イランの人たちの恐怖と希望、「毎日が1カ月のよう」 米・イスラエルの激しい攻撃下で

赤と黒の上着を着た女性と、ピンクの上着を着た人が並んで歩いている

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画像説明, がれきの合間を歩く人たち(4日、テヘラン)
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ファレン・タギザーデ BBCペルシャ語

「爆発の数。破壊。いま起きていること。まったく信じられない」。サラルさん(仮名)はこう言う。

2月28日に攻撃が始まって以来、イランの首都テヘランはひっきりなしに攻撃されている。アメリカとイスラエルは、イランのイスラム体制を弱体化させようと、軍事的・政治的標的を次々と攻撃している。

テヘランだけでなく、他の地域も攻撃の被害を受けている。イラン当局によると、28日には南部ミナブの女子校が被弾し、子どもを含む160人以上が殺害された。米ホワイトハウスは、この事案について調べているものの、米軍は民間人を標的にしていないと述べている。

アメリカ拠点の人権活動家通信(HRANA)によると、攻撃が始まって以来、イランで1100人以上の民間人が殺害された。

「いま経験していることは、あの時の出来事を超えている」。テヘランに住む人が、BBCペルシャ語にこう話した。あの時の出来事とは、イスラエルとイランの間の昨年の12日間戦争のことだ。

攻撃が続くなか、家族を心配しておびえるイラン人がいる。他方、現政権は恐ろしいものだと言い、国の未来に希望を見いだすイラン人もいる。

攻撃の第1波で、最高指導者アリ・ハメネイ師は殺された。しかしその後も、空爆は一向にやわらいでいない。

「毎日毎日が、1カ月みたいな感じだ」とサラルさんは言う。「あまりに攻撃の量が多くて」。

最近の空爆では自宅全体が揺れ、窓ガラスが割れないように窓を開けておく必要があったと彼は話す。

イラン当局は、外国の報道機関へのビザ発行を拒否することが多い。そのため、イラン国内で何が起きているのか知る手段は、非常に制限される。インターネットの遮断によって、事態はさらに難しくなっている。

大量のがれきの中にイラン国旗を立てる男性

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ほとんどの人々は屋内にいる。外出するのは、生活必需品を手に入れる必要がある時だけだ。

政権は、あちこちにいる警備当局の数を増やしたように見える。最高指導者の死去を受けて国内各地の住民が体制への反抗をあらわにしたことへの政府の反応だと、多くのイラン人がそう考えている。

「検問所があちこちにある。(当局は)自分の影にさえ、いちいちびくびくしている」。テヘランに住む25歳の学生はこう言う。

「私たちは決定的な瞬間、最後の瞬間を待っている。みんなが外に出て、勝利するその時を」

卵やジャガイモといった生活必需品の価格も急騰し、ガソリンやパンを求める列は「信じられない」ほど長いのだと、サラルさんは話した。

首都テヘランに住む別の人によると、ほとんどの店が閉店していて、一部のATM(現金自動預け払い機)が使えなくなっている。ただし、スーパーやベーカリーは営業している。

テヘランは「空っぽ」な感じがするという。家を出るのはよほどのことで、「緊急の事態」に限られるとも、この女性は話す。

「初日にはみんな大声で叫んで、みんなうれしそうだった。でも今では、あちこちに警察がいる」

サラルさんは、政権に反対する意見を口にしたせいで、治安当局から脅されたことがあるのだと話す。

客観的な情報を得るのが難しい状況ながら、治安当局は要求を明確にしてきたのだそうだ。

「(当局は)毎日、外出すれば取り締まるぞと、ショートメールで脅してくる」

「外に出て抗議する者はすべてイスラエルの協力者と見なす――というメッセージが届いた」

政府からのこうしたメッセージの調子から、命令に従わない者は摘発される、あるいは殺される可能性さえあると、そう示唆しているのだと、サラルさんは感じた。

煙の立ち上るテヘランの市街地を見下ろす4人。市街地の手前で並ぶ4人は黒いシルエットになっている

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画像説明, 首都テヘランは2月28日以降、絶え間なく爆撃されている

BBCペルシャ語は、カーヴェさん(仮名)とも話した。彼はテヘランの北東約270キロにあるにあるザンジャーンに住んでいる。この街も攻撃されている。

「最初の3日間、街は激しく爆撃された」と、カーヴェさんは言う。「戦闘機が絶えず頭上を通過する地域に住んでいる」。

戦争勃発以降、空爆地点から立ち上る煙の柱で、空は常に曇っているという。その光景を「美しいと同時に恐ろしい」と、カーヴェさんは表現した。

サラルさんは両親を北部へ避難させたが、どの街が安全なのかは分からなかったと話す。自宅はテヘランのシャリアティ地区にある。攻撃の標的となっている軍事施設が多い地域だ。

「母は本当におびえていて、まったく大丈夫じゃなかった」。サラルさんはこう言い、母親が1980年代に8年続いたイラン・イラク戦争で経験したどの攻撃よりも、今回の攻撃はひどいのだと話した。

日を追うごとに大勢がテヘランを離れているものの、誰もが避難できるわけではないと、サラルさんは言う。

「友人の祖母は病気で、動かすわけにはいかない」

インターネットが遮断されたため、イランの人たちが親族と連絡を取り合うことも、非常に難しくなっている。

カーヴェさんは、自分が生き延びることのほかに特に心配しているのは、いかに家族や友人と連絡を取り続けるか、いかに信頼できるニュースを入手するかだと話す。攻撃初日の昼頃にインターネットがつながらなくなり、復旧まで2日かかったのだという。

カーヴェさんもサラルさんも、イラン政府が遮断しているサイトにアクセスするためVPN(仮想専用通信網)を使っているが、それは決して簡単なことではない。

カーヴェさんは、たまに接続できた時には、「家族と連絡の取れないイラン国外の友人を助けて、最新情報を伝えたり、メッセージを届けたりしている」のだという。

黄色いカラーコーンと規制線の向こうに、イラン警察の重装備車両が停まっている

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画像説明, 政権はテヘラン市内の警備体制をあからさまに増強したように見える

治安当局が国内を徹底的に統制しているため、最高指導者の死に対する国内の反応を全体として把握するのは不可能だ。

路上で祝った人もいれば、政府主導の追悼行事に参加した人もいた。

カーヴェさんは、ハメネイ師殺害の知らせを最初はなかなか信じられなかったと話す。

「その瞬間がきたら、どれだけ幸せだろうとずっと想像していたのに、いざその時がきたら、そうは思えなかった」のだという。

「自分の人生のほぼすべて、自分と同じような何百万人の人生が破壊されて、実に大勢が命を落とした……。それなのに、その当人は一瞬で舞台から消えた。そのことに自分は本当に怒った」

サラルさんは、最高指導者の死を道で祝う人たちが出るとは、予想していなかったと話す。

「攻撃後の街は、当局の警備がすごかった。今もそうだ。」

2人とも、この戦争が自分と家族と国に、何をもたらすのかわからないと言う。

「以前と同じでいられる人などいないと思う」。多くの人が、ひどいストレスに参っているとサラルさんは言う。

「国外の人たちは、特に王党派は、ここで私たちが何を経験してどういう思いでいるか、何も分かっていない」、「分からないままでいられるようにと思う」

王党派とは、亡命中のレザ・パーレヴィ元皇太子を支持する人々のことだ。イラン最後の国王(シャー)だった彼の父は、1979年のイスラム革命で失脚した。

カーヴェさんは、この戦争は「思ったほど早く終わらないだろう」と述べた。

「それでも、私の希望はそのままだ。むしろ毎日強くなっている」

「この『作戦』の後、どうなるか分からない」ものの、「もしこれがなければ、もっと悪いことが確実に起きていた」と、カーヴェさんは話した。

「少なくともこれなら、生きる可能性がまだある。未来のための可能性がまだある」

(追加取材:アレックス・ボイド、ゴンチェ・ハビビアザド、キャロライン・ホーリー、トム・マカーサー)