キリスト教カトリック教会のローマ教皇フランシスコが死去、88歳

2015年のローマ教皇フランシスコ

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キリスト教カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)は21日、教皇フランシスコが亡くなったと発表した。88歳だった。前日に復活祭(イースター)のミサのため聖ペトロ広場に出たのが、信者の前に姿を現した最後となった。

約14億人のカトリック信者が教皇の死を悼む中、世界中で礼拝が行なわれている。また、ヴァチカンの聖ペトロ広場やローマのサンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂では、故人をしのんで祈る礼拝が教皇のために行われ、大勢が参列した。

ヴァチカンは21日午前9時47分、教皇が現地時間午前7時35分(日本時間午後2時30分)に亡くなったと発表した。同日夜には、脳卒中と不可逆的な心不全が死因だったと明らかにした。

ケヴィン・ファレル枢機卿は午前の発表で、「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、深い悲しみをもって、私たちの教皇フランシスコの逝去をお知らせしなければなりません」と述べた。

「(現地時間)7時35分、ローマ司教フランシスコは、天の御父のもとに帰られました。教皇の全生涯は、主と、その教会への奉仕に捧げられたものでした」、「教皇は私たちに福音の価値を、忠実と、勇気、普遍の愛をもって、特に最も貧しい人々や疎外された人々への配慮のもとに、生きることを教えられました」とファレル枢機卿は述べた。教皇はローマ司教でもある。

枢機卿はさらに、「主イエスの真の弟子としてのその模範に計り知れない感謝をささげつつ、教皇フランシスコの魂を三位一体の神の限りなき慈しみの愛に委ねましょう」と追悼した。

ファレル枢機卿は教皇空位期間の管理責任者「カメルレンゴ」として今後、新教皇が決まるまでヴァチカン市国の教皇庁などの管理を担当する。

ヴァチカンの聖ペトロ広場に集まった人々(21日)

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画像説明, ヴァチカンの聖ペトロ広場に集まった人々(21日)

教皇は過去に胸膜炎を発症し、21歳のときに肺の一部を摘出していたため、細菌やウイルス、真菌によって引き起こされる肺炎に特にかかりやすかった。

カトリック教会の最高指導者としての12年間にも、何度も入院した。今年2月には感染症による重度の肺炎で入院し、5週間の治療を経て先月、退院したばかりだった。

教皇は最後の数週間も公の場に姿を見せた。復活祭を前にした聖金曜日と聖土曜日の礼拝は欠席したが、聖木曜日にはレジーナ・チェリ刑務所を訪問した。しかし、囚人の足を洗う伝統行事には参加しなかった。

死去前日の20日には、復活祭の式典のため、聖ペトロ大聖堂のバルコニーに車いすに乗って登場。広場に集まった群衆を前に、「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます」と祝福していた。さらにその後は、専用車に乗って信者を祝福しながら聖ペトロ広場を回った。

ヴァチカン高官が代読した復活祭メッセージの中で教皇は、 「信教の自由のないところ、思想や言論の自由、他者の意見の尊重のないところに、平和はありえません」と述べた。

また、「世界各地のさまざまな紛争の中で、どれほど多くの死が望まれていることでしょうか」と、平和を呼びかけた。

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1936年12月にアルゼンチン・ブエノスアイレスでホルヘ・マリオ・ベルゴリオとして生まれた教皇は2013年3月、前任のベネディクト16世が異例の辞任をしたのを受けて、南北アメリカ大陸および南半球から初めて教皇になった。

非ヨーロッパ系の教皇としては、741年に死去したシリア出身のグレゴリウス3世以来だった。また、イエズス会の神父としても、初の教皇だった。

教皇フランシスコの活動には「初めて」が多く、教会に改革を導入することを止めなかったが、伝統主義者の間でも人気を保っていた。

動画説明, ローマ教皇、イースターの式典に車いすで参加 米副大統領と面会も

遺言で質素な葬儀と埋葬を指示

教皇フランシスコの遺体は、教皇就任後に住むことを選んだヴァチカンのゲストハウス、「聖マルタの家」内にある礼拝堂に移される。「聖マルタの家」は、歴代の教皇が暮らした使徒宮殿の豪華な居室とは対照的な、機能的なしつらえになっている。

「カメルレンゴ」の役職をもつファレル枢機卿は21日夜、他の高位の教会関係者や教皇の家族と共に、教皇の死亡を公式に確認する儀式を執り行う。

その後、教皇の遺体は聖ペトロ大聖堂に安置され、弔問客が参列して敬意を表する。葬儀は通常、教皇の死後4~6日以内に行われる。

21日夜には、教皇の公邸の扉が封印された。また、カメルレンゴを務めるファレル枢機卿が、教皇の居室を赤いリボンで施錠・封印し、封蝋(ふうろう)で覆った。

動画説明, 枢機卿らが教皇の居室の扉を封印した

教皇の葬儀は豪華に執り行われるのが伝統だが、清貧を重んじたアッシジの聖フランチェスコにちなんだ教皇名を選んだ教皇フランシスコはあらかじめ、自分の棺(ひつぎ)は簡素な木のものにするなどの手順を指示していた。

また、亡くなった教皇の遺体は従来、聖ペトロ大聖堂の棺台に安置されるのが伝統だが、これについても教皇フランシスコは、自分の遺体はふたを開いた棺に納めたまま安置し、信者の追悼を受けられるようにするよう指示していた。

21日にヴァチカンが発表した遺言で教皇は、ヴァチカン市国内ではなくローマのサンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂に埋葬されることを希望していた。ローマの玄関口「ローマ・テルミニ駅」の近くにあるこの大聖堂は、さまざまな店舗が並び、多様なルーツの人が行きかう、にぎやかで庶民的な地域にある。

歴代教皇の多くは、ヴァチカンの聖ペトロ大聖堂を墓所に選んでいた。教皇がヴァチカン以外に埋葬されるのは、100年以上なかったこととなる。

教皇はさらに、「墓は床に設けられ、特別な装飾なしに、唯一『Franciscus』とだけ表記するように」と指示している。

教皇の死を悼む人々が、十字架を持って通りを歩いている(21日、ヴァチカン)

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フランシスコ教皇の死により、新しい教皇を選ぶための「教皇選挙会議(コンクラーヴェ)」が開始される。この選挙は通常、教皇の死後15日から20日以内に行われる。

新しい教皇が選出されるまで、教会の運営は「枢機卿団」によって行われる。カトリック教会の枢機卿は現在252人。そのうち80歳未満の135人が、コンクラーヴェへの参加資格を持つ。

枢機卿団はローマに集められ、秘密投票に参加する。彼らは合意に達するまでヴァチカンに閉じ込められ、外界との通信が遮断される。最初は135人のうち3分の2以上の支持を得た枢機卿が出るまで投票が続けられ、30回目までに決まらなければ、単純過半数で決まる。

選挙の結果は、教会の方向性を数十年にわたって決定する可能性がある。教皇フランシスコは前任者よりも、地理的および神学的に多様な背景を持つ枢機卿を大勢任命していたため、コンクラーヴェの結果は、従来よりも予測が難しいかもしれない。

教皇フランシスコは2013年3月に、5回目の投票で選出された。前任のベネディクト16世は2005年に4回目の投票で、その前のヨハネ・パウロ2世は1978年に8回目の投票で選ばれた。

世界各地から追悼の声

英イングランド教会の臨時指導者、スティーヴン・コットレル・ヨーク大司教は、教皇フランシスコは「神の聖なる人」であると同時に「非常に人間的でもあった」と評した。

「フランシスコの生涯と牧会は、仕えられるためではなく仕えるために来られたイエスに焦点を当てていた」と、コットレル大司教は声明で述べた。

イギリスのチャールズ国王も声明を発表し、「私たち夫妻は、教皇フランシスコの死を知り、深く悲しんでいる。しかし教皇が、その生涯と職務を通じて献身的に仕えた教会と世界に、復活祭のあいさつができたと知り、少し心が軽くなった」と述べた。

チャールズ国王とカミラ王妃は2週間前にイタリアを訪問。公式のヴァチカン訪問は教皇の健康問題のために中止されたが、非公開で教皇と会見していた。バッキンガム宮殿は、これが国王夫妻にとって「非常に重要で特別な瞬間」だったとした。

イギリスのキア・スターマー首相はソーシャルメディア「X」への投稿で、「教皇フランシスコの訃報に接し、深く悲しんでいる」、「すべての人にとってより公平な世界をつくるための教皇のたゆまぬ努力は、永遠の遺産として残ることになる」と追悼した。

また、「世界と教会にとって複雑で困難な時代における教皇のリーダーシップは勇気あるものだったが、常にとても謙虚だった」、「貧しい人々、虐げられた人々、忘れられた人々のための教皇だった」と述べた。

日本の石破茂首相は、「教皇フランシスコ台下の崩御は、バチカン市国民やカトリック教徒のみならず、国際社会全体にとっての大きな損失です」と声明を発表。特に、2019年の訪日では「広島及び長崎を訪問し、平和への力強いメッセージを発信」したと称えた。

チャールズ英国王とカミラ王妃が座っている教皇フランシスコと面会している

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画像説明, チャールズ英国王とカミラ王妃は2週間前、教皇フランシスコに会ったばかりだった

フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、各国の首脳としていち早く追悼のメッセージを公表した。教皇フランシスコを、「最も弱く、最も壊れやすい人々の側にいる謙虚な人」だったとした。

イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、「このニュースに私たちは深く悲しむ」とする声明を発表。「(教皇の)友情を享受する特権を私は得ることができた」、「(教皇は)今一度、方向転換し、『破壊ではなく、育て、修復し、保護する』という道を歩む勇気を世界に求めた」とした。

また、「その教えと残したものは失われない。私たちの心は教皇についての悲しみでいっぱいだが、彼が今、神の平安の中にいることを知っている」とつけ加えた。

スペインのペドロ・サンチェス首相は、「教皇フランシスコの死去を悼む。彼の平和、社会正義、そして最も弱い立場の人々への献身は、大きな遺産を残した。どうぞ安らかに」と「X」に投稿した。

オランダのディック・スホーフ首相は、「教皇フランシスコはあらゆる意味で民衆の人だった」とコメント。ポーランドのドナルド・トゥスク首相は、「善良で、温かく、繊細な人だった」と教皇をしのんだ。

欧州議会のロベルタ・メッツォラ議長は、「他の人に伝染する彼のほほ笑みは、世界中の何百万人もの心を捉えた」とした。

欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は教皇について、「その謙虚さと、恵まれない人々への純粋な愛で、カトリック教会をはるかに超えて何百万もの人々を鼓舞した」と述べた。

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、教皇は「希望を与え、祈りによって苦しみを和らげ、団結を育む方法を知っていた」と追悼した。

また、教皇がウクライナの平和とウクライナ人のために祈っていたと付け加えた。

「私たちは、教皇フランシスコに精神的な支えを求めたカトリック教徒やすべてのキリスト教徒と共に悲しんでいる。永遠の思い出を!」と、ゼレンスキー氏は投稿した。

イスラエルのイツハク・ヘルツォグ大統領は、教皇の「際限のない思いやり」を称賛。スイスのカリン・ケラー=ズッター大統領は、教皇を「偉大な精神的指導者、平和のための不断の擁護者」だったとした。

インドのナレンドラ・モディ首相は、教皇の死に「深い痛み」を感じていると述べた。

エジプトのアブドゥル・ファタハ・アル=シシ大統領は、教皇フランシスコは 「平和、愛、思いやりの声だった」と語った。

米ホワイトハウスは「教皇フランシスコ、安らかにお眠りください」という一文と共に、教皇がドナルド・トランプアメリカ大統領と大統領夫人(ファースト・レディー)のメラニア氏に会っている写真と、教皇が20日にJ・D・ヴァンス米副大統領に会っている写真を投稿した。

ドナルド・トランプ大統領はソーシャルメディアに 「教皇フランシスコ、安らかにお眠りください! 彼と彼を愛したすべての人に神の祝福がありますように!」と投稿した。

ヴァンス氏は教皇との会見を振り返り、「心からの哀悼の意を表する」と述べた。

ロシア大統領府(クレムリン)は、ウラジーミル・プーチン大統領が教皇を「ヒューマニズムと正義の最高の価値の擁護者」として記憶しているとの声明を発表した。

また、プーチン氏が「この傑出した人物と何度も交流する機会に恵まれ」、「彼のことを永遠に忘れられないだろう」とした。

聖ペトロ広場に集まる人々

白い修道服とベールを着て首に十字架をかけた女性が、聖ペトロ広場で教皇フランシスコの写真とロザリオを掲げている

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画像説明, 聖ペトロ広場で教皇フランシスコの写真とロザリオを掲げる修道女(21日、ヴァチカン)

BBCのダヴィデ・ギリオーネ記者は、教皇死去の一報を受けてヴァチカンへ向かう途中、通りで泣いている人々を見かけたと報告。教皇は今年初めから健康状態が悪化していたにもかかわらず、その死は大きな衝撃を与えていると伝えた。

ギリオーネ記者はまた、取材のために教皇の飛行機に同乗した際、教皇が自分の祖母について個人的な話をしてくれたと振り返り、「教皇は誰とでも何についてでも話すことができた」、「世界中の人々に影響を与える、愛される存在だった」と語った。

聖ペトロ広場で取材したソフィア・ベッティザ記者によると、広場では教皇フランシスコの死を告げる鐘が鳴り響いた。広場には大勢の人が集まったが、静まり返り、衝撃と悲しみの空気が広がっていたという。

インドや南アフリカ、デンマークなどから来ていた人々に話を聞くと、誰もが教皇について最も温かい思いを抱くのは、カトリック教会をよりインクルーシブ(包摂的)にしようとしていたところだと話したという。

聖ペトロ広場で教皇を悼むカップル(21日、ヴァチカン)

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画像説明, 聖ペトロ広場で教皇を悼むカップル(21日、ヴァチカン)