アメリカ映画界の象徴的存在、ロバート・レッドフォードさん死去 89歳

茶色い縁の眼鏡をかけて水色のシャツを着た、笑顔のレッドフォードさん
画像説明, ロバート・レッドフォードさん(2007年10月撮影)

アメリカ映画界を代表する存在だった俳優で監督のロバート・レッドフォードさんが16日、米ユタ州の自宅で亡くなった。89歳だった。大手スタジオを経由せずに若手作家の作品を押し上げる、サンダンス映画祭を立ち上げたことでも、映画界に大きく貢献した。

映画「明日に向かって撃て!」、「スティング」、「大統領の陰謀」などの出演作で知られるレッドフォードさんについて広報担当者は、「ユタの山中にあるサンダンスの自宅で、9月16日に亡くなりました。愛する場所で、愛する人たちに囲まれて。彼がいなくなって、みんなとても寂しくなります。家族はプライバシーを尊重してもらいたいと希望しています」と発表した。

レッドフォードさんは、1936年8月18日にカリフォルニア州サンタモニカでチャールズ・ロバート・レッドフォード・ジュニアとして生まれた。1969年の西部劇映画「明日に向かって撃て!」で世界的スターとなり、「追憶」、「華麗なるギャッツビー」、「ナチュラル」、「愛と哀しみの果て」など、数々の名作に出演。1980年には、「普通の人々」でアカデミー賞の監督賞を受賞した。

二人の銀行強盗を描いた「明日に向かって撃て!」で演じた「サンダンス・キッド」の名前にちなみ、インディペンデント系映画を大きく取り上げる「サンダンス映画祭」をユタ州で開催したことでも、映画界に重要な足跡を残した。

近年ではマーベル映画など様々な作品に出演を続けていたが、2018年に俳優業引退を発表した。

映画「明日に向かって撃て!」の白黒スチル写真。俳優二人が役を演じ、つばのある帽子をかぶっている

画像提供, Getty Images

画像説明, ポール・ニューマンさん(右)と共演した映画「明日に向かって撃て!」で「サンダンス・キッド」を演じ、レッドフォードさんは世界的なスター俳優になった

「とてつもない影響」

レッドフォードさんの訃報が伝わると、「愛と哀しみの果て」で共演した米俳優メリル・ストリープさんは、「獅子の一人が去った。素晴らしい友人、安らかに」と追悼した。

劇作家ニール・サイモンの戯曲を映画化した1967年の恋愛コメディ映画「裸足で散歩」で共演し、長年の友人だった米俳優ジェイン・フォンダさんは、「ボブがいなくなったと今朝読んで、とても衝撃を受けた。涙が止まらない。私にとってとても大切な人で、あらゆる意味で美しい人だった。彼が体現したアメリカのために、私たちは闘い続けないとならない」と述べた。

米映画監督ロン・ハワードさんはソーシャルメディアで「とてつもない影響力の文化的な存在」とレッドフォードさんを評し、「芸術的なゲームチェンジャー」だとたたえた。

タイプライターに向かうバーンスタイン記者役のホフマンさんが手にした原稿を、ウッドワード記者役のレッドフォードさんが指さしながら話している

画像提供, Getty Images

画像説明, 1976年公開の映画「大統領の陰謀」で、ウォーターゲート事件を明るみに出した米紙ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者を演じたレッドフォードさん(右)と、カール・バーンスタイン記者を演じたダスティン・ホフマンさん。原作の映画化権をレッドフォードさん自身が取得した

「謙虚な自分」と美男の代名詞

レッドフォードさんは、今年8月18日の誕生日に自分のインスタグラム・アカウントに「謙虚な自分、誕生日おめでとう」と投稿した。キャリアを振り返る数枚の写真と共に、自分の出演作や大統領自由勲章の受賞などに触れたうえで、ファンの長年の応援に感謝していた。

「サンタモニカの労働者階級の家庭で育って、大学を中退して、若くして母を亡くした。テレビの端役をいろいろこなして、ブロードウェーで学び、監督業やサンダンス(映画祭)の立ち上げに挑戦した。息子スコットを亡くしたことなど、個人的な喪失が、忍耐を教えてくれた。ここまで来られたのは、根性と情熱、そして芸術への愛のおかげだ」と、レッドフォードさんは書いていた。

さらに、「『スティング』から『リバー・ランズ・スルー・イット』まで、自分の作品が皆さんを感動させ、会話のきっかけになって、皆さんをほっとさせてくれた、そのことがとてもうれしい」とも書いたほか、「サンダンスは新しい映画作家に声を与えた。私の環境活動を通じて、いろいろな人がこの惑星を大事にしようと思うようになった。何もかも皆さんの支えのおかげで、私の旅路に参加してくれてありがとう」と投稿していた。

若いころのレッドフォードさんの白黒写真。かすかに微笑みつつ鋭い目つきでカメラの向こうを見ている

画像提供, Getty Images

画像説明, 「明日に向かって撃て!」の脚本家ウィリアム・ゴールドマンさんは当初、レッドフォードさんは「ただのありきたりなカリフォルニア・ブロンドに過ぎない」と軽視していたという

「明日に向かって撃て!」の大ヒットでレッドフォードさんは世界的スターとなり、その容姿からアメリカの美男子の代名詞ともなった。しかし本人は、多くのファンのあこがれの存在となったことに、居心地の悪さも感じていた。

かつて米誌ニューヨークには、「僕の見た目にみんなすごくこだわるから、自分が自意識過剰な原形質のかたまりにならなかったのは、まったく奇跡だ。ロバート・レッドフォードでいるのは、楽なことじゃない」のだと打ち明けていた。

「見た目がいいだけで、大した役者じゃないと言われるのも、自分にとってはつらいことだった」、「自分はいつでも、その時に演じている役を誇らしく思っていた。自分はその役になり切っていた」とも、話したことがあった。

アメリカン・ニューシネマ運動の代表作となったジョージ・ロイ・ヒル監督作品「明日に向かって撃て!」に続き、1973年には同じヒル監督の名作「スティング」で再びポール・ニューマンさんと共演した。詐欺師たちを描いた「スティング」で、レッドフォードさんはアカデミー賞主演男優賞の候補となり、映画はヒル監督の監督賞や作品賞を含め7部門で受賞した。

レッドフォードさんとニューマンさんは、画面上のコンビとして絶妙な相性があったのに加え、映画を離れても深い友情で結ばれていた。演劇好きという共通項などを通じて、ニューマンさんが2008年に死去するまで友人だったことが知られているが、2作以外の共演はなかった。

豪邸の門柱と黄色いロールズロイスのクラシックカーを背に、茶色にピンストライプのスリーピーススーツ姿で腕を組む、ギャッツビー役のレッドフォードさん

画像提供, Getty Images

画像説明, F・スコット・フィッツジェラルドの小説を映画化した1974年映画「華麗なるギャッツビー」で、主演したレッドフォードさん

サンダンス映画祭

映画界でのレッドフォードさんの特に重要な功績は、インディペンデント映画の発展を後押ししたサンダンス映画祭の創設だと広く評価されている。

サンダンス映画祭で初公開された映画には、「フォー・ウェディング」、「プレシャス」、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、「リトル・ミス・サンシャイン」、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」、「ゲット・アウト」などが数々の名作がある。

最初の妻ローラ・ヴァン・ワゲネンさんの地元ユタ州でスキーリゾートを購入し、「サンダンス」と名付けた後、1981年に若手映画人育成のためのサンダンス・インスティテュートを設立した。1978年にユタ・アメリカ映画祭を立ち上げ、1991年に「サンダンス映画祭」と改名した。

レッドフォードさんは2014年、サンダンス映画祭についてBBCに対して、「ニューヨークやロサンゼルスではやりたくなかった(中略)ユタにしよう、行きにくくしよう、妙なものにしようと言ったんだ」と話した。

「サンダンスは、みんなで集まって新しいアーティストを育てる場所にしようとして始めた。できればコミュニティーを作って、新しい作家が作品を発表する場になるように。私たちの使命は、今もまったく変わっていないと思う」とも、レッドフォードさんは話していた。

「30年前、若手作家には行く場所がなかった。それが今では、『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロンや『アメリカン・ハッスル』のデイヴィッド・O・ラッセルが、サンダンスを通じて頭角を現して、メインストリームで仕事をしている。それがとても誇らしい」

サンダンス映画祭で注目された多くの作品が、話題になり上映機会を増やし、アカデミー賞候補作となった。

「コーダ あいのうた」に出演したマーリー・マトリンさんはソーシャルメディア「X」で、「私たちの映画『コーダ』が注目されたのは、サンダンスのおかげ。サンダンスはロバート・レッドフォードのおかげで実現した。天才がこの世を去った。安らかに」と書いた。

レッドフォードさんは、ブラッド・ピットさん主演の「リバー・ランズ・スルー・イット」(1992年)などの監督を務めたほか、環境保護活動にも熱心だった。

2014年には「私たちのふるまいのせいで、この地球は病んだ惑星になってしまった」と話していた。

私生活では、ワゲネンさんとの間に4人の子どもをもうけたが、1995年に離婚。2009年にシビル・ザッガーズさんと再婚した。

ワゲネンさんとの長男スコットさんは、生後2カ月で乳幼児突然死症候群のため死去。次男ジェイムズさんは2020年にがんで亡くなった。娘のシャウナさんは画家、エイミーさんは映画監督として活動している。