メルケル独首相は欧州の「羅針盤」で「記念碑」 最後のEU理事会出席で相次ぐ称賛
ジェシカ・パーカー、BBCブリュッセル特派員

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私は先週、ドイツのアンゲラ・メルケル首相がブリュッセルのエグモント宮殿の階段を下りてくるのを待っていた。報道陣用の仕切りの中は、ぎゅうぎゅう詰めだった。
メルケル首相はすでにフィリップ国王との昼食会を終え、モーツァルトとベートーヴェンの楽曲が中心となったお別れコンサートへ向かうところだった。要するに、主催者側はメルケル氏を最大限に歓待していたのだ。
メディアの前に立つ準備をしながら、ベルギーのアレクサンダー・デクロー首相はメルケル氏に「あなたはいつも冷静でしたね」と話しかけていた。
温かな言葉を次々とあびながらも、確かにメルケル氏は落ち着いて、むしろポーカーフェイスを保っているように見えた。メルケル氏以外の人なら、これほどの歓待を受けて赤面したかもしれないし、あるいは見るからに喜んだかもしれない。
ドイツ首相としての16年間で、メルケル氏は欧州理事会の首脳会議に幾度となく参加した。計107回になるのではないかというのが、非公式に飛び交っている数字だ。
しかし、緊急首脳会議は何度もあったし、たまには「バーチャル」会議もあった。なので、実際の数はあいまいだが、かなりの数になるのは間違いない。
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そして22日、メルケル氏は自分にとって最後の首脳会議に参加した。またしても称賛の言葉が相次いだ。中には少し奇妙なものもあったが。
シャルル・ミシェル議長(EU大統領)はメルケル氏を「記念碑のような人」と述べ、同氏のいない首脳会議はエッフェル塔のないパリのようだと語った。
また、メルケル氏が常に「冷静で簡潔」だったことは、周囲を「魅了するとても強力な武器だった」ともたたえた。
「あなたは羅針盤です。この欧州のプロジェクトにとって、輝く光です」

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メルケル氏は独自のやり方で、欧州という取り組みが迷走しないよう、懸命に努力してきた。欧州という家族をひとつにまとめようと。
たとえば先に、ポーランドの最高裁がEU法の中心原則を否定する判断を示し、欧州議会で議論が紛糾した際も、メルケル氏は対決や法廷闘争ではなく、ポーランドとの対話を促していた。
この件に関してドイツは、事態を法廷に持ち込むことも、EU補助金の停止もできるが、究極的には政治的な問題だという立場だ。ならば解決策も政治的に実現すべきだという考えだ。
ポーランドではEU法をめぐる裁判を起こした「法と正義(PiS)」が与党で、次の総選挙は2023年まで待たなくてはならないのだし。
しかしEUには、メルケル氏特有の、じっと情勢を注視しながら機会をうかがうその忍耐力に、いら立ちを覚える人たちもいる。
メルケル流は必ずしも効かないという批判される、その典型例が、EUとポーランドと法の支配をめぐる対立だと言える。
ポーランドの件について、あまりに話題にしすぎだといら立つ外交官もいる。その人たちは、問題が前進しないどころか、後退さえしているという感触や懸念を抱いているのだ。
イギリスの元欧州議会議員で欧州連邦主義を掲げるアンドリュー・ダフ氏は、メルケル氏に対して「悲しい」気持ちを抱いていると話した。
「メルケル氏はEU改革よりも団結を優先させた。そして引退しようという今、彼女が残すEUはかつてないほど分裂しているし、加盟国の1つは船から落ちてしまった」
落水してしまった加盟国とはもちろん、EUを離脱したイギリスのことだ。メルケル氏はエグモント宮殿でブレグジット(イギリスのEU離脱)について、「非常に悲しい出来事だった」と語った。

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なので、ミシェル議長の言い方を借りるなら、メルケル氏とはEUにとってどういう記念碑だったのか。
アンゲラ・メルケル。どれほど困難な時期でも、EUの基盤を崩さないよう、道筋を示す光を照らし続けた、揺るぎない安定の人物だった――と、言えるのか。
あるいは、平和の維持に固執するあまり、問題に立ち向かわずに悪化させてしまった、慎重で、優柔不断とすらいえる欧州の諸問題の監督者だったのか。
政治の世界では、「もしも……たら……れば」といくら考えても答えは見つからないし、何がどうだったらどうなっていたかと比較することも難しい。「もしもの歴史」は空白だからだ。
しかし、メルケル氏の痕跡は、直近のヨーロッパ史の至るところに刻まれている。
12月に次の欧州理事会がブリュッセルで開かれる時には、メルケル後の欧州がどう変わっていくのか、分かり始めるころだろう。







