【現地報告】「恐ろしすぎる」絶え間ない砲撃と遺族の嘆き ウクライナ南部ヘルソンから市民避難
ヨギタ・リマエ、BBCニュース、ヘルソン

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13歳のニカ・セリワノワさんは、両手でハートの形を作り、親友のインナさんに手を振った。ヘルソン駅の出入り口ホールと、待機エリアはガラスで仕切られている。インナさんはそのガラスにはりついていた。
少し前まで、2人は涙ながらに抱き合っていた。ニカさんは、温かい毛布にくるんだ茶色いダックスフンドの「アジア」を抱きかかえ、インナさんはその「アジア」にもキスしていた。
ニカさんとインナさん。仲良しの少女2人は、いつまた会えるか分からない。
ニカさんの家族はヘルソンから避難しようとしていた。しかし、最終的にどこまで行くのかは定かでなかった。とりあえずはウクライナ西部フメルニツキへ行き、そこで支援を求めるつもりだった。
ニカさんの母エレナさんにとって、ヘルソンでのここ数日はひどすぎて、彼女は限界を超えてしまった。
「(ロシア軍の)砲撃の回数は前は1日に7回から10回だった。それが今では1日に70~80回、1日中ひっきりなしに続く。恐ろしすぎる」とエレナさんは話した。「私はウクライナも、この大好きな街も愛している。でも、行かないと」。
エレナさんと3人の娘のほか、12月25日のクリスマス当日から400人以上がヘルソンを離れた。ロシア軍による砲撃が激化したからだ。
避難手段はウクライナ政府が手配している。その列車に、エレナさんたちは乗り込んだ。

このほか、大勢がそれぞれにヘルソンを離れている。多くの車が行列し、ヘルソンを出る検問所の前に並んでいる。どの車も、おびえる市民でいっぱいだ。
並ぶ車のひとつに私たちが近づくと、イリナ・アントネンコさんは車内で泣いていた。
「もう耐えられない。砲撃がすごすぎて。今まで、ずっとここにとどまっていました。いずれ止んで、私たちは運が良かったってことになるだろうと思って。でもお隣の家が直撃されて、私の父の家も砲撃されたんです」
イリナさんは、親族のいる中部クリヴィ・リフまで行くつもりだと話した。

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わずか1カ月余り前のヘルソンでは、市民が歓喜する光景が繰り広げられていた。2月の侵攻開始から2日後にロシア軍に占領されたヘルソンは、11月11日に解放されたのだ。
ロシアからの解放を祝い大勢が集まり、ウクライナの国旗を振っていた広場の近くは、クリスマス・イブに砲撃された。11人が死亡し、数十人が負傷した。
死亡した中には、ソーシャルワーカーや精肉業者がいた。携帯電話のシム・カードを売る女性もいた。街の中央市場で働く人や、市場に買い物に来た、一般の人たちだ。
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ウクライナ政府によると、24日のヘルソンには41発の迫撃砲が着弾した。
ロシア軍は11月のヘルソン撤退時、ドニプロ川の東岸まで後退した。今の連日の攻撃は、そこから展開している。ウクライナ南部の戦場において今では、ドニプロ川が事実上の最前線だ。


ヘルソンは戦略的に重要な地域で、クリミアへの玄関口としばしば呼ばれる。ロシアは今やここで防戦を強いられていると、多くのアナリストが見ている。
ヘルソンへの徹底的な砲撃で何が得られるとロシアは思っているのか、分かりにくい。迫撃砲に加えて、焼夷弾(しょういだん)が使われるのを、私たちは目にした。標的を燃やすことを目的とする炎が、街に降り注いでくるのだ。
加えて、ウクライナ軍がドニプロ川の左岸を奪還しようとしているのかどうかも、判然としない。

ここヘルソン市内では、迫撃砲の絶え間ない爆音がひっきりなしに続く。
セルヒイ・ブレスフンさん(56)は、寝ているところを攻撃され、死亡した。砲撃されて崩れた自宅の下敷きになったのだ。

セルヒイさんが亡くなった翌日、母タマラさん(82)に私たちは出会った。破壊された自宅跡を訪れたタマラさんは、がれきの合間で、息子のパスポートを探していた。遺体安置所から息子の遺体を引き取るのに、旅券が必要だったのだ。
「何か悪いことが起きると、私は予感していたみたいです。電話で話をした時、家を離れるよう息子に何度も言ったので。でも息子は家にずっといて、それでおしまいでした。私たちの暮らしはもう台無しです」
タマラさんの話を聞き終わるや否や、大きい爆発音がいくつも続いた。
年老いた母親が、息子にせめてもの弔いをしようとひとり、がれきの中で旅券を探す。それは危険な行為だ。ヘルソンに安全な場所などないので。

外にいようが家の中にいようが、この街で生き延びられるかどうかは、偶然のめぐり合わせに過ぎなくなっている。
39歳のヴィクトリア・ヤリシュコさんは、赤十字で働くボランティアだった。ヘルソン市内にある赤十字拠点のすぐ外、安全からわずか数メートル離れた場所で、迫撃砲のため死亡した。
母親のリュドミラ・ベレジナさんは、ヴィクトリアさんに授けられた名誉勲章を私たちに見せてくれた。
「娘が大勢の人を助けたのを、とてもうれしく思っています。とても優しい子でした。それでも同時に、とてもつらいです。孫2人を私が引き取って育てなくてはなりません。孫たちには、あなたのお母さんは英雄なのだから、誇りに思わなくてはねと教えています」とリュドミラさんは話した。

ヴィクトリアさんは子供2人と、赤十字の地下シェルターで暮らしていた。残された17歳のアリョヌシュカさんと12歳のサシャさんは、今も赤十字シェルターにとどまっている。家族同然になったボランティア・グループの人たちに守られ、慰められている。
「これほど身近な人が亡くなると、とてもつらい。それでも、私たちが活動をやめて諦めてしまったら、彼女の死は無駄になってしまう。ほかの人たちが確実に生きられるよう、私たちは働いている。それ以外のことはすべて二の次だ」。ヴィクトリアさんの友人で同じ赤十字ボランティアのドミトロ・ラキツキさんは話した。
しかし、自分の家族が常に危険にさらされていると分かっている状態で、その活動を続けるのは大変なことだ。
数分もしないうちに、さらに爆音が続いた。ドミトロさんは妻に電話がつながるのを待ちながら、その場を行ったり来たりした。表情は緊張でこわばっていた。ドミトロさんには子供が2人いる。
「(妻たちは)街を離れたくないと言っている。家族は僕のことを心配して、僕は家族を心配する。僕たちはそうやって生きている」

「何より腹が立つのは、(ロシア軍が)必ず民間インフラを攻撃してくることだ。民家や団地やボイラー室など。どういう理屈でそういう攻撃をするのか、まったく理解できない」とドミトロさんは話した。
「電気や水は、ほとんどない。たまに少しだけ使えるようになっても、砲撃のせいでまた使えなくなる。夜はとても怖い。それでもまだガスがあるので、暖はとれる」と、住民のラリサ・レウトワさんは話した。
ヘルソンにはまだ数万人の市民が暮らしている。しかし今週になって少なくとも2回、現地の行政当局は住民に避難を勧告した。
この街はひっきりなしの、そして無差別の攻撃にさらされている。
(追加取材: イモジェン・アンダーソン、マリアナ・マトヴェイチュク、ダリア・シピジナ、サンジェイ・ガングリ)











