サッカーのベッケンバウアーさん死去、78歳 ドイツの伝説的選手

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最も偉大なサッカー選手の一人とされ、ドイツの伝説的存在となっているフランツ・ベッケンバウアーさんが死去した。78歳だった。
遺族はドイツのDPA通信に、「夫であり父であるフランツ・ベッケンバウアーが昨日の日曜日(7日)に、家族に囲まれて眠るように安らかに息を引き取ったことを、深い悲しみをもってお知らせする」との声明を寄せた。
ベッケンバウアーさんは、1974年に西ドイツ(当時)の主将としてワールドカップ(W杯)で優勝。1990年には監督として再びW杯のトロフィーを手にした。
主にディフェンダーとしてプレーし、所属したFCバイエルン・ミュンヘンでは582試合に出場。ドイツのトップリーグを選手と監督の両方で制した。
「カイザー(皇帝)」の愛称で親しまれた。1972年には欧州選手権を制覇。バロンドール(年間最優秀選手賞)も2度受賞した。
バイエルンは、「FCバイエルンの世界はもはや以前とは違う。突然これまでより暗く、静かで、乏しくなった」とする声明を出した。
また、ベッケンバウアーさんがいなければ、「バイエルンは今日のようなクラブにはならなかっただろう」と付け加えた。

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西ドイツ代表で103試合
ベッケンバウアーさんは1966年のW杯で、弱冠20歳にして4ゴールを決め、大会最優秀若手選手賞を受賞した。
以降、西ドイツ代表として103試合に出場した。
選手と監督の両方でW杯を制覇したのは、ベッケンバウアーさんを含め3人しかいない。他はブラジルのマリオ・ザガロさん、フランスのディディエ・デシャンさん。ザガロさんは先週、92歳で死去した。
ベッケンバウアーさんはバイエルンでの選手時代、4度のリーグ優勝を果たした。
バイエルン退団後は米ニューヨーク・コスモスでプレー。ブラジルの名選手ペレさんと共に、急成長していた北米サッカーリーグの広告塔となった。
ドイツに戻った1982年にはハンブルクでリーグ優勝を経験。
1983年に引退すると、1年もたたないうちに、監督経験がなかったにもかかわらず西ドイツ代表の監督に就任した。

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1990年に仏マルセイユの監督を短期間務めた後、バイエルンの監督を2度務め、1996年に退任。その後はサッカー運営の役職に就いた。
バイエルンの会長も務め、1998年にはドイツサッカー連盟(DFB)の副会長に就任。W杯誘致の委員会を率いて、2006年大会の開催権を獲得した。
その後、同大会に関連した汚職の疑いで、他の3人と共に捜査を受けた。裁判は2020年、判決を出さずに終わった。
サッカー界から悼む声
元イングランド代表ストライカーで、1986年と1990年のW杯に出場したギャリー・リネカーさんは、「フランツ・ベッケンバウアーが死去したと聞き、とても残念だ」とコメント。
「サッカーにおける絶対的な偉人の一人だった。カイザーは優雅さと魅力ですべてを勝ち取った、最も美しいサッカー選手だった」と追悼した。
バイエルンとドイツ代表のフォワードとして活躍したトーマス・ミュラーさんは、「(バイエルンの)クラブ史上、最も偉大なサッカー選手の一人が残念ながらこの世を去った。皇帝フランツよ、安らかに眠れ。あなたのドイツサッカー界への功績を私たちは決して忘れない」と述べた。
国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長は、ベッケンバウアーさんを「ドイツおよび世界のサッカー界の伝説」だったとした。
「カイザーは真に偉大な人物であり、サッカーの友人であり、王者であり、本当の伝説だった。親愛なるフランツ、私たちはあなたのことを決して忘れない」
欧州サッカー連盟(UEFA)のアレクサンデル・チェフェリン会長は、ベッケンバウアーさんが「サッカー史に残る偉大な選手の1人なのは議論の余地がない」とコメント。
「彼の比類なき万能性、ディフェンスとミッドフィールドの間での優雅な切り替わり、非の打ちどころのないボールコントロール、そして先見の明のあるスタイルは、彼の時代のサッカーの仕方を変えた」とした。





