【解説】 救出か取引か イスラエル史上最悪の人質危機

フランク・ガードナー安全保障担当編集委員

Erez and Sahar Kalderon

画像提供, Ido Dan

画像説明, エレズさん(左)とサハルさんは家族と共に、イスラエル南部のキブツ(農業共同体)ニル・オズから連れ去られた

イスラエルが地上戦をにらみ、正規軍と予備軍の兵士計数十万人をパレスチナ自治区ガザ地区との境界付近に集結させている。だが、何ともしようがないような難しい状況にイスラエルは直面している。

ガザ地区のイスラム組織ハマスは7日にイスラエル南部に侵入した際、少なくとも150人を人質にとった。それらの人質は現在、ガザ地区内の秘密の場所で拘束されている。女性、子ども、高齢者もいる。

もうすぐ始まるとも言われるガザ地区での本格地上侵攻に、イスラエルが実際に踏み切った場合、どれくらいの確率で人質たちは生き残れるのだろうか。

妥協ムードは皆無

水面下では、カタール、エジプト、そしておそらく他の国々が、人質の一部解放に向けた交渉の努力をしているとされる。イスラエルの刑務所に収容されている36人のパレスチナ人女性と未成年者と引き換えに、ハマスが女性と子どもを解放するという案も浮上している。

しかし、イスラエルのライヒマン大学政策戦略研究所のシニアアナリスト、マイケル・ミルスティーン氏は、イスラエルが最優先するのは平時なら人質の返還だが、現在は軍事的脅威であるハマスの排除だと話した。

イスラエルとハマスは共に緊張と怒りが頂点に達している。妥協や譲歩の雰囲気はない。

イスラエル国民は、南部で国境がいとも簡単に武装集団に突破され、少なくとも1200人が(多くは冷酷な方法で)殺害されたことに衝撃と憤りを感じている。

一方のパレスチナ人は、ハマス以外の人々も含め、イスラエルによる2000回以上のガザ空爆で1000人超が死亡していることに大きなショックを受けている。ガザ地区では現在、燃料、電気、水、医薬品の供給が断たれている。

ハマスは、イスラエルが警告なしに空爆を実施し、ガザ地区で民間人の死者が出るたび、人質を1人ずつ「処刑する」と脅している。それがこれまでに実行された証拠はない。他方、イスラエルにも自制の兆しはほぼ見られない。意図的にガザ地区の大部分をがれきへと変えている。

ただ、ライヒマン大学のミルスティーン氏は、女性や子ども、高齢者を拘束し続けることには、ハマスはこだわっていないだろうとみている。それらの人々は、拘束すれば国際的に非難されるし、世話が大変だからだ。空爆が続き、人質の居場所をガザ内のイスラエル側スパイに知られないようにしている状況では、面倒をみるのは簡単ではない。

対照的に、拘束した兵士については、ハマスは最大限に利用するだろう。今後、交渉が始まった場合は、最大限の対価を要求するはずだ。

Fighter belonging to Hamas’ military wing stands in front of tunnel in central Gaza strip on 19 July 2023

画像提供, Getty Images

画像説明, ガザ地区中部のトンネルの入り口に立つハマス戦闘員。人質はこうした地下施設で拘束されているとみられている(今年7月撮影)

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困難な選択

こうした状況が、イスラエル政府をジレンマに陥れている。リスクを伴う軍事的な救出作戦を試みるのか。それとも、ハマスが空爆で弱体化して取引に応じる気になるのを待つのか。

後者にもリスクはある。人質は地下トンネルや地下壕(ごう)で拘束されているとみられるが、空爆の影響が及ぶ可能性がある。また、ハマス戦闘員が衝動的な怒りや、救出されてしまうとの見通しに基づいて、人質を殺す恐れは常にある。これは実際、2012年にナイジェリアでジハード(聖戦)主義者に拘束された人質2人の救出作戦で、イギリスとナイジェリアの特殊部隊が失敗した時に起きたことだ。

イスラエルは今回、人質対応の専門部署を素早く設置し、人質一人ひとりの身元と状況の確認を進めている。

イスラエル領内で拘束されていた人々については、イスラエル軍と警察の特殊部隊が救出した。その際、一緒にいたハマス戦闘員らは全員殺害した。しかし、イスラエル軍情報部に20年間在籍していた前出のミルスティーン氏は、「イスラエルがガザのすべての家や通りのデータを握っているわけではない」と警告する。ハマスは地下の部屋やトンネルのネットワークに、自らと人質を隠すことができる。

イスラエルは人質救出の実績をもち、訓練も集中的に実施している。1957年に創設されたイスラエルの秘密部隊「サイェレット・マトカル」は、イギリス軍の特殊空挺部隊(SAS)やアメリカの陸軍特殊部隊(デルタフォース)に似ている。1976年に、ウガンダの空港でハイジャックされた飛行機から人質を救出した「エンテベ空港奇襲作戦」で一躍有名になった。

この部隊の指揮したヨナタン・ネタニヤフ大佐は、イスラエル軍側の唯一の死者となった。現在のイスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフ氏は、その弟だ。交渉による人質解放に望みをかけるのか、それとも武力による救出という強硬手段に出るのか、その決断は彼が下す。

「史上最も難しい人質事案」

イスラエルに対しては、アメリカが機密情報と、おそらくは特殊部隊による支援も提供しているとの報道が出ている。米海軍は、地中海東部の沖合に大型空母群を展開させている。

しかしハマスは、戦力が大きく上回る相手と戦えることを、これまでに証明している。イスラエルはテクノロジーと火力で圧倒的優位に立っているが、ハマスはその差を補うことができる。

通信を最小限に抑え、デジタルの痕跡を残さないようにすることで、ハマスは7日のイスラエル奇襲を可能にした。150人超の人質を拘束している戦闘員らは、可能な限りオフラインの状態を保ち、電波を使わないだろう。人質たちからはほぼ間違いなく、すべてのデジタル機器を取り上げているはずだ。

「これは間違いなく、イスラエルにとって史上最も難しい人質事案だ」。前出のミルスティーン氏はそう話す。