「数独」の名付け親、鍛治真起さんが69歳で死去

画像提供, Reuters
数字パズル「数独」の名付け親として知られる鍜治真起さんが10日、亡くなった。69歳だった。
鍛治さんが設立した出版社ニコリが16日、同社サイトで死去を発表した。胆管がんのため東京都内の自宅で亡くなったという。
数独は9×9マスの正方形の中で、1から9までの数字を縦横の各列に埋めるパズル。
鍛治さんは1980年代、パズル雑誌ニコリを創刊し、この数字パズルを数独と名付けた。以来、数独は「Sudoku」として親しまれ、世界中に広まった。
世界各地で大会も開催されるようになった。毎日何百万もの人々が、数独やその一種に興じているとされる。
数字パズルとの出会い
鍛治さんは1951年に札幌市で生まれた。
慶応大学を中退し、1980年8月にニコリ創刊号を出した。
数独の起源は明らかではない。米紙ニューヨーク・タイムズによると、18世紀のスイスの数学者オイラーを考案者とする説がある一方、8~9世紀に中国からインドを経てアラブ圏に広がったとの説もある。
フランスでは19世紀後半、数独の初期バージョンのようなパズルが新聞に掲載されていた。例えば、ラフランセ紙は1895年7月、「le carré magique diabolique」(悪の魔方陣)として掲載した。
ただ、現代版のものは1970年代にアメリカの建築家ハワード・ガーンズさんが考案したとされる。当時は「ナンバー・プレイス」と呼ばれ、鍛治さんは1984年にこれに目を付けた。
鍛治さんは2008年のスピーチで、「とても面白いパズルで、解くのが楽しかった」、「ただ、ナンバー・プレイスという名前はしっくりこなかった。日本語の名前を作りたかった」という趣旨の話をしていた。
パズル名の由来は
鍛治さんは「数字は独身に限る」という名前を考え、略して「数独」とした。
この名前は、競馬に行こうとしていた時に、同僚からもっとアピール力のある名前を考案するよう言われ、「25秒ほどで」考え出したと、鍛治さんは話していた。
数独は日本で人気が高まった。だが世界的に広まったのは、2004年に英紙タイムズが掲載してからだった。
鍛治さんは、数独の名称を国外では商標登録しなかった。大きな成功を収めたが、金銭的な利益は得なかったという。数独の楽しさと、他の人々が数独を楽しむことの方が、経済的利益より大事だと話していた。
鍛治さんは2007年、BBCに次のように語っていた。「可能性がたくさんあるパズルについて、新たなアイデアに触れると、とても感動する」。
「本当に興奮する。宝物を見つけたみたいに」





