シェフのレシピが農家を救う 台風の被災地支援
小村トリコ、ライター

画像提供, Yuko Komura
なぎ倒されたリンゴの木々。壊れて山積みになった農機具。壁紙が剥がれ、室内まで泥だらけの家屋。昨年11月に訪れた台風被災地は、まもなく本格的に雪が降るという時期になっても、無数のリンゴが収穫されないままに、むなしく枝からぶら下がっていた。
長野県長野市は、日本有数のりんごの名産地として100年以上の歴史を持つ土地。ここでとれるリンゴは「信州りんご」と呼ばれ、たっぷり蜜の詰まった強い甘みが特徴だ。しかし昨年はその多くが食卓に上ることなく、水に流されてしまった。
アップルラインが倒れた

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2019年10月、台風19号(ハビギス)が日本を襲った。
「100年に一度」とも言われる猛烈な雨によって、日本各地で洪水や土砂崩れなどの大規模な水害が相次いだ。13都県で90人以上が死亡し、8000棟以上の住宅が全半壊したほか、農林水産省によると、27都府県で2万5649カ所で農地が損壊し、31都府県で2万2456ヘクタール分の農作物が被害に遭った。今年2月現在で、農林水産業の被害額は3422億円以上に上るという。
中でも長野市の長沼地区は、最も甚大な被害を受けた地域のひとつだ。市内を通る一級河川の千曲川(ちくまがわ)の堤防が決壊によって、周辺地域は一瞬にして濁流に飲み込まれた。そこには、リンゴの樹や農園が立ち並ぶ「アップルライン」と呼ばれるエリアがあった。
「リンゴ畑に土砂が流れ込み、たくさんのゴミが畑のあちこちに散らばっている。衝撃的な光景にショックを受けました」。ボランティアスタッフとして神戸から来た酒井樹里さんはこう言う。
11月中旬には、地元の農業組合やNPO団体などが中心となって「農業ボランティア」の活動が始まった。リンゴ畑の復旧のために、まずは漂着物を畑から回収して運び出し、果樹の周りにたまった土砂を、根を傷つけないように少しずつスコップなどで掘り出していく。およそ1カ月間で全国からのべ6500人以上ものボランティアが参加して人的支援を行った。

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生き残ったリンゴに希望を
「春までには木の消毒を終えないと、翌年のリンゴの収穫に影響が出てきます。とはいっても、消毒のための農業機械など、生産に必要な機材のほとんどが台風で使えなくなってしまいました」
そう話すのは、ながの農業共同組合(JAながの)の小林弘幸さん。小林さんによると、被災を理由に廃業を選択する農家も増えているという。特に多いのが、65歳以上の「高齢農業者」だ。
2015年の農林水産省の調査では、日本の農業就業人口は210万人で、そのうち65歳を超えるのは6割以上。高齢化による後継者不足で、事業の存続が難しい農家も多い。そこに追い討ちをかけるかのように今回の台風が訪れた。
「状況は絶望的に見えますが、決して希望がないわけではない」と、小林さんは語気を強める。
「生き残ったリンゴを売ればいいのです。泥水に浸かって廃棄処分になったリンゴは、実際には全体の一部に過ぎません。しかし、問題となるのは風評被害です。一般消費者が被災のニュースを見て『長野のリンゴはもうダメだ』などと思ってしまうと、無事だったリンゴも売れなくなる。復興には外部からの寄付や補助金だけでなく、農家が自分の力で再び立ち上がるための支えとなるものが必要です」

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テロを経験したシェフが呼びかけ
そんな折、SNSでひとつのムーブメントが起こった。ことの発端となったのは、南仏に住む日本人シェフ、神谷隆幸さんのツイートだ。
「被害に遭われた農園のりんごをまだ買えるならそこで買ってタルトタタン作ってくれたらちょっと嬉しいです。たくさん消費できるので」

神谷さんはツイッターでこう書いて、タルトタタンの写真をツイートした。タルトタタンとはフランス発祥の伝統菓子で、甘く炒めたリンゴを型に敷き詰め、上からパイ生地をかぶせて焼き、出来上がりの際にひっくり返したものだ。
神谷さんは南仏でフランス料理店「La Table de Kamiya」 を営むかたわら、妻でパティシエのクレールマリさんと共に、オンラインで料理と菓子教室を主宰している。神谷さんがTwitterで提案したアイデアは、クレールマリさんのタルトタタンのレシピを、被災地のリンゴを購入した人に向けて提供しようというものだ。
「台風のせいでリンゴ農家が大打撃を受けていると知りました。私たち料理人は、農家がいないと何もできない。フランスにいる自分に何ができるのかと考えました」と、神谷さんは振り返る。

画像提供, Takayuki Kamiya

これには大きな反響があった。神谷さんの最初のツイートから数日間で、200人近くから「リンゴを買った」という連絡が来たのだ。神谷さんはツイッターのダイレクトメールを通して、1人ひとりにタルトタタンのレシピと動画を送った。やりとりには毎日3時間以上を費やしたという。
ちょうど同じ頃、「食べチョク」など農家直送の作物をインターネット上で販売するウェブサイトが、被災地支援という形で被災地農家のリンゴを販売するプログラムを開始した。神谷さんがこの取り組みをツイッターで紹介したところ、あっという間に1000キロのリンゴが完売した。
「私自身、2016年にニースで起こったテロ事件を経験しています。あの事件の後、街を出歩く人はほとんどいなくなり、数カ月後には店を閉めることになった。怖い思いも、悔しい思いもたくさんしました。だから今、被災地の農家さんたちが苦しんでいる気持ちはよくわかります。絶対に負けてほしくない」と、神谷さんは言う。
日本各地で料理人が賛同
「リンゴだけでなく被害を受けた農家の農産物で他の料理人やパティシエの皆さまも『これ買ったらこれを使ったレシピ1個』とかやってくれたら面白い広がり方するのではないでしょうか」。最初のツイートの翌日には、神谷さんはこうもツイートした。
神谷さんのこの呼びかけを受けて、賛同した日本各地のシェフやパティシエたちが、「被災地の作物を使ったレシピ」をツイッター上で公開し始めた。梨やサツマイモ、カブ、ネギ、キャベツなど食材もさまざま。現在、100種類を超えるレシピが集まっている。

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やがて「#被災地農家応援レシピ」のハッシュタグが生まれ、レシピを元に料理を作った人たちが次々と投稿するようになる。そこには「被災地の応援ってこんな形でもできるのか」と驚きの声も。ムーブメントはどんどん広がっていった。
イタリアンレストラン「カステリーナ」グループ総料理長の関口幸秀(せきぐち ゆきひで)さんは、レシピを公開した料理人の1人だ。
関口さんが提供したレシピは、イタリアの保存食である「モスタルダ」。煮詰めたリンゴなどの果物にマスタードを加えてジャム状にしたもので、和食の薬味のような感覚でさまざまな料理と組み合わせることができる。甘い果物がスパイシーな調味料になるという意外性から、数多くの「作ってみた」報告がハッシュタグと共に投稿されている。

画像提供, Yuko Komura

このモスタルダのレシピは、関口さんが修業時代から10年以上にわたって試作と改良を繰り返して作り上げたもの。リンゴをカットする大きさや熱の入れ方など、細部に至るまで関口さんの味へのこだわりが反映されている。
レシピとは料理人にとって「財産」ともいえる存在だが、それを一般公開することに対して「迷いはなかった」と関口さんは話す。
「ぼくのレシピを見て、たくさんの人がモスタルダという料理を知り、おいしいと言ってもらえたら、料理人としてとてもうれしいです。また同時に、作ってくれた人にとっても、未知の料理に挑戦するのはきっと楽しいはず。関わった人たち全員に『これをしたら楽しい』という思いがあるからこそ、この活動が自然と広まっていったのだと思います」
さらには神谷さんの声かけで、シェフやパティシエなどの料理関係者を中心としたチーム「#CookForJapan」が結成された。有志のチームメンバーが協力し合い、今後も被災地支援にまつわるコンテンツを継続的に発信していく予定だという。
アップルラインを復興の象徴に

画像提供, Torachiyo Tokunaga

SNSを通して急速に広まった復興支援の輪。その中で被災地農家も自ら動きを進めている。
徳永虎千代さんは、長野市の「アップルライン」に位置するリンゴ農家「フルプロ農園」の4代目。今回の台風では、同園の9割のリンゴが廃棄処分になるという壊滅的な被害にあった。
「思わず、涙が出てしまった。リンゴ畑が丸ごと水没していたんです。台風に備えて収穫物を保管していた倉庫にも土砂が入り、大切に育ててきたリンゴの大半を失いました」

画像提供, Yuko Komura

被災現場を見て一時は絶望した徳永さんだが、すぐに次の行動を起こした。被害の様子を撮影してフェイスブックで発信したのだ。徳永さんの投稿に、たちまち100件以上の応援のコメントが付いた。続く投稿では、復旧に必要な物資や人員などを具体的に書き出し、支援を願い出た。
「毎日50名以上のボランティアの方々が、全壊した事務所の復旧などを手伝ってくれました。過去に震災にあった方も駆けつけてくださり、復興までの体験談を聞きました。自分たちもただ助けを待つだけでなく、前に進むための何かをやってみようと決意したんです」
台風19号からちょうど1カ月後の11月12日、徳永さんは「長野アップルライン復興プロジェクト」を立ち上げ、復興資金を集めるクラウドファンディングを行った。12月12日の募集終了までに、のべ1000人以上の支援者から1100万円を超える金額の支援金が集まり、大成功を収めた。

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クラウドファンディング支援者へのお礼品(リターン)には、次年度に収穫予定のリンゴの予約をはじめ、地元企業との連携によって開発されたリンゴを使った新商品や、被災で出荷できなくなったリンゴを再利用したフルーツカッティング教室の体験講座など、復興へのさまざまなアイデアが散りばめられている。
「#CookForJapan」のメンバーもこの活動に加わった。リターンとして提供された3日間限定のスペシャルディナーのチケットは、公開して数時間で売り切れた。2020年2月のそのイベントでは、神谷さんもニースから来日し、3日間にわたり長野市のレストランで腕を振るった。信州サーモンや信州プレミアムビーフなど、コースに使われた数々の長野産食材は、地元企業などが提供したものだった。

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徳永さんはウェイターとして店に立ち、クラウドファンディングの支援者たちをもてなした。もちろん、すべてがボランティアだ。
「アップルラインは『復興の象徴』です」と徳永さんは言う。「私たちが目指す復旧とは、ただ元の状態に戻すことではありません。この被災で世間から注目が集まったことを生かして、以前よりも活性化したリンゴ産地にしていかなければならない」。
台風を「災難」ではなく「チャンス」に変えたい。そう力強く話す徳永さんの目には、もはや絶望の色は見られない。
農家と自治体、そして有志の料理人たちが結託し、これまでにない動きが始まっている。衰退する日本の農家のイメージは、近い将来、一新されるに違いない。








