安倍晋三氏、日本の憲政史上最長の首相が残したレガシー
加藤祐子、ズバイダ・アブドゥル・ジャリル、BBCニュース(東京)

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日本の憲政史上最も長く首相を務めた安倍晋三氏は、そのタカ派的な外交政策と、「アベノミクス」として有名になった代表的な経済戦略で知られていた。高い人気を誇り、また非常に物議を醸した政治家でもあった67歳の安倍氏は、自由民主党を2度にわたり勝利に導いた。
その衝撃的な死は、戦前の日本政治における暴力的な日々を思い起こさせた。政治家の暗殺が、日常的ではないにせよ決して珍しいことではなかった時代を。一連の政治家暗殺は、第2次世界大戦に至った日本の歩みの一部だった。
人気を誇る一方で批判も多い政治家として、大衆の感情を強く揺さぶることは、安倍氏の政治手法の一部だった。安倍氏は大衆が必ずしも友好的ではないこと、そして批判には対抗していかなくてはならないことを、幼い頃から知っていた。
安倍氏が初めて首相を務めたのは、2006年9月から1年余りと短く、物議を醸した。しかし2012年12月に驚くべき政治的カムバックを果たし、健康上の理由で辞任する2020年9月まで権力を維持した。

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安倍首相が2期目を迎えた頃、日本は不況の真っただ中にあった。安倍氏が打ち出した経済政策は、低迷していた経済が成長を取り戻す一助となったと評価された。
また、2万人近い犠牲者を出し、福島第一原子力発電所のメルトダウン(炉心溶融)を引き起こした2011年の東日本大震災から立ち直ろうとする日本のトップとして、復興を指揮した。
2020年東京オリンピックの開催国として、2016年リオ・オリンピックの閉会式にスーパーマリオに扮して登場するなど、思いがけない瞬間もあった。
2020年には検査のため病院を度々訪れていたことから憶測が飛び交った。安倍氏は辞意を表明した際、持病の潰瘍性大腸炎が再発したことを明らかにした。
後任には盟友の菅義偉氏が就任したが、退任後も安倍氏は日本政界の有力者とみなされていた。
権力の座にのし上がる
安倍氏は安倍晋太郎元外相の息子、そして岸信介元首相の孫として、政治家一族のもとに誕生した。山口県やかつての長州藩に縁がある家系だ。そして安倍氏は、先祖の遺志を引き継ぎ、日本を強く偉大に、そして国際舞台で注目される国にすることが自分の使命だと感じていた。
第2次世界大戦中、中国・満州に対する日本の経済支配の強化に努め、戦後は自民党による政治的支配の基盤を作り上げることに尽力した岸信介氏を尊敬していた。安倍氏が抗議者を嫌うのは、尊敬する祖父が1960年の大規模な反政府デモ「安保闘争」の後に辞任に追いこまれたことが、その根底にあるのかもしれない。
安倍氏は1993年に衆議院議員に初当選し、2005年の第3次小泉改造内閣で官房長官として初入閣を果たした。そして2006年には戦後最年少の52歳で首相に就任した。

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しかし、約5000万件の年金記録の持ち主が分からない、いわゆる「宙に浮いた年金記録」問題など、一連のスキャンダルが第1次安倍内閣に大打撃を与えた。
2007年7月の参議院議員選挙で自民党は大敗を喫し、安倍氏は同年9月に持病の潰瘍性大腸炎を理由に辞任した。
しかしその後、2012年に首相に返り咲いた安倍氏は、薬の力を借りて病気を克服したと話した。
2014年と2017年にも再選を果たし、日本の憲政史上最も長く首相を務めた人物となった。
その人気には波があったが、自民党内での影響力を持っていた。同党は党則を改正し、安倍氏は連続3期まで総裁を務めることが可能になった。
物議を醸すナショナリスト
安倍氏は防衛・外交政策においてタカ派的な立場をとり、アメリカをはじめとする欧米諸国と対等な同盟国・パートナーであることの重要性を繰り返していた。
これは、日本の戦後の平和憲法を改定し、最終的に「普通の国」にするという長年の目標につながっていた。保守派は、アメリカが起草した憲法を第2次世界大戦での日本軍の屈辱的敗北を思い起こさせるものととらえている。
祖父の影響を受け、安倍氏は中国がアジアの支配勢力になることを警戒。日本は自国を守るために役割を十分に果たし、軍事力を持つ必要があるという信念を強めていた。
ナショナリスト的で軍備強化を重視する安倍氏の姿勢は、国内に深い分断をもたらした。平和憲法を大切にする一部の国民は、愕然(がくぜん)として強く警戒するようになる。反対に、戦後日本では長年、少数派だった露骨な修正主義やナショナリストたちは、安倍氏を支持し、がぜん勢いづいた。戦後日本では長いこと小声でささやかれるだけだったようなことが、声高に主張されるようになった。
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安倍氏のナショナリスト的考え方はしばしば中国や韓国との緊張を高めてきた。2013年に、第2次世界大戦前後の日本の軍国主義に関連する論争の的となっている東京の靖国神社を参拝した後は、特にそうだった。
度重なる参拝は、安倍氏が戦時中の日本の残虐行為を塗りつぶそうとしていると考える日本の左派勢力をも苛立たせた。

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安倍氏は2015年、集団的自衛権の行使容認を推し進め、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する」ために、海外へ自衛隊を動員することを可能にした。
日本の隣国だけでなく日本国民からも反対の声が上がったものの、同年9月、安全保障関連法は参院本会議で賛成多数で可決、成立した。
安倍氏が掲げていた、自衛隊を正式に日本の軍隊にするための憲法改正という大きな目標は今も達成されていない。この問題は今も日本で分断を生じさせている。
日本が北方領土と呼び、日本とロシアが領有権を主張する北海道沖の4島の日本への返還も実現できなかった。
アメリカのドナルド・トランプ前大統領との親密な関係性は、アメリカ主導の不利な関税から日本を守ることにつながったと評価されている。一方で、在日米軍経費の日本側の負担を増額することとなった。
経済と新型コロナへの対応
安倍氏は、財政規律を維持しつつ、デフレによるどん底から経済を回復させ、日本経済を強化することを目的とした包括的政策パッケージ「アベノミクス」政策を主導した。
この政策が人気を博し、安倍氏と自民党は2012年に政権に返り咲いた。しかし、2020年春に日本が再び景気後退に陥ると、大きな試練に直面した。その後も景気の低迷が続き、安倍氏のアプローチの有効性について疑問が浮上することとなった。

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新型コロナウイルス感染症COVID-19への安倍氏の対応をめぐり、疑念が生じたことも、さらなる人気の低下につながった。
国内観光を促進することを目的に打ち出した「Go Toトラベル」事業が、感染の再拡大につながったとの批判的な見方がある。
また、アベノミクスで掲げていた、働く女性の地位向上や不健全な労働文化の変革といった目標も達成されなかったと指摘されている。
国際的な場面では、トランプ政権下のアメリカが突如、環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱した後、参加11カ国による新協定TPP11をまとめあげたことが評価されている。
辞任と死去
安倍氏の首相辞任表明は、自民党内の派閥抗争を招いた。安倍氏が後継者の指名を避けたからだった。
結局、菅氏が後を引き継ぐこととなったが、続いて岸田文雄現首相が就任した後も、安倍氏は国政への影響力を持ち続けた。
そして7月8日、安倍氏は参院選の自民党候補者の応援のため、奈良市を訪れていた。
街頭演説中に、元海上自衛隊員の41歳の男に銃撃された。
NHKなどの報道によると、容疑者は「安倍氏に不満がある」としながらも、「政治信条に対する恨みではない」と話している。「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相と団体がつながっていると思い込んで犯行に及んだ」と供述しているという。
背後から撃たれ、首などに傷を負った安倍氏は、急ぎ病院に搬送されたが、同日午後5時過ぎに死亡が確認された。死因は失血死だった。
1987年に結婚した昭恵夫人が残された。
(追加取材:アンドレアス・イルマー)










