解放されたウクライナ東部リマン、町に残るロシアの敗北と人的損失の跡
オーラ・ゲリン、BBCニュース(リマン)

勝利の姿は時に、荒涼としている。
ウクライナ軍が10月1日にロシア軍から奪還した、ウクライナ東部の町リマンもそうだ。がれきが散乱する、人けのない通りには、板を打ち付けた建物や焼け落ちた建物が並んでいる。壊れた屋根からぶら下がる金属板が、風にあおられている。あえて外出しようとする市民はほとんどいない。通りかかる住民の数は、通りかかる犬の数と同じくらいだった。この町の人口は、開戦前は約2万人だったのだが。
私たちが出会った一握りの住民は、数カ月にわたる砲撃で精神的にショックを受けていたし、自分たちの試練が終わったかどうかわからず戸惑っている様子だった。
元気だったのは、兵士を運ぶ装甲車に乗ったウクライナ兵たちだけだ。手を振り歓声を上げる兵士たちを乗せた車列は、松林に隣接した道路を通って町の外へと向かった。
ウクライナ部隊は、敗れたロシア側の人的損失の証拠の前を、ごう音とともに通り過ぎて行った。
5人のロシア兵の遺体が近くに横たわっていた。遺体は膨張し、ゆがんでいる。しかしこの人たちはかつて、誰かの夫や誰かの息子だったのだ。

5人は軍服に身を包み、ブーツも履いた状態で、まるで戦場に戻ろうとしているかのように見えた。しかし、逃げようとしたところを一斉に倒されたようだ。
そばにはロシアの軍服や寝袋、配給袋が山積みになって、打ち捨てられていた。名前の書かれた軍用バックパックもあった。持ち主がどうなったのかは私たちにはわからない。
ウクライナの人道支援団体の若いボランティア2人が慎重に、そして静かに、遺体に番号を振り、身元を確認できるものを探していた。
ボランティアたちは、道端に点在する地雷から数メートルの場所で膝をついて作業していた。地雷の濃い緑色は、草や葉っぱでカモフラージュされている。撤退に追い込まれた敵軍が残した地雷の脅威は続いている。撤退について、ロシア国防省は自軍が「より優位な位置に退いた」と説明しているが。先月にウクライナ北東部ハルキウ州でロシア軍の撤退が相次いだ後にも、同じような声明を出していた。
その後、ボランティアたちは遺体を黒い遺体袋に入れて車で運び出した。戦死した数人のロシア兵が、ようやく戦場を離れられたわけだ。

道端では、ウクライナ軍が奪ったロシアのT72戦車の上に、新品のウクライナ国旗が掲げられていた。
「自分たちが勝ちます」と、砲塔によじ登った若いウクライナ兵は笑顔で言った。「とても気分がいい。最高の気分です」。
ここで起きたことは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領にとって、敗北というだけでは済まされない。プーチン氏はここで完全に面目を失った。9月30日に世界に対し、リマンがあるドネツクを含むウクライナの4州を併合すると、それらの地域を「永遠にロシアにする」と宣言したばかりなのだから。
プーチン氏が宣言した翌日、ウクライナ軍がリマンに入り、ロシア軍は命からがら逃げ出した。
ウクライナによると、リマンが陥落する前に兵5000人ものロシア部隊が包囲された。私たちは、何人のロシア兵が死亡したか、あるいは捕虜になったのかは、把握していない。ウクライナ国防省はリマンに配備されていたロシア部隊のほぼ全員が「遺体袋に入れられたか、捕虜になった」とツイートした。
戦略的に重要なこの町は、ほぼ全域がロシアの支配下にあるルハンスク州への玄関口となっている。ウクライナはリマンでの勝利を足がかりに、さらに前進することを期待している。
レナさんと10歳になる息子ラディオンさんは、平和を願い、水道の復活を願っている。私たちがこの母子に出会ったとき、2人は5リットル容器に水を入れようと、井戸を目指して歩いていた。
「平和はくると思う」とレナさんは言う。レナさんは、黒い帽子をかぶり、ウールのジャンパーを何枚も重ね着していた。「平和であるべきです。みんな十分苦しんできたので。爆撃を生き延びるのがいちばん大変でした。地下室に避難して祈っていました。状況はまだ緊迫していますが、全体からすれば私は幸せです」。

学校に通えなくなったラディオンさんは、戦争の教訓を学んだ。深い青色の帽子の下のラディオンさんの表情は沈んでいる。「リマンでは爆撃が多くて、少し怖かったです」、「戦争はとても悪いことです。大勢が死んでしまうので」とラディオンさんは私たちに話してくれた。「前よりは心が落ち着きました」。
この町には、今もトラウマにとらわれている様子の人たちがいる。66歳のナディアさんもその1人だ。彼女は1人きりでゆっくりと道路を歩いていた。まるで自分の周りにあるものを認識できていないかのように。
「最善の結果を願っています」とナディアさんは話した。「そして、彼ら(ロシア人)がここに戻ってこないことを願っています。とてもひどい状態でした。双方が発砲していて。私たちには何も理解できていませんでした。静かになったので外に出て料理をし始めると、また(攻撃が)始まりました。私たちはみんな気が狂ってしまった」
ナディアさんは私たちに問いかけた。
「なぜ私が爆撃される?」と、私たちに訴えかけた。「私は何も悪いことをしていないのに。殺しもしていないし、盗みもしていない。なぜこんなことになるのかわからない。あなたたちなら説明できるのかもしれない。私たちは正しく暮らしていたし、すべてが順調で、私たちは働いていただけ。それが一瞬にしてひっくり返ってしまった」。
町中の壁や売店、バスシェルターには親ロシア派のスローガンが書き込まれている。閉まったままの店の正面には、「ソヴィエト社会主義共和国連邦」を意味するキリル文字の頭文字「CCCP」が書かれてある。
プーチン大統領は、自分が若いころのソ連の復活を願っているのかもしれない。しかし、リマンの荒廃した町並みはプーチン氏の失敗のあかしとなっている。
ウクライナには今、勢いがある。そして、西側からの武器供給が許す限り、迅速に行動しなくてはならないと理解している。凍てつく冬が訪れれば、戦線は動かなくなるだろう。より多くの領土を取り戻すためのチャンスは、あと数週間限りかもしれないのだ。











