北斎の大浪、そそり立つ ロンドンの路地裏でも

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ロンドンの大英博物館でこのほど開催された日本の浮世絵師、葛飾北斎の作品展は、連日チケット完売の大にぎわいで、人気のほどをあらめて見せつけた。名作「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」(通称・大浪)は、世界で最も数多く複製されてきた絵画といわれる。そのうちの一つ、南ロンドンの建物に描かれた「大浪」の壁画は、隣で薬物調合中に爆発が起き、危うく消え去るところだった。アレックス・マーシャル記者によると、壁に描かれた「大浪」はほかにも世界中にたくさんある。
ドミニク・ソーズさんは1997年、人生の仕切り直しをしようと、自己啓発講座に参加した。すると中に、地域プロジェクトの指揮を執るという課題があった。「みんなはビルを懸垂下降して慈善団体への寄付金を集めたりしていたけど、私はちょっとそういうタイプではなくて」とソーズさんは言う。
美術の心得はなかったが、壁画を描いてみたいという思いはかねてから抱いていた。「両親と壁画の前を通るとそれを見上げては、こんなにかっこいいものはないと思ってました」。
ソーズさんの家にはちょうど絵が描ける大きさの壁があったので、これを課題に使おうと決めた。「そこまでは簡単だったが、何を描くか決めるのが大変だった」
友人とあれこれ案を話し合っていた、ある夜のこと。自然を題材にしようとは決めていた。人物の壁画は「どれも下手くそに見える」からだという。風に揺れる一本の木はどうだろう、と考えていたところへ、友人が「波はどうかな」とひと言。そこで二人とも同じことを思いついた。「日本のあれは?」。

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テムズ川の南にあるキャンバウェルのソーズさん宅に20年前から、裏の壁一面に北斎の「大浪」が描かれているのは、そういうわけだ。
本物の北斎の作品は、職人が何枚もの版木に彫った版画だ。何度でも同じ絵を刷ることができる。本物と同じようにこの壁画の中でも、砕ける波から何十もの波頭が指のように伸びている。本物では3隻の木船に乗った人々がずぶ濡れになっているが、壁画のほうは波が今にも下の路地に崩れ落ち、通り過ぎる人をずぶ濡れにしてしまいそうに見える。

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北斎作品で一番有名な「大浪」は、「富嶽三十六景」という連作の一枚だ。それを描き写した壁画は、ほかにも世界各地に驚くほどたくさんある。パリの地下墓地からクロアチアの学校の校庭、米首都ワシントン、イングランド西部の都市ブリストルの街角まで。ブリストルの壁画では、血のように真っ赤な波を宇宙人が望遠鏡で眺めている。

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自分の家に描いてみたい――。なぜ「大浪」はそれほど、人をひきつけるのか。
「大浪」の足取りをたどった「Hokusai's Great Wave: Biography of a Global Icon(北斎の大浪――世界的イメージの伝記)」の著者、クリスティン・グース氏によると、最初に人気を呼んだのは、日本に入り始めたばかりだった「紺青」の顔料を使ったのが理由の一つだという。版元の発案でこれを売りにしたようだ。オリジナルの版木から5000~8000枚が刷られ、北斎の存命中に日本国内で売られたという。これは「かなりのヒット」だったと、グース氏は指摘する。だが同氏いわく、「大浪」が世界に羽ばたいた理由はいくつもある。見る人次第であらゆる解釈ができるというのも、その一つだ。
「物事の動き、そして創造と破壊を描いている」とグース氏。「恐れを抱くこともあるし、決意の表現になったりもする」
さらにはユーモアの表現にもなり得る。
「ドミニクさんの壁画を初めて見た時、私は笑い出してしまいました。路地を通る人に波が、今にもざばんと襲いかかりそうだから」

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ソーズさんは壁画に着手する前、反対する人がいないか確認しようと近所の自動車整備工場を訪ねた。
工場主は「とても気の荒いギリシャ人」で、絶え間なくたばこを吸い、油だらけの帽子を脱いだことがなかったという。「一番恐れていたのは目ざわりだと言われたり、美術学校の課題かとあしらわれることでした」。
ところが壁画を描く予定だと話すと、工場主はひと言「どの絵だ」と尋ねてきた。ソーズさんが北斎の本を取り出そうと買い物袋に手を入れるや否や、本が半分も見えないうちに「ああ、北斎! 大浪か。その絵ならガラスで彫ったことがある」と乗り出してきた。
結果的にこの工場主はソーズさんよりはるかに美術の才能があった。壁画の描き方を手ほどきしてくれたばかりか、投影機まで貸してくれた。これを使えば、ガラスに彫られた図案を壁に映し出すことができる。
ソーズさんたちはある夜、「パブが閉まった後で大浪を壁に映した。黒いペンキを片手に、酔いにまかせて足場によじ登り、輪郭を描いた。それだけでも、すごいかっこよかった」という。

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それからの半月間は、地元の住民や通行人が仕上げを手伝った。
「母子連れが刷毛を手に取っては、隅をちょこっと塗ったりしていた」と、ソーズ氏は話す。ただし「自分の作品」というこだわりをいささか抑えきれず、人が塗った部分はいちいち手直ししていた。
壁画はたちまち、路地の雰囲気をがらりと変えた。
「この路地には薬を打ちに来た人や、盗んだばかりのバッグの中身をあさってる連中がうろついていた。空のバッグが実際に外に転がっていた。そんな場所にちょっとした美しいもの、人が見て笑顔になるようなものを作ると、まさに自分の力で地域社会を築くという講座の趣旨そのものでした」

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キャンバウェルの近所の荒っぽい様子は、この作品になかなか合っているようにも思えた。「大浪」に取り掛かったころの北斎は、わがままな孫息子が賭け事でつくった借金を背負わされて財産を失い、70歳にして極貧の淵に立っていたからだ。大英博物館の作品展では、紙くずの散乱した部屋でノミがわいた布団をかぶったまま下絵を描く北斎の姿も紹介された。
ところがその15年後、地元のならず者が爆発を起こし、キャンバウェルの壁画は危うく消滅しそうになった。2012年4月、スペイン南部セビリア出身のミゲル・カルモナ・グティエレスという42歳の男が、壁画の下にあった自室で覚せい剤を調合していて事故を起こしたのだ。大きな爆発音が響き、テロを疑った武装警察がすぐに駆け付けた。崩壊した建物から脱出した男は衣服に火がついていた。近所の住民が恋人の美容院から消火器を取ってきてそれを消した。消防車5台が3時間かけて、火はようやく収まった。
ソーズさんは当時、新聞社にこう話した。「友だちからの電話で初めて知った。おまえの所で爆発だと言われた」。

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壁画の3割が焼け焦げ、残りも煙でやられてしまった。だがそれから何週間もたたないうちに、人々が力を合わせて修復に乗り出した。同年の10月には、地域の団体とロンドン壁画保存協会が塗り直し作業のボランティアを募集。塗料メーカー大手のデュラックスからペンキの寄付まで取り付けた。
ソーズさんはフェイスブックで、塗り直しでは爆発を記憶にとどめるために「炎の要素」を取り入れようと提案した。

翌年2月に再登場した壁画には、噴火する富士山が描かれていた。これは火災の一件だけでなく、福島第一原子力発電所で起きた事故も表している。
この壁画はどうしてそこまで住民たちの心に響いたのだろう。答えは簡単、北斎の絵は時代を超越しているからだと、ソーズさんは言う。「モーツァルトの曲と同じ。純粋芸術でありながら、シンプルだから生き続ける。とてもシンプルでありながら大きな躍動感があり、力強さと優雅さを兼ね備えている」。
「たいしたことはないと思う人も多いかもしれない。グリーティングカードの絵じゃないかと。でも、みんなが自宅の壁に描きたがるのはただごとではない。自分の家にダ・ビンチのモナリザやムンクの叫びを描きたいとは思わないでしょう?」
「お母さんに連れられて通り過ぎる子どもがどきどきしながら見上げ、あんぐり口を開けている。その姿が、全てを物語っています」

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ワシントンの波の家

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1974年夏のある夜、ジョン・マコネルさんは米ワシントン・ジョージタウンにある学生仲間の部屋を訪れた。「すごくいいワイン」を飲みながら、建物の横の壁面が空いているのを何とかできないだろうかという話になった。マコネルさんが北斎を提案し、仲間たちもすぐに賛成した。
「壁画が完成しかけた頃、アジア美術の教授という人がその路地にブースを設けて、北斎やこの作品の構図テクニックについてたっぷり講義してくれた」
建物はそれ以来、地元で「波の家」と呼ばれ、結婚写真の撮影場所にもなっている。
最近になってマコネルさんのところに現在の家主からメールが届いた。壁にひびが入ってきたが、塗り直すにはどうしたら良いかという問い合わせだった。
「壁画は今ではすっかり公共の作品。多くの人々が気にかけていて、ほうっておけない気持ちになっているようだ」とマコネルさんは言う。









