携帯電話を握りしめています。この戦争中、ガザのほかの地域にいた別のきょうだいの安否を確認する手段でもありました」

グレーのTシャツを着た、あごひげを生やした男性が、両手でスマートフォンを持ち、笑顔でカメラの方を見ている
スマートフォンを持った両手のクローズアップ写真

携帯電話は身内と連絡を取る以外にも必要なものだという。「これを使って最新のニュースもチェックしているし、学士課程の勉強もしています」。

「開戦初日から今日まで、爆撃の様子をたくさん撮影してきました。(オンラインに)投稿して、私たちの身に起きていることや周囲で起きていることを、ガザの外にいる人たちに伝えたり、海外にいる親族に知らせたりしています」

「携帯電話がなければ、ここで生きてはいけません。誰も私たちと連絡を取れなくなってしまうので」と、モアメンさんは言う。「携帯電話を失うことは、すべてを失うようなものです。私たちにとって、それは死と同じです」。

兄の腕時計 ハッサム・アルディン・アブ・アル・ウラ(26)

2種類のサングラスを持った両手のクローズアップ写真。右手首にはシルバーのブレスレット、左手首には腕時計を着けている

ハッサムさんが持ち歩いているのは、兄の腕時計とブレスレット、サングラスだ。

「兄は戦争の初期にイスラエル軍に殺されました。今は母と2人きりです。父は私が1歳、兄が2歳の時に亡くなっているので」

「このどれもが兄との思い出です。家を追われている時でさえ、兄がいつもそばにいるような気持ちにさせてくれる」と、ハッサムさんは言う。

グレーの半袖の服を着た男性が、サングラスや腕時計を乗せた両手を広げている

「私たち兄弟は2人で一つでした。家の中でも外でも、いつも一緒で、病気の母を助けていました。今はすべてが私にかかっています。兄が死んでから、母の体調は悪化する一方です。私もけがをしてしまったので、母の世話をするのは大変です」

ハッサムさんは、直近の避難の様子も語ってくれた。

「イスラエル軍に避難を命じられて、身を寄せていた建物を離れました。その時は兄の遺品は持ち出せませんでした。本当に危険な状況で、激しい銃撃が起きていたので。だけどその後、私は遺品を取りに戻りました」

「今は重要な書類と一緒にかばんに入れて保管しています。身に着けて、傷つけたり失くしたりしたくないので、普段はしまっています」

自分の結婚指輪 ナサイム・サミフ・タフェシュ(25)

金色の指輪を乗せた手のクローズアップ写真

ナサイムさん一家は開戦当時、ガザ市で暮らしていた。「夫は爆撃で亡くなりました。標的となった建物の前を通りがかって、巻き込まれました」。

その後、南部のハンユニスに避難した。「息子はがんを患っているので、救急車で移動しました」と、ナサイムさんは話した。

「夫は一家の大黒柱でした。彼が亡くなってからは、時折寄付を受けることもありましたが、私たちを支えてくれる人はいません」

夫の死後、ナサイムさんたちが暮らす小さなアパートは攻撃で破壊されたという。

紫色のベールをかぶり、水色のマスクを着けた女性が、右手に乗せた金色の指輪をカメラに見せている

「私がいつも持ち歩いているのは一つだけ、結婚指輪です。戦争でどんな苦しいことがあっても、手放しませんでした。夫のことを思い出せるし、子どもたちのほかに夫が残してくれたものなので」

「どこへ行く時も身に着けています。経済的に苦しい時でさえ、これだけは手放すつもりはありません」

ウォーターボトル ハミス・アブ・アメル(37)

水が入ったプラスチックボトルが2つ並んでいる

「避難生活は苦しみしかない」と、ハミスさんは言う。「別の場所へ移動して、荷物を何度も運んで、荷車を借りて、車に積み込む。きつい同じ作業の繰り返しなので」。

「テントでの暮らしは屈辱的です。夏は焼けつくほど暑いし、冬は凍えるほど寒いです」

そうした生活を送るハミスさんにとって、一番大切なのは水を入れる容器だという。「水は生活を支える土台です。これがなければ、私たちはどうすることもできない」。

ひげを生やした男性が、水が入ったプラスチックボトル2本を両手で持ち上げている

「この2年間、避難を繰り返してきましたが、ずっと同じ容器を使っています。壊してしまわないように、子どもたちには一度も持たせていません。それでも、初めは四つあった容器は二つになってしまいました」

ハミスさんは、「容器がなければ、水をくんで飲むこともできません。ボトル入りの飲料水はほとんど手に入りません。なので、私たちにとっては、飲み水を確保したり料理をする上で、この容器が唯一の頼りなんです」と語った。

(証言内容は、長さや分かりやすさを考慮して編集されています。一部のインタビューは10月に発効した停戦前に実施されました。追加取材と写真撮影は、BBCと契約するガザのフリーランサーと、マラク・ハスーネ記者によるものです)