ウクライナのロシア支配地域、住民はどのような日常を送っているのか

ポール・アダムス、BBCニュース

ウクライナでの戦争はさまざまに報じられているが、ロシア支配地域の人々の日常生活は、ほとんど伝わってこない。ロシアは9月30日、ウクライナの4州の併合を一方的に発表した。占領下の生活がどのようなものか探ろうと、BBCは住民数百万人の一部に話を聞いた。

※名前はすべて変更されています。

ヘルソン

ボリスさんは生まれてこの方、人生のほとんどをヘルソンで過ごしてきた。彼は身元を明らかにしないよう私たちに求めた。ロシア軍がこの街に踏みとどまろうとし、ウクライナ軍が徐々に迫り来る中で、市民は警戒心を極度に強めている。

私たちはメッセージサービスで連絡を取り合っている。

ロシア兵と警官がうようよしている都市で、彼は何カ月にもわたり、仕事と私生活を保とうとしている。

対照的なことだらけの生活だ。

ある日、ボリスさんは私との会話を中断し、携帯電話のコンテンツを消去してから、ロシアの検問所を通過した。

「削除したフォルダの中に、危ない写真がないことを確認しなくてはならない」と彼は言う。

これまで多くの人々の姿が見えなくなった。同市の新たな支配層が、ウクライナに忠実だと思われる人物を弾圧したためだ。

「失踪者、探しています」という貼り紙や投稿が、市内の壁やソーシャルメディアから減ったことからみて、逮捕者も徐々に減ったのだろうとボリスさんは考えている。

戦争前に28万人だった人口の半数は、政府の支配地域や国外の安全地帯に移動しようと同市を離れた。

残った人は最初、うまく適応したとボリスさんは言う。自分たちでルールを作り、できる限り当局の干渉を避けたからだ。

「4、5カ月は、一種の自由主義社会に住んでいるような感じだった」と彼は言う。「自立して、自律していた」。

しかし7月中旬になると、すべてが終わった。市内はロシアの諜報部員であふれ、住民投票までの数週間、その傾向は一段と強まった。

「1分間に20台近くの車がやってきた。中にはとても難しい顔をした人たちが乗っていた」とボリスさんは言う。

この記事のために私たちが取材した人は、ボリスさんをはじめ全員、ロシアによる占領と併合に反対している。とは言え、この地域に住む全員が、ボリスさんたちと同意見だと思わせるのは間違っている。それでも、以前の投票記録を含め、入手できるあらゆる証拠からは、2月以降ロシアに占領された地域に住む人たちの圧倒的多数が、自分をウクライナ人だと自認していることがうかがえる。

それでも占領当初、占領されているという状況は予想外の恩恵をもたらしたとボリスさんは言う。

「市内は本当に空っぽになって、みんな安全に自転車に乗れるようになった」とボリスさんは話す。

「まるで終末後の光景だ」

次に連絡を取った時には、広いドニエプル川の対岸にある、夏の別荘を訪れた様子について話した。そこからは、7月以降ウクライナが砲撃を繰り返しているアントノフスキー橋が見える。

「ワイン用のブドウを摘み、サウナに入った」と彼は言う。「この街の文化に深く根付いていることだ」。

ロシア占領下のヘルソンでは、自分にとって大事なものを保つには、常に臨機応変が求められる。

お金がそのいい例だ。

ロシアはルーブルの導入を推進しているが、今もウクライナ通貨フリヴニャが広く使われている。

しばらくの間は、Wi-Fi搭載の小型ワゴン車が登場した。利用客がウクライナの銀行口座にログインし、フリヴニャで預金を引き出せるようにした。その際、事業者側は3〜5%の手数料を取った。

だが、この小型ワゴン車はもう無用だとボリスさんは話す。手数料をほとんど、または全く取らない信用できるディーラーの名前を、友人たちが口コミで広めるからだ。

それでも、ロシアの通貨はじわじわと浸透している。一部の福祉手当はすでにルーブルで支払われており、商店はそれをを受け取らざるを得ない。営業している銀行はロシア系だけだ。

口座の開設にはロシアのパスポートが必要だ。国営企業の業務についても同じだ。

「このやり方で、町のウクライナ人のほとんどをロシア国籍に変えようとしている」とボリスさんは言う。

別の方法が、プロパガンダだ。

5月以降、街角には、ロシアが戻ってきた、もうどこにも行かないと宣言するポスターが貼られるようになった。

そうしたスローガンには、ロシアの18世紀の英雄たちの画像が添えられている。最後の女帝エカテリーナが1778年にヘルソンを要塞都市として築いた記憶を、呼び起こすのが狙いだ。

別のポスターには、「社会的安定と安全」と書かれたロシアのパスポートが描かれている。妊娠中の妻を抱きしめる幸せそうな夫の姿と一緒に、もっと子どもを作るよう国民に呼びかけるメッセージが記されたものもある。

ボリスさんがもっと悪質だと思ったのは、別のポスターだ。

「ある有名人について、ヘルソン出身で、人生をロシアに捧げてきたと紹介するものがある。その人のことをいくらか誇りに感じている人の気持ちを利用して、ロシアとの結びつきを作ろうとしているのだ」

ボリスさんによれば、ヘルソンの大多数を占める強固な親ウクライナ派市民にとって、このメッセージはほぼ効果がない。

だが、「開戦前に洗脳された人々にとっては、表に出るきっかけとなった」という。

ヘルソンでいわゆる「住民投票」が行われた時、数人の高齢女性が綿菓子と小さなロシア国旗を手に、満足げに投票所から出て行くのを、ボリスさんは見たという。

「たぶん実施者に励まされたんだろう」

ウクライナの新たなロシア占領地域では、文化、歴史、情報をめぐる戦いが全域で繰り広げられている。住民らは、前線の向こう側から届く携帯電話の電波を何とか受信しようとしたり、ロシアの教育システムを避けるために自分たちの子どもをウクライナのオンライン学校(新型コロナウイルスの有益な遺産の1つ)でこっそり学ばせたりしている。

「子どもたちは、ロシアのインターネットと西側のVPN(仮想プライベートネットワーク)を使って、ウクライナの学校でオンライン学習をしている」とボリスさんは言う。「なんとも皮肉な話だ」。

ウクライナとのつながりを何とか保とうとすることで、ボリスさんはこの半年以上、自らを保ってきた。そういう面もある。

「自分自身を奮い立たせるか、ぼろぼろになってしまうか、どちらかだ」

しかし、前々から予想されながら先送りされてきた住民投票は、彼の目的意識を打ち砕く恐れがある。

彼にメッセージを送り、投票について人々はどう感じているのか聞くと、「最悪だ」と返ってくる。

「パニック。希望喪失(中略)憂鬱(ゆううつ)。無関心」

「なぜZSU(ウクライナ軍)はこんなに時間がかかるのか」と、同軍のヘルソンへの進撃が遅いことを指して、彼は尋ねる。

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戦闘年齢の男性たちの間で今、恐れられているのは、徴兵がヘルソンにも拡大されることだ。ロシア、クリミア、ウクライナ東部ドンバス地方では、とっくに進行している。

今のところ、ロシアのパスポート取得者だけに入隊が呼びかけられているようだが、不安は募る。

ボリスさんは、逃げるか踏みとどまるか、葛藤していると話す。目が覚めたらヘルソンがウクライナ軍によって解放されていた――という日が、いつか訪れると願っている。

「安全を取るか、(市内に進軍する)ウクライナ兵に会うという特別な体験を取るか、悩ましい」

ボリスさんを支えているのが「解放」だとすれば、東へ418キロ離れたマリウポリでは、その可能性ははるかに低そうだ。

マリウポリ

「占領後、私の人生は崩壊した」。元教師のアレックスさんはそう言う。

世界の注目を集めた地獄のような包囲戦が3~5月に繰り広げられた後、逃げようとしない、あるいは逃げられなかった住民が、荒れ果てた土地で暮らすことになった。

「ロシア軍はアパートを1軒1軒回り、ウクライナに関連するものすべてを破壊した」と、アレックスさんは言う。彼とのやりとりも、安全なメッセージアプリで行っている。

「私の家では、ウクライナのシンボルや多くの本が燃やされた」

5月下旬に包囲が終わると、ロシア兵は徐々に撤退した。そして、この地域をドネツク人民共和国と呼ぶ親ロシア派の分離主義者が、マリウポリを統治するようになった。

「街は廃墟と化した」と、学生のダリナさんは言う。彼女は市内にとどまり続けたが、8月についに脱出した。

「誰もが食べるために売れる物は何でも売るという、大きな市場へと変わった」

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電気も水も不足していた。何千軒もの家が破壊された。死体が埋葬されず、がれきの中に横たわっていた。

ダリナさんによると、こうした状況でも道路はすぐに、ロシアによるマリウポリ解放を歓迎する横断幕であふれたという。

プロパガンダ、困窮、一部住民の親ロシア感情。それらが相まって効いていると、彼女は言う。

「多くの人が占領軍を支持し、多くの人が『ラシスト』(ロシア人の蔑称)のために働いている。飢え死にしないためには、お金が必要だからだ」

物理的にロシアに近く、ドンバス地方の南端に位置するマリウポリは、ロシアとの結びつきがヘルソンよりやや深かった。

ソーシャルメディアでは、青と黄色のウクライナ国旗を身にまとった、仮面を着けた人々の画像が出回るなど、抵抗の姿勢が垣間見える。

ウクライナの占領された地域では、ウクライナ語にはあるがロシア語にはない文字「Ï」が、あちこちの壁に描かれている。

しかし、マリウポリは戦争によって、物理的にも感情的にもずたずたになった。楽観論は見当たらない。

「希望はあまり残っていない」とアレックスさんは言う。「マリウポリは見捨てられたと(人々は)思っている。それでも希望は捨てていない」。

エネルホダル

マリウポリでは、戦争の音が弱まっている。一方でヘルソンでは、その音が近づいている。その中間に位置するエネルホダルでは、戦争の音が消え去ることはない。

ロシアは戦争の初期、エネルホダルと、市内にある広大な原子力発電所を占拠した。しかしここ数カ月は、ロシア軍とウクライナ軍がドニプロ川を挟み、銃撃戦を展開している。ウクライナは、ロシアが発電所を盾として使っていると非難している。

爆発の危険が常にあるため、エネルホダル市民は決まった動きを強いられている。

「昼のうちにすべてを終わらせようとする。友人に会い、親を訪ね、食料を買う」と、マクシムさん(38)は話す。

「夜になると、道には犬が走りまわっている」

食料は早くに店先から姿を消したが、今は以前ほど問題ではない。南部ではどこでも、だれもが口をそろえて同じことを言う。スーパーには高価で好ましくないロシアの生産品が並んでいて、露店市場には地元で生産された食品があふれていると。

農家は、ウクライナの8割の地域から切り離されたため、生産物を地元で売らざるを得ない。野菜は安いが、肉やチーズ、牛乳の値段は戦争前の倍になっている。

「お金は食べ物にしか使わなくなった」とマクシムさんは言う。

占領されて半年余りがたち、エネルホダルの住民は半分に減った。残っている人の多くは高齢者だ。

「出られる人はみんな出て行った。特に子連れのお母さんは」と、年金で生活するナタリアさんは言う。

彼女は、娘と孫娘に会えないのは悲しいが、2人がヨーロッパの安全な場所にいるのは喜ばしいことだと話す。

ガスはここ4カ月間使えず、停電も頻繁に起こる状況で、ナタリアさんの生活は常に大変だ。冬が近づいている今、日に日に状態は悪化している。

「私たちは7カ月間、孤立して、文明から切り離されている。携帯電話はほとんどつながらない。インターネットが使えるなんて、バカンス気分だ」

彼女はヘルソンのボリスさん同様、できる限りのことをしてニュースを追っている。

ウクライナの軍事アナリストたちの名前を次々と挙げ、その人たちの予測では解放はそう遠くないと言う。

彼女は時々、ドニプロ川のほとりを歩いては、対岸のウクライナ政府支配地域の携帯電話の電波を受信しようとする。

ここでもまた、いかにしがみつくかが大事なのだ。

メリトポリ

ウクライナ南部の、前線から遠く離れたロシア支配地域にあるメリトポリでは、30代の女性トマさんが、自分の日常で大事なことについて話してくれた。病人の世話だ。

「最初の数日間、私は探し回っていた。心臓病を患う母の薬を探していた」

春には何百人もが何時間にもわたって長蛇の列を作ったが、それはもうなくなった。しかし、トマさんによると、薬局は現在、当局が運営しているため、地元の住民に言わせると粗悪なロシア製品ばかりが置かれているという。

彼女の母親が必要とする薬5種類のうち、4種類は手に入らない。

それらの薬は、ウクライナ領のザポリッジャで友人や親類が買い、手渡しで運ぶしかない。それには、ウクライナとロシアの検問所を通る危険な旅が求められる。

仕事もなく、持ち物を物々交換せざるを得ないその日暮らしの状況で、ロシアでの生活の将来に関してプーチン大統領の意見を引用したポスターは、なおさら侮辱に思えるとトマさんは言う。

「まるで35年前に引き戻されたみたいだ」と彼女は話す。ウクライナがまだソビエト連邦の一部だった時代だ。

メリトポリの学校は悲惨な状況にあると、彼女は言う。

教員も管理職員も占領当局への協力を拒んでいる。そのため当局は、やる気のある人は誰でも採用せざるを得ない。どれほど不適格だろうと。

「学校の清掃担当が、友人の子どもの担任になった」と彼女は話す。

ロシアの印はいたるところに見られる。輸入された教科書、学校の中庭に翻る国旗、毎日の始業時に流れる国歌などだ。

子どもを学校に通わせたい親には、1人につき1万ルーブル(約2万4000円)が支給される。ただ、子どもの父親のパスポートと居住地の情報を提供した場合だけだ。

トマさんによると、教室にも抵抗のしるしはある。

「子どもたちはウクライナの文字でロシアの言葉を書き、バックパックに青と黄色のリボンをつけ、ロシア軍艦を罵倒するスローガンが入った靴下を履いている」。このスローガンは、開戦初日に黒海の小さな島を守ったウクライナ人たちの抵抗を指すものだという。

(追加取材:カラ・スウィフト)