パウエル米退役将軍、コロナのため死去 アフリカ系初の制服組トップと国務長官

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アフリカ系アメリカ人として初めて米政府の統合参謀本部議長と国務長官を歴任したコリン・パウエル退役将軍が18日、新型コロナウイルス感染症COVID-19の合併症のため亡くなった。84歳だった。家族が同日、フェイスブックで発表した。
「素晴らしい、愛情にあふれた夫と父親と祖父、そして偉大なアメリカ人を、私たちは失いました」と、家族は声明で述べ、「ウォルター・リード国立医療センターのスタッフが、細やかな手当てを尽くしてくれたことに感謝します」と書いた。
家族はさらに、パウエル氏が新型コロナウイルスワクチンの接種を終えていたと書いた。
米紙ニューヨーク・タイムズは長年の側近の話として、パウエル氏が多発性骨髄腫の治療を受けており、この治療によって免疫系が弱まっていた可能性があると伝えた。同紙は、多発性骨髄腫の患者には新型コロナウイルスのワクチンが効きにくいことがあるほか、免疫系が弱まっているとCOVID-19が重症化しやすいと書いている。
米紙ワシントン・ポストも同様に、多発性骨髄腫の治療を受けていたパウエル氏は、容体が急変するまで、新型コロナウイルスワクチンの追加接種を予定してたと伝えた。
パウエル氏を国務長官に選んだジョージ・W・ブッシュ元大統領は訃報を受けて、「家族を大切にする友人だった」としのび、「歴代大統領のお気に入りで、あまりに気に入られていたから、大統領自由勲章を受章している。2度も」とたたえた。
イラク戦争と自らの汚点
パウエル氏は穏健派の共和党員として、複数の共和党政権で仕えた。一方、民主党のバラク・オバマ氏を大統領候補として2度の大統領選で支持した。逆に、共和党からホワイトハウス入りしたドナルド・トランプ前大統領は2016年と2020年の2度とも支持せず、トランプ氏の支持者が今年1月6日に連邦議会議事堂を襲撃した際には、「もはや自分は共和党支持者を名乗れない」と発言した。
しかし、多くの人にとっては2003年に始まったイラク戦争に向けて、イラクに大量破壊兵器が存在するというブッシュ政権の主張を、政権の外交トップとして国連安全保障理事会で熱弁したその姿が、強い印象を残している。
最大の開戦理由だった大量破壊兵器は結局、イラクで見つからず、フセイン政権崩壊後には、穴だらけの情報をもとにした自分の安保理演説は、自らの経歴の「汚点」だと認めている。パウエル氏は2004年11月、ブッシュ政権の国務長官を辞任した。
翌年には安保理演説についてABCニュースに対して、「当時も今も、つらかった」と話した。
ブッシュ政権を退いた後は、グアンタナモ米軍基地での捕虜の扱いや、アフリカ系住民の被害が特に甚大だったハリケーン・カトリーナ対応など、ブッシュ政権の様々な政策を批判した。

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アフリカ系初の制服組トップ
1937年4月にジャマイカ移民の両親のもと、ニューヨーク市で生まれた。ニューヨーク市立大学シティカレッジに在学中、予備役将校訓練課程(ROTC)に参加し、1958年に陸軍に入隊した。
若い陸軍将校として南部ジョージア州の陸軍基地で訓練中は、家探しや外食など様々な場面で人種差別を受けたと、後に述懐している。
ドイツ勤務やヴェトナム戦争を経て、ジョージタウン大学でMBAを取得した後、ニクソン政権下で将来を嘱望されるホワイトハウス・フェローとなり行政管理予算局に勤務する。
韓国派遣を経て、国防総省の参謀将校となる。第101空挺師団を指揮した後、カーター政権とレーガン政権で軍事顧問として様々な役職を務めた。
1987年にはレーガン政権で国家安全保障問題担当の大統領補佐官となった。1989年発足のジョージ・H・W・ブッシュ政権ではアフリカ系として初めて、制服組トップの統合参謀本部議長になった。当時52歳のパウエル氏は、史上最年少の統合参謀本部議長でもあった。

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パウエル・ドクトリン
1990年の第1次湾岸戦争では、「パウエル・ドクトリン」と呼ばれた戦略が実行された。外交・政治・経済のあらゆる手段を尽くした後でなければ、アメリカは武力行使をしてはならないが、いざ武力行使を開始した後には、敵を速やかに屈服させアメリカの被害を最小限に抑えるため、必要とされる武力を最大限に駆使するという発想だった。これには、国民の支持がかなり必要だという確信があり、加えて、アメリカが二度とヴェトナム戦争のように長期化して成果のない戦争に巻き込まれてはならないという信念も、その発想の根底にあった。
短期間で収束した第1次湾岸戦争の「砂漠の嵐」作戦などの成功によって、パウエル将軍の名前は世界的に広く認知されるようになる。

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続くクリントン政権の初期も統合参謀本部議長として留任したものの、同性愛者の入隊やボスニア介入などをめぐりクリントン大統領と衝突。1993年に辞任し、軍を退役した。この後に出版した自伝はベストセラーになった。
退役後のパウエル氏に対して、大統領候補や副大統領候補としての呼び声は高く、長年にわたり出馬観測は続いたが、本人は固辞し続けた。
2000年にジョージ・W・ブッシュ政権が発足すると、ブッシュ氏は国際的な知名度も国民的人気も高いパウエル氏を、外交トップの国務長官に指名した。アフリカ系アメリカ人として、初めてのことだった。

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上述の通り、イラク戦争開戦をめぐる紛糾(ふんきゅう)の後、パウエル氏はブッシュ政権を離れ、二度と政権に戻ることはなかった。
公職を離れた後も、政界に影響力を持ち続け、共和党だけでなく民主党にも多くの協力者を得た。
明るく温厚な性格の持ち主で、国務省では丁寧な物腰と気楽な態度から、多くの職員の支持を得た。
対立よりも連携こそが好ましいという信念の持ち主で、ブッシュ政権のチェイニー副大統領やドナルド・ラムズフェルド国防長官が推し進めた一方的な介入主義に強く反発した。
「戦争とは政治の最終手段であるべきだ」と言ったことがある。「いざ戦争をするときは、国民が理解して支持する目的を持つべきだ」と。












