死者50人はどういう人たちか……次第に明らかに ニュージーランド銃撃

Tribute sign at the Botanic Gardens in Christchurch

画像提供, AFP

画像説明, 「がんばろう」という意味のマオリ語「キア・カハ」と共に、「みんな大好き!」と書かれた追悼のカード(ニュージーランド・クライストチャーチの植物公園で)

ニュージーランドの南島にあるクライストチャーチで15日、モスク(イスラム教の礼拝所)2カ所で銃撃事件があり、約100人が死傷した。警察は遺族には連絡しているが、被害者の名前を公表していない。しかし、死亡が確認された50人の情報が少しずつ明らかになっている。

最初の発砲現場となったアルヌール・モスクでは42人、約5キロ離れた次のリンウッド・モスクでは8人が死亡した(その内1人は搬送先の病院で死亡)。

マイク・ブッシュ警視総監によると、検視手続きが終っていないため、遺体はまだ遺族に返していない状態だという。

被害者の出身国は多岐に渡り、その多くは地元の混乱や紛争を逃れてニュージーランドに安住の地を見出した難民だったことが分かっている。

これまでに死亡が伝えられた、もしくは行方が分からなくなっている人たちの一部は次の通り――。

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ムカド・イブラヒムちゃん(3つ)

最年少の犠牲者とみられるムカドちゃんは、父親や兄のアブディさんとモスクを訪れていた。父と兄は助かった。

AP通信によると、警察は家族にムカドちゃんの死を伝えたという。

地元ニュースサイト「スタッフ」に兄のアブディさんは、「すごくつらい。大勢が電話してきて、何かできることはないかと聞いてくれる。こんなことは初めてで、すごく大変だ」と言い、ムカドちゃんは「元気いっぱいで遊ぶのが好きで、いつもニコニコ笑っていた」と話した。

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アッタ・エラヤンさん(33)

Atta Elayyan was praying at the Masjid Al Noor Mosque when he was shot

画像提供, Photosport

画像説明, アッタ・エラヤンさんはアルヌール・モスクで祈っている最中に撃たれた

ニュージーランド・フットボール協会(NZF)によると、クウェート出身のアッタ・エラヤンさんはニュージーランドのフットサル代表チームのゴールキーパーだった。

代表チーム「フットサル・ホワイツ」の試合に19回出場するほか、2010年に自ら立ち上げたテクノロジー・コンサルタント会社LWAソリューションズを経営していた。

NZFの広報担当、ジョシュ・マーゲッツ氏は「心にぽっかり穴が開いている」と悼み、「アッタは素晴らしい人で、フットサル・ホワイツやフットサルのコミュニティーのみんな彼のことが大好きだった。今の自分たちの気持ちはとても言葉にできない。本当に寂しい」と述べた。

妻のファラーさんと2歳の娘アヤちゃんが残された。遺族支援のためクラウドファンディングの募金ページが立ち上がっている。

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ダウード・ナビさん(71)

A mobile phone showing an image of Daoud Nabi

画像提供, Reuters

ナビさんは1980年代後半、ソ連侵攻を逃れるためアフガニスタンからニュージーランドに移住したという。

ビンテージ車を愛する技師で、引退後はニュージーランドでは地域のまとめ役として活動していたという。地元のアフガン組織の代表で、他の移民グループも応援していた。

銃撃犯が最初にモスクに乱入したとき、他の人をかばって犠牲になったと言われている。

息子のオマールさんは米NBCニュースに対して、「相手がどこの出身だろうが、パレスチナだろうがシリアだろうがイラクだろうが、真っ先に手を差し伸べる人だった」と話した。

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サイード・ミルネさん(14)

サイードさんは大きくなったらサッカー選手になるのが目標だった。

15日には母親と一緒に、アルヌール・モスクを訪れていた。父親は9日の時点で地元メディアに、「正式には死亡を確認していないが、目撃情報があるのでいってしまったのは知っている」と話していた。

「生まれたときに死にかけた子で、とても勇敢だった。本当に辛い。誰も何も大事にしない人間に、あっさり撃ち殺されてしまった」

「あの子がいまどこにいるか分かっている。今は安らかなはずだ」

カシミア高校のマーク・ウィルソン校長はニュースサイト「Newshub」に、サイードさんが「優しい目と広い心、いたずらそうな笑顔の、素晴らしい子供だった」と話した。

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ナイーム・ラシドさん(50)

パキスタン・アボタバード出身のナイーム・ラシドさんは、クライストチャーチで教師として働いていた。

Naeem and Talha Rashid

画像提供, Family handout

画像説明, 数年前にニュージーランドで並んで写真に収まったナイーム・ラシドさんと息子のタルハさん

アルヌール・モスクの銃撃を犯人が撮影したビデオで、ラシドさんは犯人につかみかかろうとしていた様子が見える。

ラシドさんは重傷を負い病院に運ばれたが、死亡した。パキスタン外務省が死亡を確認した。

ラシドさんの兄弟のクルシド・アラムさんはBBCに、「勇敢な人間だった。犯人を止めようとして何人かの命を救ったという目撃証言があります。英雄になるが、それでもショックだ。誇りに思うが、それでも喪失は大きい。腕を切り落としたみたいです」と話した。

パキスタンのイムラン・カーン首相はツイッターで、「白人至上主義のテロリストにつかみかかり殉教した」ラシドさんを称え、「国の勲章でその勇気を表彰する」と書いた。

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タルハ・ラシドさん(21)

タルハさんはラシドさんの長男で、11歳で家族と共にニュージーランドに移住した。パキスタン外務省がその死亡を確認し、発表した。

友人たちによると、タルハさんは最近新しく就職し、近く結婚する予定だったという。

ラホールに住むおじは、「数日前にナイーム・ラシドと話したとき、パキスタンに戻り息子を結婚させる予定だと話していた」と明らかにした。

ラシドさんの別の息子は、病院で手当を受けている。

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ぜーシャン・ラザさん、グラム・フサインさん、カラム・ビビさん

ゼーシャン・ラザさん(38)は、グラム・フサインさんとカラム・ビビさんの1人息子だった。

ラザさんは工学の学位を持ち、オートバイを専門にしていた。2014年にニュージーランド永住権を取得しオークランドに移住した。事件のわずか数日前にクライストチャーチへ引越し、アルヌール・モスクの近くの家を借りたばかりだった。両親は今月中旬から息子に会いにクライストチャーチを訪れていた。

グラム・フサインさんはパキスタン・カラチで育ち、引退するまでパキスタン航空で働いていた。カラム・ビビさんはカラチ生まれで、両親はパンジャブ州出身だった。

Ghulam Husain, Karam Bibi and their grandchildren

画像提供, Maryam Gul

一家は15日、ラザさんが通い始めたモスクを訪れ、3人とも犠牲になった。遺体はニュージーランドに埋葬される。

夫妻の娘、マリヤム・グルさんが残され、「出来るだけ早く(クライストチャーチに)行きたい」とBBCウルドゥー語に話したが、葬儀には間に合わないという。

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ハルーン・メフムードさん(40)

メフムードさんは約5年前、生物化学の博士課程で学ぶため、妻と子供2人と共にパキスタンからニュージーランドに移り住んだ。

近親者はBBCウルドゥー語に対して、今回の事件は悲劇だが、イスラム教やムスリム(イスラム教徒)に対する世界の偏見に対抗するためにも、パキスタン人にもっと海外留学したもらいたいと話した。

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さらにパキスタン人3

パキスタン外務省がほかに、死亡確認を発表したのは、

7人は、ソハイル・シャヒドさん、サイード・ジャハンダド・アリさん、サイード・アリーブ・アフメドさん。

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ファラージ・アーサンさん(30)

Farhaj Ahsan

ファラージ・アーサンさんは10年前、インド・ハイデラバードから移住し、電気技師として働いていた。結婚して3歳の娘と生後6カ月の息子がいた。

兄弟のカシフさんはBBCに、ニュージーランド当局から死亡の連絡があったと話した。

父サイードゥディンさんはBBCテルグ語に対して、「平和を愛するニュージーランドのような国で、こんなことになるとは誰も想像していなかった」と話した。

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ホスネ・アラ・アフメドさん(44

Hosne Ahmed

画像提供, Family handout

アルヌール・モスクの女性礼拝室にいたとされるホスネ・アラさんは、バングラデシュ出身。半身不随で車椅子を使う夫を探している最中に亡くなった。同じくバングラデシュ出身の夫、ファリド・ウディン・アフメドさんは助かった。夫妻には14歳の娘がいる。

アフメドさんによると、ホスネさんは事件当時、女性や子どもたちをモスクから逃がそうとしていたという。

「妻のしたことを誇りに思います。妻は善行のために亡くなった。正に自分が愛する通りに、私が愛する通りに行動したのです」と、アフメドさんはBBCの取材に答えた。

「私は妻を亡くしたが、犯人を憎んではいません。人として犯人を愛しています。彼を許し(中略)彼のために祈ります」

動画説明, 銃撃で妻を失い……犯人を「人として愛し許す」
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ザカリア・ブイヤンさん

インド社会文化クラブによると、ブイヤンさんは大工で、2011年にクライストチャーチを襲った大地震の後、市内復興に参加した。

ブイヤンさんの遺体は、警察がアルヌール・モスクを捜索した際に発見されたもようで、身元確認が遅れた。

ニュージーランドに近親者はいないが、友人たちは週末にかけて集会を開き、なぜ発見が遅いのか抗議した。

「兄弟が行方不明だ。せめて何か情報をください」とプラカードに書いた人もいた

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モザメル・ハクさん

ハクさんは歯学生として約2年前からクライストチャーチで学び、モスクの常連だった。

一緒の家に住んでいた親友のジャヒルル・イスラムさんはラジオ・ニュージーランドに対して、遺族は息子の遺体をバングラデシュに戻してほしいと切望していると話した。

「彼の両親も僕も、世界を失ってしまった」とイスラムさんは述べた。

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オマル・ファルークさん(36)

バングラデシュ出身のファルークさんは、ニュージーランドで溶接工として働いていた。

友人たちは地元メディアに、ファルークさんがバングラデシュに残していた妻は妊娠中だと話した。

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アブダス・サマドさん(66)

バングラデシュ出身のサマドさんは、1980年代にクライストチャーチのリンカーン大学で博士号を取得し、近年では同大学で教えていた。アルヌール・モスクでは祈りを主導することもあったという。

妻と息子2人とニュージーランドに住み、以前はバングラデシュの農業大学でも教えていた。

友人で同僚のムハンマド・アブドル・ワハブ教授はBBCベンガル語に、「クライストチャーチのモスクが攻撃されたと知ってただちに、アブダスのことを思った。とても信心深く、率先して祈りを先導していた」と話した。

「大丈夫かどうか心配して、家族にもその話をしていた。その日のうちに、甥(おい)にテレビのニュースを知らされ、不安が現実になってしまった」

Abdus Samad

画像提供, Family handout

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ハフィズ・ムサ・ヴァリ・パテルさん(52)

ハフィズさんは重傷を負い、搬送先の病院で亡くなった。家族がBBCグジャラト語に、その死亡を確認した。

兄弟のアユーブ・パテルさんは「とても明るい人間だった」と話した。

宗教学者のハフィズさんは事件の20日前、それまで住んでいたフィジーからニュージーランドに移住したばかりだった。息子2人はオーストラリア、娘2人はニュージーランドにそれぞれ暮らしている。

「30年以上前にインドを出て、毎年帰省していた」とアユーブさんは話した。「みんな完全なショック状態だ」。

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ハレド・ムスタファさん

在ニュージーランドのシリア人支援団体「シリア連帯ニュージーランド」は、シリア難民のハレド・ムスタファさんがアルヌール・モスクで殺害されたと話している。

Khaled Mustafa smiling and standing with a horse

画像提供, SSNZ

画像説明, ハレド・ムスタファさん

同団体によると、ムスタファさんはシリア内戦を逃れ、2018年に家族とニュージーランドに移住した。ニュージーランドを安全な避難場所と考えていたという。

16歳の息子ハムザさんが死亡し、もう1人の息子ザイードさんは重傷を負い手術を受けた。

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ハムザ・ムスタファさん(16)

ハムザ・ムスタファさんは、ハレド・ムスタファさんの息子で、家族でシリアを逃れて難民としてニュージーランドで暮らしていた。「シリア連帯ニュージーランド」が16日、その死亡を確認した。

ハムザさんが通ったカシミア高校のマーク・ウィルソン校長は、思いやりのある素晴らしい生徒だったと悼んだ。

ウィルソン校長はニュースサイトNewshubに、「ここで過ごした時間は短かったが、大勢の友達がいた」と話した。

ハムザさんの弟のザイードさんは引き続き、入院で治療を受けている。

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リンダ・アームストロングさん(65)

ニュージーランド・オークランド出身のリンダさんは、家族のそばで暮らすためにクライストチャーチに引っ越した。

50代になってイスラム教に改宗し、甥のカイロン・ゴスさんによると、アルヌール・モスクに通う人たちに愛されていた。

ゴスさんはニュージーランド・ヘラルドに対して、「子供のように純真」なところのある人で、「大勢の旅人や移民や難民と親しくなり、自分の家と心の中と台所に招き入れていた」と述べた。

「不遇な人たちの友人だった」

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アムジャド・ハミドさん(57)

毎週金曜にはアルヌール・モスクで祈っていた医師のアムジャド・ハミドさんは、事件以来、行方が分かっていない。

家族はニュージーランドのメディアに対し、被害者たちが運ばれた病院を含め心当たりの場所はくまなく探したものの、まだ見つけられていないと話した。

妻のハハンさんは地元紙ニュージーランド・ヘラルドに対し、夫を「とても優しい人」と呼び、23年前に地元パキスタンを離れて移住したのは「これから生まれる子供たちや自分たちのため、より良い未来を築こうとしたから」だったと話した。

夫妻には息子がに2人いる。ハミド医師は、カンタベリー地区で心臓や肺の専門医として働いていた。

「この国は安全な場所だったはず。ニュージーランドは永遠に変わってしまう」と、息子のフサム・ハミドさんは話した。

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マティウラ・サフィさん

Matiullah Safi

画像提供, Afghan embassy

在オーストラリアのアフガニスタン大使館はフェイスブックで、マティウラ・サフィさんの死亡を確認したと発表した。

ニュースサイト「Stuff」によると、サフィさんは約9年前からニュージーランドで様々な仕事に就いて暮らしていた。

妻との間には息子6人と娘1人がいるという。

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フサイン・アル・ウマリさん(35)

フサイン・アル・ウマリさんは毎週金曜にモスクで祈ってから、両親宅で夕食をとるのが習慣だった。

最後に両親と話したのは事件前日の14日で、両親が買ったばかりの新車について興奮した様子だったという。

ジャナ・エザトさんとハジム・アル・ウマリさん夫妻は1990年代にアラブ首長国連邦(UAE)からニュージーランドに移住した。攻撃以来、息子から連絡がないという。

夫妻は地元ニュースサイト「スタッフ」に、フサインさんは「いつも他人を助けようとする」「優しい人」だと話した。

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タリク・オマルさん(24)

オマルさんはカシミア高校の卒業生だった。

友人によると、優しく謙虚な人柄だった。地元メディアによると、誰とも仲良くなるスポーツ好きだったという。

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リリク・アブドル・ハミドさん

ムハンマド・アブドル・ハミドとしても知られたハミドさんは、インドネシア出身。同国政府が最初に公表したインドネシア人の犠牲者となった。

2003年にジャカルタから妻とクライストチャーチに移住した。ニュージーランド航空の整備技師で、インドネシア人学生協会の会長だった。

航空海洋技師協会(AMEA)のスタン・レンウィック氏はNewshubに、ハミドさんは「とても好かれて」いたと話した。「身内の1人だと思われていた。それは、この国の技師仲間の間では最大級のほめ言葉だ」。

娘ザニア・アニンダヤさんはラジオ・ニュージーランドに対して、「いつも友達を作っていて、父といると寂しいと思うことがなかった」と話した。さらにザニアさんによると、何かの修理が必要となれば知り合いは真っ先にハミドさんに頼るのが常だったという。「たとえ時計でも、真っ先に頼られていたし、頼られればすぐにドライバーをもって駆けつけていた。どんな時でもどうすればいいか承知していた」。

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マヘボーブ・コカールさん(65

マヘボーブ・コカールさんは、引退するまでインド・グジャラトの電力会社の管理職だった。インドを2010年に離れた息子に会いに、妻と初めてニュージーランドを訪問しているところだった。

ロイター通信によると、イムラン・コカールさん(27)は父親をアルヌール・モスクまで送り届け、駐車場で待っていたとき、悲鳴を耳にした。玄関に走ったが、大勢が入り口をふさいでいたため中に入れなかったという。

インド紙ヒンドスタン・タイムズによると、コカールさんと妻は事件翌日の16日に、インドへ帰国する予定だった。

イムランさんの兄でグジャラト在住の、アルタフさんはBBCグジャラト語に、ニュージーランド政府からの連絡はまだで、「誰からも連絡がないので、家族みんなショックを受けて信じられない状態だ」と話した。

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ラミズ・ヴォラさん、アシフ・ヴォラさん

Ramiz and Asif Vora in a family picture

画像提供, Vora Family

ラミズ・ヴォラさんは15日、父アシフさんと一緒にアルヌール・モスクへ出かけた。帰宅するころに、生まれたばかりの娘も病院を退院する予定だった。

しかし、ヴォラ一家は新しい家族の一員を歓迎するよりも、赤ちゃんの新しい父親と祖父を埋葬しなくてはならない。ラミズさんとアシフさんは、アルヌール・モスクで殺害された。

保険外交員のアシフさん(56)の兄弟マーシンさんによると、アシフさんは妻と共に、インド・グジャラト州ヴァドダラの自宅を離れ、新しい孫と対面しにクライストチャーチを訪れていた。

ラミズさんは約7年前にニュージーランドへ移住し、クライストチャーチの工場で働いていた。

「モスクで殺されるなんて、2人がいったいどんな悪いことをしたというのか」とマーシンさんは嘆き、「世界に平和が訪れるよう祈っている」と話した。

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アンジ・アリ・バヴァさん(23)

A man pedals his bicycle past a poster of Anzi Ali Bhava, who was killed in Friday"s mosque attacks in New Zealand, in Kodungalloor town in the southern state of Kerala, India, March 17, 2019

画像提供, Reuters

画像説明, アンジ・アリ・バヴァさんを追悼するポスター(17日、インド・ケララ州)

アンジさんは昨年、インド・ケララ州からニュージーランドのリンカーン大学に留学し、農業ビジネス経営の修士課程で学んでいた。

15日には地元スーパーで働く夫ポナト・アブドル・ナザルさんと一緒に、モスクを訪れていた。

おじのナウシャド・カリッパクラムさんはBBCに、毎日のように母ラシヤさんに電話をしていたと話した。

「その電話がないまま、銃撃のニュースが広まるに連れて、ラシヤはパニックした。すると(無事だった)ナザルから電話があり、アンジが負傷して手当てを受けていると知らされた。亡くなったという知らせは、なかなかこなかった」

家族は遺体が故郷に戻るのを待っている。

「母親も兄弟も、アンジの将来に大いに期待していた。みんな衝撃を受けている」

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ジュナイド・カラ・イスマイルさん

インド人両親のもとニュージーランドで生まれたジュナイドさんは、インドが大好きで、国旗を自宅に掲げているほどだった。

親類のスレマン・カラさんはBBCグジャラト語に、ジュナイドさんが「できるだけしょっちゅうインドに帰国していた」と話した。「テロには宗教などない」とも述べた。

妻と子供3人が残された。双子の兄弟のザヒドさんはニュージーランドのラジオ番組に対して、自分は無事だったので、ただジュナイドさんの遺体を引き取って埋葬したいだけだと話した。

「生きていてほしかった。自分が死んでいればよかった。双子でも自分はいたずらで、ジュナイドのほうが良い子供で、そういうものだった。ジュナイドのことはそれしか言いたくない」

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ムハンマド・イムラン・カーンさん(38)

カーンさんはインドからニュージーランドに移住し、クライストチャーチでレストランを開いた。結婚して10歳の息子がいる。

インド南部テランガナ州に住むおじのマンズール・カーンさんによると、事件を受けて親族数人がニュージーランドへ向かった。

米シカゴにも近親者がおり、17日に追悼式が行われたという。

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オザイル・カディルさん(25)

カディルさんは、インド・テレンガナ州ハイデラバード出身の両親のもと、サウジアラビアで生まれた。

約1年前からクライストチャーチで航空学を学び、パイロットを目指していたという。

家族に親しい人がインドの地元紙に、カディルさんが犠牲になり家族は「落胆している」と話した。

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ムニル・スレイマンさん

スレイマンさんはエジプト出身の技師。1990年代にキリスト教からイスラム教に改宗し、より良い生活を求めてニュージーランドに移住した。

家族はBBCに、スレイマンさんがエジプトとニュージーランドの二重国籍を持っていたと話した。

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アシュラフ・モルシさん

エジプト出身のモルシさんが亡くなり、妻と子供2人が残された。モルシさんの遺体に付き添い、故郷エジプトに帰国する予定という。

モルシさんの兄弟ハレドさんはBBCアラビア語に、自分たちの母親は悲嘆にくれて、亡くなった息子の名前を繰り返し呼んでいると話した。

エジプトの労働力・移民省はフェイスブックで、ほかにアフマド・ガマルディン・アブデル・ガニさん、アシュラフ・アル・マスリさんの死亡を確認したと明らかにした。

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アブドゥカディル・エルミさん(70)

ソマリア出身のエルミさんには子供が4人いた。

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ムサ・ヌル・アワレさん(77)

アワレさんもソマリア出身だった。

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ヨルダン人4人

ヨルダン外務省は、フットサル選手のアッタ・エラヤンさんのほか、ヨルダン3人が死亡したと発表した。

3人の名前は、アブドル・ファタハ・カセム・イブラヒム・カセム、引退した技師のアリ・マフムード・アブドラ・アル・マダニ、カメル・モハマド・カメル・ダルウィシュ。

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