バイデン氏に米兵2500人のアフガン残留を提言した=米軍トップが議会証言

Gen Mark Milley

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画像説明, 米軍のマーク・ミリー統合参謀本部議長

米軍のアフガニスタン撤退について調べている米上院の公聴会が28日開かれ、米軍司令官2人が、2500人規模の部隊を残すようジョー・バイデン大統領に提言していたと証言した。

上院軍事委員会の公聴会に出席したのは、米軍制服組トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長と、フランク・マケンジー中央軍司令官。

両者は、タリバンが権力を握ったアフガニスタンから8月末に撤退を完了する前に、部隊の一部残留を提言していたと説明。そうした意見を聞いた覚えはないとするバイデン大統領の発言と食い違を見せた。

ミリー将軍は、アフガン政府が崩壊した速さに、アメリカ側は不意をつかれた格好になったとも述べた。

公聴会にはロイド・オースティン国防長官も出席した。

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米軍のアフガニスタン撤退は、各国が自国民を帰国させたり、多数のアフガン人が国外に避難したりする動きを加速させ、カブール空港が混乱状態に陥った。

撤退が進んでいた8月26日には、空港ゲート付近で自爆攻撃が発生。米軍関係者13人と、少なくとも169人のアフガン人らが死亡した。

食い違いが浮き彫りに

中央軍司令官としてアフガニスタンからの撤退を指揮したマケンジー将軍は、野党・共和党の委員らからの質問に答え、2500人規模の部隊を残留させるよう提案したと証言した。

バイデン大統領は8月19日、そうした提言を受けた記憶はないと米テレビABCの記者に述べており、食い違いが明らかになった。

一方、ミリー将軍も、マケンジー氏の提案に賛同したと証言。ただ、バイデン氏の発言は「虚偽の説明」なのかと、野党・共和党のダン・サリヴァン委員(アラスカ州)に問われると、直接の返答は避けた。

公聴会後、ホワイトハウスのジェン・サキ報道官は、「軍統合参謀本部の(中略)率直な提言を、大統領は尊重している」、「しかし常に賛同するわけではない」と述べた。

また、8月の撤退期限後も米軍が残っていたら、アメリカは今ごろタリバンと戦争をしていただろうとの見解を示した。

反米勢力の再結集

ミリー将軍は公聴会で、「タリバンは以前も現在もテロ組織であり、アルカイダとの関係もいまだに断っていない」と説明。アフガニスタンでアメリカ人を守るのが、今後は前より難しくなるとの見方を示した。

「アメリカを攻撃したいアルカイダやISIS(イスラム国グループ)の再結集はかなり現実的な可能性だ。統治の及んでいない地域では今後12~36カ月で、活動の条件がそろう恐れがある」

US soldiers at Kabul airport, 26 August

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画像説明, アフガニスタンの多くの人々が国外への脱出を希望し、カブール空港に押し寄せた(8月26日)

ミリー将軍はまた、アフガニスタンからの部隊撤退を加速させれば同国政府の崩壊を早める可能性があるとの判断を、昨年遅くに示していたと述べた。

ただ、政府崩壊の速さは米軍の想定外だったと、ミリー将軍もオースティン国防長官も証言。

オースティン長官は、「私たちは国づくりを手伝ったが、建国はできなかった」と述べた。

「私たちと同盟国が訓練したアフガン軍が、多くの場所で1発の弾も撃たずにただ消えていなくなったのには、みんな驚いた」

BBCのアンソニー・ザーカー北米担当記者は、軍トップと大統領の説明が矛盾していることについて、バイデン氏が米国民にうそをついたと責める材料を共和党に与えたことになると説明する。

バイデン氏は提言を検討したが自らの判断に従ったと言うこともできたものの、提案は受けなかったと述べたことで、多くの政治家が過去にしてきたのと同様、自らの発言でトラブルを抱え込んでしまったと、記者は解説した。

中国軍側との電話協議

ミリー将軍をめぐっては最近、ドナルド・トランプ前大統領の在任中、中国の軍当局と電話協議をしていたことが明らかになった。内容は、トランプ氏に対する懸念だった。

このことは、ジャーナリストのボブ・ウッドワード氏の著書で判明した。同書によると、ミリー将軍は部下に対し、トランプ氏が核攻撃を命じた場合、それを実行する前に自分に確認するように指示していたという。

共和党のマーコ・ルビオ上院議員はこれについて、越権行為で「反逆罪に当たる」とミリー将軍を批判している。

しかし、この日の公聴会で将軍は、電話協議は当時のマーク・エスパー国防長官やクリストファー・ミラー国防長官代行との調整を経たものだったと説明。

「トランプ大統領に中国を攻撃するつもりはなかったと承知しており、そう確信している(中略)。私には中国にそれを伝える責任を、国防長官から与えられていた」

「緊張緩和が当時の私の役割だった。(中国への)私のメッセージは一貫して、『落ち着け、動くな、緩めろ。私たちはあなたたちを攻撃しない』というものだった」と述べた。