【寄稿】「マナーが悪い」のは悪くない……こともある
カースティー・セッジマン博士、英ブリストル大学

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他人の振る舞いについて「マナーが悪い」と批判する人は多い。しかし「良いマナー」とは、誰が決めるものなのか。
問題の場所がどこにせよ、列車から劇場からレストランに至るまで、公共の場における行動の指針となるのは、「常識」「良識」だとよく言われる。
とはいえ、どういう行動が良いとされ、どういう行動が「あり得ない」と言われるのかは、人や場所によって様々だ。
たとえば、電車の中で化粧をしても良いのか。交通機関の車内に響く音量で音楽を聴いてもいいのか。あるいは、レストランで携帯電話を使ってもいいのか。
他人の行動が適切かどうかを「単にマナーの問題でしょう」と切り捨てるのではなく、自分の理想に他人が従うよう求めるのが果たして適切なのかを、私たちは自問自答すべきなのだろうか。
好ましくない振る舞い
最も根本的な話をすると、マナーとは自己利益だけのために行動するのではなく、他人への思いやりを示せるようになるため、大勢が共有している決まりごとだ。
この定義はオランダの人文学者エラスムスにさかのぼることができる。1530年に書いた「子供の礼儀作法について」では、つばをはいたり食べ物に触れるなどの非衛生的な行動をやめるよう促している。

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つまり、人の振る舞いを取り締まろうとするのはある意味で、本当の意味で公共の場を清潔で安全で全員にとってより良い場所にするため、社会の規則を補強する作業なのだ。
しかし、何が良いマナーかというのは多数決意見で決まることもある。他人に何かを無理強いする根拠として「マナー」が取りざたされることもある。
たとえば、公共の場で足の爪を切るのは明らかに好ましくない。しかし、公共の場で化粧をしてはならないという意見の根拠は、爪切りに比べるとそれほど合理的ではない。
むしろ、他人が公共の場をどう使うか、それを自分が仕切りたいという全般的な衝動の一部と見ることもできる。
観客を鍛える
マナーが特に注目されるのは、劇場だ。観客はお互いのごく近くに、しかも通常は静かに黙って座っているよう求められる。
歴史的には常にこうではなかった。19世紀になって、エリート層が好む観劇ルールの順守が観客全般に求めらるようになり、観客は再訓練されたのだ
それまでは、舞台上のだしものに観客は好きなように大きな声で反応し、出演者と自由にかけあっていたのだが、19世紀になるといきなり劇場側がプログラムやポスターや、時には舞台の出演者が、観客に正しい振る舞い方を指導するようになった。
最近になってまたしても、同じような現象が起きている。客席に食べ物を持ち込んだり、芝居の進行中にしゃべったり、iPadやスマートフォンなどを使っている観客が、次々と非難され、辱められている。
しかし、観劇マナーの指針をネット上でいくつか調べたところ、人の受け止め方はかなりまちまちなことが分かった。
たとえば、携帯電話は電源から切るべきという人が多いが、消音モードで十分だという人もいる。
劇場内の「悪い」振る舞いは、自己中心的で他人への思いやりを欠いていると批判されることが多い。

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しかし、人によって期待値が違うのも明らかだった。「まじめ」な観劇体験を好む人もいれば、「和気あいあい」とした経験を求める人もいる。
特に意見が割れる話題のひとつが、観客としてふさわしい熱意の表し方だ。
ミュージカルを観ながら一緒に歌ったり、妙なタイミングで声援を送ったり、大笑いしたり、あるいはスタンディング・オベーションをやりすぎたりと、熱心な観客の行動は色々批判されがちだ。
ロンドンで昨年上演された「モータウン・ザ・ミュージカル」では、キャストの指示がない限り、観客は歌わないよう劇場側が指導していた。また、場内にいる間は「熱意を控えめ」にするよう観客に求めていた。
加えて、自分とそっくり同じように行動しない他人を即座に否定する人も、演劇ファンの中には時折いる。
米劇作家ドミニク・モリソーさんは、ニューヨークのオフ・ブロードウェイ公演を見に行ったとき、白人観客から黒人女性として差別的扱いを受けたほか、拍手や笑い声がうるさすぎると「お静かに」と言われた経験についてエッセーを書いている。
なじめない

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どういう振る舞いなら問題ないのか、人によって意見は様々だが、人は往々にして自分の価値観こそ「常識」だと思い込みがちだ。
何が良くて何が悪いか、人はどうやって判断するのか私が調べていたとき、「もちろん」という言葉を何度も耳にした。
たとえば劇場内での飲食について、食べ物も飲み物も一切持ち込み禁止が当然で、持ち込むなど「まったくあり得ない」と言う人がいるかと思えば、持ち込み禁止などもちろん「ばかげている」という人もいる。
加えて、他人への思いやりを目的としていたはずの決まりごとが、結局は思いやりに欠けた結果につながってしまうこともある。
たとえば、トイレは上演開始前に済ませておくべきで、上演に席を立って行くべきではないという決まりごとは、頻繁にトイレに行く必要があるかもしれないクローン病患者を無視していることになる。
舞台作家でコメディアンのジェス・トムさんは、自分の意志とは無関係に言葉を発したり動いたりしてしまうトゥレット症候群を患う人間が、完全に静かにしているのは不可能だと説明する。
こうした人たちにも観劇の機会を提供するため、最近では「リラックス上演」の回を用意する劇場が英国では増えている。「リラックス上演」の日には、観客は話しても飲食しても、客席を動き回っても構わない。
しかし、その場で求められる規範に従うと、自分がそこから排除されてしまう場合でも、周りはその人が規範に従うことを求めても良いのだろうか。
これは劇場に限らず、社会全般に言えることだ。
たとえば米国では、伝統的には厳粛な場だとされる卒業式で、卒業生をあまりに家族が熱心に応援しすぎると批判されたりする。
そういう他人の行動を嘲笑したり非難したりすると、具体的な影響が出ることは多々ある。
たとえばスコットランドで母親になって間もない女性にアンケートをとったところ、公の場で母乳を子供に与えるのは難しいと答えた人が25%もいた。否定的な経験をしたのが理由だと言う。英国では、乳児に母乳を与える母親が比較的少ないが、こうした経験がその背景にあるのかもしれない。
一過性の問題
他人を思いやり、社会の規範に従う必要があるのはもちろんだ。特に、人の行動が他人に危害を与えかねない場合は。
しかし、どういう行動が「容認できる」か決めつけるとなると、他人との幸せな共存関係において何を優先させるべきか、その時点で取捨選択していることになる。
旅行にしろ食事にしろ、芸術鑑賞にしろ、周囲から邪魔されずに静かにじっくり楽しみたい人が、優先されるべきなのか。
それとも、にぎやかな子供を連れた人、障害のある人の権利が尊重されるべきなのか。あるいは、まったく別の価値観が先にくることもあるのか。
ほとんどの人にとって、行儀の悪い他人との接触は一過性の問題だ。
もしかすると、そんなに性急に他人を悪いと決め付けないことこそ、最も思いやりのある行動なのかもしれない。

この記事について
この分析記事は、BBCが社外専門家に委託したものです。
カースティー・セッジマン博士(@KirstySedgman )は、英ブリストル大学講師(演劇学)で、英国学士院研究フェロー。
観劇マナーについての著作「The Reasonable Audience: Theatre Etiquette, Behaviour Policing, and the Live Performance Experience」がある。










