キッシンジャー元米国務長官が死去、100歳 米外交に大きな影響

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冷戦期のアメリカで国務長官として外交政策を担ったヘンリー・キッシンジャー氏が29日、死去した。100歳だった。
キッシンジャー氏が設立した政治コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」が発表した。米コネチカット州の自宅で亡くなったという。死因は公表されていない。
1970年代半ばに公職から退いたが、その後何十年にもわたって、さまざまな世代の指導者たちから意見を求められ続けた。
ジョージ・W・ブッシュ元大統領は、アメリカは「外交問題に関して最も信頼でき、特徴的な声のひとつを失った」と、追悼した。
リチャード・ニクソン大統領の娘のトリシャ・ニクソン・コックス氏とジュリー・ニクソン・アイゼンハワー氏は、キッシンジャー氏の人生は「とてもユニークで、徹底してアメリカ人だった」と述べた。
「ヘンリー・キッシンジャー氏は、平和の大義を推進した数々の功績により、長く記憶されるだろう。しかし私たちが決して忘れることができないのは、その人柄だ」
米外交政策に大きな影響
1923年にドイツで生まれたキッシンジャー氏は、家族と共にナチスから逃れ、1938年にアメリカにわたった。故郷バイエルンのなまりは生涯続いた。
1943年にアメリカの市民権を得て、米陸軍に入隊。対諜報部隊に3年間所属した。
その後入学した米ハーヴァード大学では、学士、修士、博士学位を取得。その後、同大学で国際関係を教えた。
1969年、当時のリチャード・ニクソン大統領はキッシンジャー氏を国家安全保障担当の大統領補佐官に任命。アメリカの外交政策に大きな影響力を持つようになった。1973年に国務長官も兼任した。
1977年までの8年間で、ヴェトナム戦争へのアメリカの関与を終わらせ、中国との国交を正常化し、1973年の第4次中東戦争ではエジプトとシリア、イスラエル間の敵対行為を停止させた。シャトル外交という考え方はこのときに生み出された。

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キッシンジャー氏は中国で不滅の人気を誇り、訃報はすぐにソーシャルメディアの「微博(ウェイボー)」でトレンド入りした。
中国中央電視台の英語放送「CGTN」は、キッシンジャー氏を「中国国民の古い友人」と呼び、死去を伝えた。
中国中央電視台の放送では、米中関係で重要な役割を果たした同氏を、「伝説の外交官」「生きた化石」と説明した。
一方でキッシンジャー氏は長年にわたり、人権よりもソ連との対立を優先させたり、チリのアウグスト・ピノチェト政権をはじめとする世界中の抑圧的な政権を支援したりしてきたとして、痛烈な批判にさらされた。
しかしキッシンジャー氏自身は、こうした批判を相手にしなかった。
100歳の誕生日直前の米CBSの取材では、「批判する人々の無知を反映している」と語っていた。
キッシンジャー氏は1973年、北ベトナムのレ・ドゥク・ト氏と共にノーベル平和賞を受賞した。レ・ドゥク・ト氏は賞を辞退している。
この授与は議論を呼び、ノーベル委員2人が辞任している。

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キッシンジャー氏は1977年に政府の職から退いたが、その後も公共問題に関するコメンテーターとして活躍し続けた。故ジョン・F・ケネディ氏から現職のジョー・バイデン氏までの12人の歴代大統領や議員らも、しばしば同氏に助言を求めた。
また、さまざまな企業の役員を務め、外交政策や安全保障のフォーラムにも顔を出した。著書は21作に上る。
キッシンジャー氏は今年5月に100歳を迎えたが、7月には中国の習近平国家主席と会うために北京を電撃訪問するなど、晩年になっても精力的な活動を続けた。同氏は、毛沢東氏から習近平氏までのすべての中国の指導者と直接やりとりした唯一のアメリカ人でもある。
この訪問はホワイトハウスを憤慨させ、国家安全保障会議(NSC)のジョン・カービー報道官は、「民間人が中国指導者に接触できるのに、アメリカ政府は接触できないのは残念だ」と遺憾の意を示した。
キッシンジャー氏は2022年7月、99歳の時の米ABCのインタビューで、自分のこれまでの決断で撤回したいものはあるかと質問され、「私はずっとこれらの問題について考えてきました。私の趣味であり、職業でもある」と述べ、こう続けた。
「そして、私が行った提言は、その時の私にできる最善のものだった」
キッシンジャー氏には、50年近く連れ添った妻のナンシー・マギネス氏がいる。前妻との間に2人の子供がおり、孫も5人いるという。






