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ロシアの占領の実情を伝えたウクライナ人ジャーナリスト、27歳で獄死
サラ・レインズフォード東欧特派員(キーウ)
ウクライナ人ジャーナリストのウィクトリイア・ロシュチナさんは2023年8月、現在ロシアの占領下にあるウクライナのある地域で行方不明となった。
ロシア当局がロシュチナさんを拘束していると認めたのは9カ月たってからだった。当局は理由を明らかにしなかった。
そして先週、ロシュチナさんの父親はロシア国防省から、ロシュチナさんが亡くなったという書簡を受け取った。ロシュチナさんは27歳だった。
書簡によると、ロシュチナさんの遺体は、ロシアとウクライナが行っている戦没者の交換時に戻ってくるという。死亡日は9月19日だった。
ロシア当局はここでも、何の説明もしなかった。
ロシュチナさんの追悼
先週末、ロシュチナさんの友人たちはキーウの独立広場に集まり、ロシュチナさんを追悼した。
ロシュチナさんの写真を掲げた人々が、階段の所定の位置に並んだ。若いロシュチナさんのほほ笑む写真が、小さな群衆に向けられた。
「彼女は本当に勇気のある人だった」と、ある女性が追悼の言葉を述べた。
「彼女がいなくてとても寂しくなる」と、涙を目にためながら、別の女性が言った。
ロシュチナさんの記事は、ウクライナ人が他のどこからも知ることができなかった生活の断片を描いていた。
占領地域からの報道は極めて危険だったが、ロシュチナさんは一度、捕らえられ10日間拘束されたにもかかわらず、現地に行くことに必死だったと、同僚たちは振り返った。
ロシュチナさんの元上司の一人は、「彼女の両親は娘を(占領地へ)派遣しないよう、電話で私たちに伝えていた。でも、私たちが派遣したわけではなかった」と語った。
「編集者全員が彼女を止めようとした。でも不可能だった」
ロシュチナさんは最終的に、占領地に入るためにフリーランスとなった。彼女が戻ると、新聞各社がその現地報告を買うようになった。
最も印象的なのは、「占領下」の領土について率直に書き、ロシアと協力する人々を「裏切り者」と呼んでいたにもかかわらず、ロシュチナさんが偽名を使うことは一度もなかったことだ。
「彼女は、ロシア軍に占領された都市の生活を伝えようとしていた」と、ウクライナ・プラウダのセウヒリ・ムサイエワ編集長はBBCに語った。
「彼女は本当に素晴らしかった」
拘束
ロシュチナさんの父親は以前、ロシュチナさんが昨年7月にポーランドとロシアを経由して占領下のウクライナに向かった経緯を語っている。
ロシュチナさんが国境で数日間尋問されたと電話してきたのは、その1週間後のことだった。
それ以降のことで確実に分かっているのは、今年5月にロシュチナさんがロシア南部のタガンログにある「第2号収容所」に収容されていたことだけだ。この施設は、多くのウクライナ人が残虐な扱いを受けていることで知られ、一部では「ロシアのグアンタナモ刑務所」と呼ばれている。
ウクライナのNGO「人権のためのメディア・イニシアチブ(MIHR)」によると、9月にタガンログから釈放された別のウクライナ人が、ロシュチナさんの家族に、9月8日か9日にロシュチナさんを目撃したと語ったという。
それは希望の光だった。
ウクライナ・プラウダのムサイエワ編集長は、「私は彼女が今年9月13日に戻ってくるだろうと、100%確信していた。私の情報源は100%保証してくれた」と語った。
同編集長は、ウクライナとロシアが定期的に行っている捕虜交換に、ロシュチナさんも含まれると伝えられていた。その交換は9月中旬に予定されていたという。
「では、刑務所で彼女に何が起こったのか? なぜ彼女は帰ってこなかったのか?」
ロシュチナさんは、もう一人のウクライナ人女性と共に移送されたが、どちらも捕虜交換の対象には含まれていなかった。
「つまり、彼女は別の場所に連れて行かれたということだ」と、MIHRのディレクター、テティアナ・カトリチェンコ氏は言う。「レフォルトヴォに連れて行かれたと言われている。なぜそこなのか? それは分からない」。
だが、捕虜交換の前にそのようなことが行われるのは普通ではないと、カトリチェンコ氏は指摘する。
モスクワのレフォルトヴォ刑務所は、ロシア連邦保安庁(FSB)が運営する刑務所であり、国家に対する重大な犯罪やスパイ罪で起訴された人物が収容されている。
「おそらく、何らかの裁判手続きや捜査を開始するために連れて行かれたのだろう。ヘルソンやメリトポリから連れ去られた他の民間人にも同じことが起こった」と、カトリチェンコ氏は述べた。
BBCは取材で、ロシュチナさんの父親が8月30日に刑務所で娘と面会したことをつかんでいる。
ロシュチナさんはある時点からハンガーストライキを決行していたが、その日、父親が再び食事を始めるよう促し、ロシュチナさんはそれに同意した。
カトリチェンコ氏は、「これは調査が必要だ。ただこれは、本来責められるべきロシア連邦ではなく、部分的ながら彼女を責めることにもなりうる」と警告した。
ウクライナの情報機関は、ロシュチナさんの死亡を確認しており、検察庁はこの件に関する容疑を不法監禁から殺人に変更した。
ロシアでは、ロシュチナさんは犯罪で起訴されることはなく、拘束時の状況は不明だ。
ウクライナのヤロスラフ・ユルチシン議員はBBCの取材に対し、「民間人ジャーナリストが(中略)ロシアに捕まった。そしてロシアが、その人物が死んだという手紙を送ってきただと?」と語った。
「これは殺人だ。人質を殺しただけだ。他にどんな言葉があるというのか」
ロシアはこの件についてコメントを発表していない。
民間人の捕虜
ロシアによる全面侵攻開始以来、ウクライナでロシアが制圧した地域から非常に多くの民間人が連れ去られた。
ロシュチナさんの家族のように、連れ去られた人々の家族は絶望する。彼らの居場所や安否に関する情報をほとんど、あるいはまったく得ることができず、家に帰れるかどうかさえわからないのだ。
MIHRはこれまでに、1886人の名前をリストにまとめた。
「元兵士や警察官、市長のような地元の役人など、さまざまな人々が連れ去られている」とカトリチェンコ氏は言う。
「もちろん、私たちが知らない人々もたくさんいるだろう」
弁護士や赤十字も介入できず、また誰かの居場所が確認できたとしても、その人を帰国させることはほぼ不可能だ。民間人の交換はめったに行われないからだ。
ロシュチナさんの友人や同僚たちは、何が起こったのかを究明するまで、休むつもりはないと語る。
「彼女の人生は仕事そのものだった」と、オンラインテレビ「Hromadske」の元編集者、アンジェリナ・カリャキナ氏は言う。「あれほどまでに決意を固めている人は珍しい」。
「彼女を思い出す方法として彼女が私たちに望むのは、ここに立って泣くことではなく、彼女の威厳に思いをはせることだと、私は確信している」
「そして、私たちジャーナリストにとって重要なのは、彼女が取り組んでいたことを突き止めること、そして彼女の記事を完成させることだと思う」と、カリキャナ氏は語った。