【解説】 ウクライナは30年前に核兵器を放棄……なぜそうしたのかいま問う国民

かつて核兵器の格納庫だった博物館でキュレーターを務めている、元ミサイル技術者のオレクサンドル・スーシェンコ氏。迷彩服に身を包み、壁に描かれた地図の前で説明をしている
画像説明, 元ミサイル技術者のオレクサンドル・スーシェンコ氏は現在、かつて核兵器の格納庫だった博物館でキュレーターを務めている

ポール・アダムズ外交担当編集委員

重い灰色の空と薄く積もった雪の下、ウクライナに残る巨大な灰色と緑色の冷戦時代の遺物が、かつてのソヴィエト連邦時代を思い起こさせる。

ここにあるミサイルや発射装置、輸送機は、ウクライナがソ連の核兵器計画で重要な役割を果たしていた時代の記念碑だ。ウクライナは当時、ソ連防衛にとって究極の防衛線だった。

部分的に開いたコンクリートと鋼鉄の蓋(ふた)の下からは、巨大な大陸間弾道ミサイル(ICBM)が顔をのぞかせている。

しかしこのミサイルはレプリカだ。ひび割れ、かびが生えている。この約30年間、ミサイル格納庫はがれきでいっぱいだった。

ウクライナ中部ペルウォマイスク近郊にあるこの広大な基地は長年、博物館となっている。

1990年代初頭、ロシアの影から抜け出し、新たに独立したウクライナが誕生すると、その政府は核兵器に背を向けた。

しかし、ロシアの全面侵攻開始からほぼ3年が経過した今、戦後の安全保障についても同盟国間でどう保証したらいいのか明確な合意がないなか、多くのウクライナ国民が核兵器を手放したかつての決定を誤りだったと感じている。

30年前の1994年12月5日、ハンガリーの首都ブダペストで行われた式典でウクライナは、ベラルーシやカザフスタンと共に、アメリカ、イギリス、フランス、中国、そしてロシアからの安全保障の保証と引き換えに核兵器を放棄した。

厳密に言えば、これらのミサイルはソ連のもので、新たに独立したウクライナのものではなかった。

しかし、ソ連の核兵器の3割がウクライナ国内にあった。その引き渡しは国際社会が注目すべき、重要な瞬間と見なされていた。

ビル・クリントン米大統領(当時)はブダペストで、「(ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの)3カ国に対して安全保障を保証すると約束した。この3カ国の独立、主権、領土の一体性を、我々がいかに重視していくか強調するものだ」と述べた。

当時、ウクライナ北部ハルキウの軍事アカデミーを卒業して間もなかったオレクサンドル・スーシェンコ氏はその2年後、非武装化プロセスが始まったばかりのペルウォマイスクに着任した。

スーシェンコ氏はミサイルが撤去され、ミサイル格納庫が爆破されるのを見守った。

現在のスーシェンコ氏は、博物館のキュレーターとして基地に戻っている。

大陸間弾道ミサイルの説明パネルの前に立つスーシェンコ氏
画像説明, スーシェンコ氏は、ウクライナは核兵器を手放すべきではなかったと考えている

これまで約10年間にわたりロシアから受けた苦難を振り返り、国際社会がそれを防ぐことができなかった、あるいは防ぐ意思がなかったように見えるなかで、スーシェンコ氏は避けがたい結論に達している。

「今のウクライナで起きていることを見て、個人的な見解としては、すべての核兵器を完全に破壊したのは誤りだったと思う」。スーシェンコ氏はこう言う。

「しかし、それは政治的な問題だった。最高指導部が決定を下し、我々はただ命令を実行しただけだ」

30年前の当時、それは完全に理にかなった決定に思えた。ロシアが20年以内にウクライナを攻撃するなど、当時は誰も思ってもみなかったのだ。

「自分たちはおめでたかった。けれども同時に、信用していたのだ」。1994年にウクライナの駐英大使だったセルヒイ・コミサレンコ氏はこう言う。

「イギリスとアメリカ、そしてフランスが合意に加わったとき、我々はそれで十分だと思っていた。ロシアも同様だった」

ウクライナのような貧しい国にとっては、数十年にわたるソ連の支配から抜け出したばかりの状況で、維持に莫大な費用がかかる核兵器を持ち続けるなど、ほとんど意味をなさない発想だった。

「産業や繁栄のために使えるお金を、核兵器の製造や維持に使う必要がどこにある」という発想だったのだと、コミサレンコ氏は話す。

しかし、1994年に結ばれた運命的な「ブダペスト覚書」の記念日は現在、ウクライナが特定の主張をするために使われている。

ブリュッセルで今週開かれた北大西洋条約機構(NATO)外相会議に出席したウクライナのアンドリー・シビハ外相は、「ブダペスト覚書」のコピーが入った緑色のフォルダを掲げた。

「この文書は、ウクライナと大西洋両岸の安全を確保できなかった」、「このような過ちを繰り返してはならない」と、シビハ外相は述べた。

核弾頭を搭載できるミサイルの格納庫
画像説明, 核弾頭を搭載できるミサイルの格納庫はすべて無効化されている

ウクライナ外務省は声明で、ブダペスト覚書を「戦略的安全保障における近視眼的な意思決定の記念碑」と呼んだ。

ウクライナと協力各国にとって現在の課題は、ウクライナの安全を確保する別の方法を見つけることだ。

ウォロディミル・ゼレンスキー大統領にとって、その答えは以前からずっと自明だった。

「我々にとって最良の安全保障はNATOだ」と、ゼレンスキー氏は今月1日にも繰り返した。

「我々にとって、NATOとEU(の加盟)は譲れない。これについて駆け引きの余地などない」

巨大で貪欲な隣国に対抗してウクライナの生き残りを確保するには、西側同盟に加わるしかないと、ゼレンスキー大統領は頻繁かつ熱心に力説し続けている。それでもNATO加盟国の間では相変わらず、これについて意見が割れている。

複数の加盟国がウクライナの加入に反対している状況で、NATOはこれまでのところ、ウクライナの最終的な加盟への道は「不可逆的」だと述べるにとどまり、具体的な時期や予定は設定していない。

その一方で、ウクライナに協力する各国では「力による平和」がしきりに話題となっている。ドナルド・トランプ次期米大統領が中心となって来年中にも和平交渉を進める可能性があり、その中でウクライナの立場をできるだけ強いものにしておこうという方向性だ。

NATOのマーク・ルッテ事務総長は3日、「現在のウクライナへの軍事支援が強力であればあるほど、交渉の場でのウクライナの立場も強くなる」と述べた。

トランプ次期大統領の対ウクライナ政策が不明な中、同氏の就任を前に、アメリカやドイツを含む主要な軍事支援国はウクライナに大量の新しい装備を送っている。

ニューヨークのトランプタワーで今年9月、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(左)と歩きながら会話するドナルド・トランプ次期米大統領

画像提供, Reuters

画像説明, ドナルド・トランプ次期米大統領の対ウクライナ政策はまだ不明だ

さらにその先の未来を見据えると、国の防衛に真剣な国が核兵器への回帰を排除するわけにはいかないという意見も、ウクライナの一部にある。特に、最も重要な同盟国のアメリカが近い将来、信頼できなくなるかもしれないだけに。

単純な核兵器なら数カ月で開発可能だという内容の文書がウクライナ国防省内で回覧されていたと、11月に報じられた。当局はこれを否定した。

ウクライナによる核開発は、今は議題に上っていない。それははっきりしている。しかし、アリーナ・フロロワ元国防次官によると、この情報流出は偶然ではなかったかもしれない。

「これは明らかに、ウクライナの専門家の間で議論されている選択肢の一つだ」と、フロロワ氏は言う。

「我々が支援を受けられず、この戦争に負けそうになり、国民を守る必要があるとなった場合には、これが選択肢になる可能性があると思う」

ペルウォマイスクの雪に覆われた荒野に核兵器が戻ってくるとは、すぐには考えにくい。

基地の深さ30メートルにある地下司令施設のうち、1979年に完成した当時の状態で保存されているのは1カ所だけだ。

核攻撃に耐えるよう設計された強固な構造物は、重い鋼鉄の扉と地下トンネルで基地の他の部分とつながっている。

さらに狭いエレベーターでたどりつく底部の小さく窮屈な制御室はかつて、もしICBMの発射が命令されたなら、それを受信し、解読し、実行するはずだった場所だ。

元ミサイル技術者のスーシェンコ氏は、かつてこの制御室でどういう作業が想定されていたかを説明した。2人のオペレーターがどうやって鍵を回し、赤ではなく灰色のボタンを押すはずだったかを実演してくれた。続けて再生してくれたハリウッド風の動画は、世界的規模の巨大な核攻撃の応酬をシミュレーションした内容だった。

かすかに滑稽でありつつ、同時にきわめて深刻なものだ。

最大級のICBMを廃棄することは当時、明らかに理にかなっていたとスーシェンコ氏は言う。1990年代半ば、アメリカはもはや敵ではなかったので。

しかしウクライナの核兵器庫には当時、射程距離100キロ~1000キロのさまざまな戦術兵器があった。

「結果的に、敵はもっと近くにいた」と、スーシェンコ氏は言った。

「戦術核弾頭を数十発、持ち続けることだってできた。そうしていれば、それがウクライナの安全を保証していたはずだ」