絶え間ない砲撃で動けず……BBC取材陣、ウクライナ東部のロシア支配地域から報告
クエンティン・サマヴィル、BBC中東特派員、ウクライナ東部イジューム近く
セルヒィは狂ったように運転していた。戦争が始まる前、口数少ないこのウクライナ人は、弁護士だった。それが今は三菱自動車製のピックアップトラックのハンドルを握り、泥道を時速100キロで突き進んでいた(文中敬称略)。
私たち3人は後部座席にぎゅうぎゅうづめで、シートベルトは壊れていた。しかし、シートベルトを心配している余裕などほとんどなかった。私たちが目指す場所は、ロシア軍の砲撃を浴びていたので。
地面に刺さったままのロシア軍の砲弾を避けるため、トラックはぐいっと方向を変えた。「クラスター爆弾だ」とセルヒィは言った。まるで目印にも思えた。これ以上は先に行くなという警告の。
「どちらを先に見たい? 村? それとも僕たちのバンカー?」。緑色のトラックを停止させると、セルヒィが尋ねた。
「バンカー」。カメラマンのダレン・コンウェイと私は、同時に答えた。

画像提供, Darren Conway
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領のせいで、ウクライナの東部前線では誰もが地下に避難する羽目になり、おかげで昼間も夜のような暗がりで過ごすことになった。この村は、ロシア軍が集結するイジュームの端にある。集中砲火が終わりつつある中、私たちはシェルターのひんやりした暗がりへと下りていった。
ロシア軍はウクライナ全土を一気に制圧しようとしたが、失敗した。そして今では、ウクライナの国土を少しずつ奪おうと注力している。バンカーにいる大勢の男たちが、そうはさせまいとここにいる。イジュームはロシアに掌握された。ドンバスの玄関口と呼ばれている。5月9日の戦勝記念日にロシア政府はテレビの記念番組で、首都モスクワとイジュームの占領軍を生中継でつないだ。
バンカーの暗がりに、裸電球が明かりをもたらしていた。ここは、ウクライナ地域防衛部隊に参加した志願兵たちの新しい自宅なのだ。
過去の戦争の一場面と言われてもおかしくない光景だったが、テクノロジーの恩恵は受けていた。ロシア軍の位置を捉える強力な監視カメラのライブ映像が、ワイドスクリーンテレビに映し出されていた。「友人たちからの贈り物だ」と指揮官の1人が教えてくれた。西側政府から提供されたということらしい。
兵士たちはあちこちに座り、インスタグラムやフェイスブックをスクロールしたり、妻や恋人とメッセージのやり取りをしたりしていた。もし前線の兵士たちの意見が通るなら、イーロン・マスクはウクライナの英雄の地位を授けられるはずだ。彼が提供するスターリンク衛星ネットワークのおかげで、ウクライナ各地の戦場で兵士たちは無料でインターネットに接続できている。

画像提供, Darren Conway
やがてバンカーの外で再び砲撃が始まった。その大音響で天井のクモの巣が揺れるほどだ。「ロシアのたばこ休憩が終わったんだな」。陸軍仕様の簡易ベッドから起き上がりながら、別の兵士が言った。
私たちも外に出た。徒歩でパトロールにあたる隊員たちに、同行することになったので。最前線の拠点までの行程では、開かれた平地を歩くこともある。外に出ると、ハトの鳴き声がして、あとは静まり返っていた。しかしどこかで、自動ライフルの銃声が聞こえた。
「かたまるな」と指示され、破壊されつくした村の中を縦一列に並んで歩いた。もちろん、他人とくっつけばその方が標的にされやすいのだが、攻撃されている間は、どうしても誰かとくっつきたくなる。その衝動を抑えるのはかなり大変だ。

画像提供, Darren Conway
ロシア軍の砲撃が本格的に再開し始めた。頭上を通り過ぎて行った一発はそう遠くない場所に落ちた。ロシアの戦車が近くで活動していて、迫撃砲も飛び始めた。私たちを先導するウクライナの隊員たちは落ち着いて、民家の裏庭を通り、道路を避け、偵察ドローンを避けながら進んだ。
またしても砲弾が「ひゅーーーーっ」と音を立てながら私の頭上を通過し、300メートル先で爆発した。
「聞こえるなら、自分のところには来ないよ」と、同行しているユーリが言った。殺される時は、聞こえないやつに殺される。このブラックなジョークをこの戦争で聞くのは、これで3度目だ。
隊員たちは前進を続け、私たちは目標にたどりつく。聞いていたよりもずっと遠かった。中に入ると、数人の班が昼食をとっていた。爆発音がひっきりなしに続くのは、気にならない様子だった。
「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン(神よ女王を救いたまえ)」とユーリが口にした。イギリス提供の対戦車兵器を指差しながら。「ジョンソンさん、ありがとう。もっと必要です」とも、笑いながら続けた。しかし、この隊員たちに必要なのは装甲車だとその時、私は思った。しかし、前線で丸一日を過ごす間、装甲車は1台も目にしなかった。
集中砲火がやむまで、その場で待機することにした。そろそろロシアもたばこ休憩をとるころじゃないのか?
そして私たちは移動を再開した。行く先々に、できたばかりの新しい穴があき、火薬のにおいと煙があたりに立ち込めていた。地面には敵の弾がびっしり落ちていた。

サマヴィル記者のこれまでのウクライナ現地報告

私たちは牛舎や厩舎(きゅうしゃ)の横を通った。中では牛がこちらを警戒し、羊は緊張していた。
住民がこの村から逃げたとき、家畜を助ける余裕などなかったのだ。そして今では家畜だけがこの村で生きている……と思ったその時、ありえないことに、女性が1人、家の中から出てきた。緑色のアイメークと赤い髪の女性は、いったい何の騒ぎかと様子を見に来たのだ。
ナターシャはやがて泣き始めた。夫がこの村の墓地に埋められているから、自分はここを離れられないと言って。そんなことをすれば、夫を裏切ることになるからと。

画像提供, Darren Conway
砲撃はこれまでで一番激しくなり、パトロール隊は地面に伏せて動けなくなった。ナターシャでさえ、しゃがみこんだ。
「皆さん、ボルシチはどう?」と聞かれたが、私たちは代わりに彼女の庭にある地下貯蔵庫に避難することにした。そこではびん詰めの保存野菜が木の棚に並び、少しずつ傷み始めていた。
やがてついに、敵陣へ飛んでいく砲弾の音がし始めた。ウクライナ軍の砲撃がナターシャの家の上を通り越して、ロシア軍の標的に向かっていった。私たちはそれを機に、この場を離れることにした。しかし、ナターシャは同行を断った。まだ居間の壁に夫の写真が飾ってあるので、と。
防衛隊は、彼女を避難させるため、後でまた隊員を派遣することにした。

地下の指令室に戻ると、男たちが監視画面の周りに集まっていた。私たちのパトロール中、ロシアの歩兵20人が迫撃砲であの村を攻撃しようとしていたのだ。ウクライナ側の砲撃はロシア兵に当たらず、今日もまた、勝敗のつかない膠着(こうちゃく)状態がひたすら続いた。
それでも、防衛部隊の守備は突破されることなく、私たちの周りにいる男たちは今日もまた任務を果たした。ドンバスへの玄関口は、閉ざされたままだった。
ウクライナ西部で敗退したロシア軍は、その分だけ指令本部を置くイジュームに注力するようになった。さらには、ドネツクとルハンスクの分離を目指す勢力とウクライナ軍がもう長年戦い続けるドンバス南部にも、ロシアは注力している。しかし、軍勢をそこに集中してもなお、ロシアはなかなか前進できずにいる。
とはいえ、私たちの1日はまだ終わっていなかった。ロシア軍の砲撃は続いていたし、私たちは露出された道路を通って、射程圏から出なくてはならなかった。
セルヒィが緑色の軽トラで到着したとき、すでに日は暮れかかっていた。何か気分が良かったのか、それともまたしても前線ならではのユーモアのせいだったのか、彼は鼻歌で、イギリス国歌「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を歌っていた。
今日のこの取材に出発する前、同じ前線をすでに取材したアメリカ人のベテラン記者に会った。「行きに祈って、帰りにも祈ることになるよ」と彼女は言った。
私が頭の中で「主の祈り」を唱えていると、軽トラはスピードを上げて草原を横切り、そして道路に埋まった何か固いものに当たった。
ありがたいことに、土に埋まっていたロシアの砲弾は今回も爆発しなかった。その短い寿命の中で、2度も爆発しなかったのだ。












