年老いた性労働者たちのホーム、同業の女性が開設 メキシコ
クレイトン・コン、メキシコシティー、BBCワールドサービス

画像提供, Clayton Conn
カルメン・ムニョスさんは長年メキシコ市の街角に立ち、性を売ってきた。「自分たちのような性労働者は年を取ったらどうなるのだろう」という疑問からスタートして、ホームの開設へ動き出した。
16世紀までさかのぼる古い建物に囲まれた、メキシコ市のロレート広場。カルメン・ムニョスさんが性労働の道に入った場所だ。あの日、職を探しにこの街へやって来た。広場に建つサンタ・テレサ・ラ・ヌエバ教会の神父は家政婦の口を見つけてくれることがある、と聞いていた。
ムニョスさんは当時22歳。読み書きができず、腕の中の赤ん坊を入れて7人の子供を抱えていた。はやる心で4日間待ち続け、ついに神父と会えたのだが、何の助けももらえずに追い返された。
「仕事はいくらでもある。この辺を自分で探しなさい。神父様の言葉はそれだけだった」と、ムニョスさんは振り返る。「私は泣きながら帰りました。神父様にそんな言い方をされて、とても傷ついてしまって」
その時、1人の女性が慰めに来てこう言った。

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「あそこにいる男が、一緒に来れば1000ペソやると言ってるよ」
当時の1000ペソは大金だった。1993年にペソが1000分の1に切り下げられたせいで、今の相場ではほんの5円ほどの価値しかないが。
ムニョスさんは「一度に1000ペソなんていう大金は見たことがない」と驚いて、「あの男の人とどこへ行けばいいの」と尋ねた。
「部屋へ行くんだよ」と答えた女性に、さらに問い掛ける。「部屋へ?そこで何の仕事をしたらいいのか、どうすれば分かるの?」
「そうじゃない。分からない子だね。ホテルへ行くんだよ」
「ホテルって?」
女性はそこで、ムニョスさんが何をすることになるのかをずばり伝えた。
ムニョスさんはようやく理解して、ショックを受ける。
「だめです、だめです。それだけは」
だが女性から返ってきたのはこんな言葉だった。「あんたの夫は石けんを買うお金すらくれない。その夫の相手はできても、子供たちを養ってくれるほかの男とはいやなのか」
ムニョスさんはすがるような思いでその男性について行った。男性は約束通りムニョスさんに1000ペソを渡したが、引き換えには何もいらないと告げた。君の弱みにつけ込みたくないと言って、泣いているムニョスさんの手に金を握らせた。
ムニョスさんはきっと戻ってくる。男性にはそれが分かっていたのだろう。
次の日、ムニョスさんの失意は覚悟に変わっていた。前日と同じロレート広場の片隅に立って、自分に言い聞かせた。「これからはもう、子供たちにひもじい思いはさせない」

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それから40年間、ムニョスさんはロレート広場の隅や周りの路上に立ち続け、性労働者として生計を立てた。
このあたりはメルセと呼ばれるにぎやかな地区で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に指定された世界遺産の一角をなす。道路で区切られた106区画の広さに、メキシコ市街で最も歴史が古いいくつかの建物や随一の繁華街、市内に7カ所ある中でも最大の歓楽街が並ぶ。どの区画にも必ず1軒はみずぼらしいホテルがある。
「性労働に足を踏み入れたばかりの頃は、お金の額に目がくらむ思いだった」と、ムニョスさんは振り返る。「自分には価値があるんだ、私と過ごすためにお金を払う人がいるんだということを知った。子供たちの父親からは、お前には何の値打ちもない、お前はものすごく醜い、と言われていました」。
売春という仕事には、大変な側面もあった。役所と仲介人の両方から金を請求された。殴られたり性的な嫌がらせを受けたりすることは茶飯事だった。薬物とアルコールの中毒にもなった。
そんな思いをしたにもかかわらず、ムニョスさんは感謝の言葉を口にする。
「性労働のおかげで子供たちを養うことができた。子供たちに雨露をしのぐ場所を、恥ずかしくない家を与えてやることができました」
そして長い年月の末、ムニョスさんはさらにほかの人々にも住む場所を与えることになる。

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ムニョスさんはある夜、道端で汚れた防水シートがうごめいているのを見かけた。「子供が入っているのかと思い、近づいてシートを持ち上げてみた」。
しかしそこで目にしたのは、3人の老女が肩を寄せ合って暖を取る姿。同じ性労働者の仲間だった。
「胸の痛む光景です。女性たちのそんな姿を見たら、人間として胸が痛みます」
ムニョスさんは女性たちを助け起こしてコーヒーを飲ませ、安ホテルの一室を取ってあげた。
この出来事をきっかけに、広場では年配の女性がたくさん働いていることに気づいたという。年を取ったせいで、そして路上に立つつらい生活のせいで容姿が衰えると、多くの女性が貧困のどん底に陥った。家族からも見放されて、行く場所がない。ムニョスさんはこの状況を何とかしようと心に決めた。
それから13年間、ムニョスさんは市当局に働き掛け、年を取って住む場所のない性労働者のための施設をつくってほしいと訴え続けた。何人かの有名な芸術家やメルセ地区の住人、同業の女性たちの協力を得て、ついに市を動かすことができた。ロレート広場から何本か通りを隔てた場所にある、18世紀の大きな建物を使わせてもらえることになった。
建物のドアを開け、足を踏み入れた瞬間の女性たちの喜びは計り知れなかった。「素晴らしい体験でした。みんなでうれし涙を流して、笑い声をあげて、大声で叫びました。『すごい、私たちの家ができた!』って」。

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ボクシング博物館として使われていたその建物を片付けるのは大変な作業だったが、2006年には最初のグループが入居した。ホームはアステカ文明の女神、ショチケツァルにちなんで「カーサ・ショチケツァル」と名付けられた。女性の美しさや性的な力を象徴する女神だ。
メルセの街の喧騒を離れてカーサ・ショチケツァルに入ると、中では女性たちが音楽に耳を傾けていた。
アクセサリーと造花作りの教室が開かれていた。十数人の女性たちがせっせとケーキを焼き、その香りがあたりいっぱいに漂っている。
カーサ・ショチケツァルでは女性たちに新たな技能を教えるだけでなく、健康と福祉向上のため、自分に自信をつける講習会や健康診断、カウンセリングも実施している。

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中央の中庭から入ったマルベーリャ・アギラルさんの部屋は本であふれている。パブロ・ネルーダの詩やトルストイ、カフカの小説がお気に入りだ。
「9歳の時からずっと、本が私の逃げ場でした」
60年近く前、子供の頃に両親に捨てられた。運よく別の女性に引き取られたが、16歳の時にこの女性が亡くなった。自力で家賃や学費を工面するしかない。
そんなことは無理だと分かって、体を売り始めた。「ほかにどうしようもなかった」と、アギラルさんは話す。
仕事を掛け持ちする合間に性労働もこなして、3人の子供はどうにか学校を出した。だが十代だった娘を白血病で亡くしたことから、重いうつ状態に陥る。働けなくなって家賃が払えず、家を追い出された。
そこで助け舟を出したのが、カーサ・ショチケツァルだった。アギラルさんは今、近くの市場でアクセサリーを売って生計を立てている。
「この家は、私の人生にも大きな価値があること、ほかのどんな女性にも負けないくらい私も胸を張っていいんだということを教えてくれました」と、アギラルさんは語る。
「今なら言えます。女性が純潔を失っても、尊厳まで失うことは決してないと」
ただひとつ悲しいのは、健在の子供たちが口をきいてくれなくなってしまったことだ。

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カーサ・ショチケツァルには現在ほかに25人、高齢またはホームレスの女性たちが暮らしている。年齢は55歳から80代半ばまで。すでに引退した女性も多いが、何人かは今も現役で街に立つ。
ここへ駆け込んできた性労働者は、11年間で250人を超えた。だが大きな壁に突き当たったこともある。
カーサ・ショチケツァルの資金は不安定だ。市当局からの補助金は削られ、慈善家の寄付に頼っている。

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それに入居者がみんな仲良くやれるわけではない。今でこそ友達やルームメイトだが、かつて路上ではライバル同士、敵同士だった女性たちもいる。
「これまで人に利用されたり食いものにされたり、殴られたり取り残されたりしてばかりだったから、私たちはいつもたいていピリピリしている」とムニョスさんは説明する。「爪をむき出しにして、襲われたらいつでも襲いかかれるように構えているのです」。
だがどんな家族にもぶつかり合いはあると、アギラルさんは言う。「私たちはここで、お互いに気遣うことを教わった。何かを手に入れるために戦う、そんな戦いに値する何かがあるということも教わった。それがホームに調和をもたらしているのです」。
調和とまではいかないにせよ、ここには少なくとも平穏な空気がある。そして、路上で人知れず死んでいくことはないのだという安心感も。
ムニョスさんはこう語る。「人生の最後に、尊厳ある静かな日々を過ごせる場所。これはがんばった私たちへのごほうびです」。
いつの日か、ムニョスさん自身もここへ入るつもりだという。

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