モザンビークで「一世代に一度の」大洪水、木に登り避難する人も

アフリカ南東部モザンビークで、今月初めから続く大雨の影響で洪水が発生し、これまでに数万人が救助されている。一世代に一度の大洪水とされる。

ブラジルや南アフリカ、イギリスの救助隊が現地入りし、救命活動を支援している。

首都マプトから北約30キロのマラクエネ町近郊で暮らす自動車整備士のトマズ・アントニオ・ムラウ氏(24)は、「これほど大規模な災害を経験するのは、私は初めてだ。年配の人たちは、1990年代にも同じような災害があったと話している」と述べた。

ムラウ氏と家族が朝目覚めると、家が浸水していたという。インコマティ川が氾濫したためだった。

「数時間後に救助ボートが到着したので、私たちは迷わず乗り込んだ。マラクエネ町へ避難した」と、ムラウ氏は述べた。一家は着替えだけを持ち出し、ほかの所持品は残してきたという。

同町には学校や教会を転用した避難所が6カ所あり、そのうちの一つにムラウ氏と妻、子ども2人は身を寄せている。

グワザムティニ中等学校に避難している人の多くは、低地に家畜や水田を持つ農家だ。

「私たちは何もかも失った。家もテレビも、冷蔵庫、衣類、ウシやヤギ、ブタなどの家畜も。農地は水没してしまった。私は農家で、良質な米を作っていた」と、フランシスコ・フェルナンド・チヴィンドジ氏(67)はBBCに話した。

同氏の家があるホブジャナは、洪水被害を受けたインコマティ川の左岸と沿岸部の観光地マカネタの間に位置する地域の一つ。マラクエネ町は川の右岸にある。

「洪水は、私たちが予想もしない高さに達した。これまで生きてきて、これほどの洪水を経験したことはない」とチヴィンドジ氏は述べた。

「この高台にいられてありがたい。けれども、持ち物すべてを置いて来たので、とても心配だ」

チヴィンドジ氏は、自分や近隣住民を助けるために無償でボートを出した人たちに感謝しつつ、他の住民には自分で自分の身を守るよう促した。

「木の上や屋根にしがみついて、いまだに避難を拒んでいる人たちがいるそうだ。救助者の言葉に耳を傾け、ここでの一時的な避難所に合流してほしい。物よりも命を大切にすべきだ」と、9人の子供を持つチヴィンドジ氏は語った。

24日にグワザムティニ中等学校を訪れたマラクエネのシャフィー・シダット町長も、同じ意見だった。

「救助すべき人々が今なおいるが、中には危険地域を離れることを拒む人々もいる。これが難しい。マラクエネ全体で、被災者は1万以上に上ると見込んでいる」

モザンビークの国立災害リスク管理低減研究所の暫定データによると、1月7日以降、特に南部と中部地域での洪水により、少なくとも64万2122人が影響を受け、12人の死亡が確認されている。

昨年10月に雨季が始まって以来、モザンビークでは合わせて125人が死亡している。

シダット氏は、インコマティ川の水源がある隣国南アフリカで激しい雨が続いているため、状況がさらに悪化する恐れがあると懸念を示した。

「インコマティ川にある、南アフリカのダムで放水がないかと心配している。私たちの町は、その下流の最後の地点だ」

「水がインド洋に流れ込む前に、低地にある『マチャンバス』(農地)や住宅、放牧地が冠水する」

一部の空撮映像では、見渡す限り水が広がっている様子が映っている。そして、数百世帯が孤立したままだ。

北部マプト州とガザ州の間の道路では、すべての車両が通行を禁止されている。

ホアン・マトロンベ運輸相はこれについて、主要道路、特に国内を縦断し、北部への唯一の連絡路でもあるN1高速道路が冠水しているためだと述べた。

この通行停止措置により、すでに基本的な食料品やココナッツ、燃料などが不足したり値上がりしたりしており、その影響はマプトから1500キロ以上離れた北西部のテテ市にまで及んでいるという。

マラクエネの避難所にいる人々にとっても、食料が課題になっている。

2歳と5歳の子を持つアニーニャ・ヴィセンテ・ミヴィンガ氏は、「まだ十分な食料がない」と述べた。

「初日の23日にはほとんど食べるものがなかった。ビスケット以外に何も食べずに子どもが眠るのを見るのはつらかった。今日になって状況は良くなった」

仕事の合間に農作業を行う警察官のミヴィンガ氏(32)は、ホビジャナの自宅が洪水に襲われた時、マラクエネの町で勤務中だった。

ミヴィンガ氏は、降り続く雨のため、子どもたちを高地に住む親族に預けていたが、その親族も増水の影響を受けた。

「子どもたちや他の家族が洪水に巻き込まれ、命の危険にさらされていると知って恐ろしかった。打ちのめされ、完全に動揺した」

「最終的に、親族は安全な場所に運ばれた。これほどの規模の洪水の被害を受けたのは生まれて初めてだった」

ミヴィンガ氏は、生徒たちはまもなく授業を再開する予定だったとした上で、当局は生徒たちのために恒久的な宿泊場所を確保してほしいと述べた。

今では数百人が教室に身を寄せ、伝統的な布を敷いて寝具代わりにしている。

「洪水が引けば、誰もが帰宅したいと思うはずだが、危険すぎる。もし当局が、安全な場所を別に提供してくれればいいのだが。私たちは農作業のためにのみ危険地域へ戻り、生活は安全な場所で行いたい」と、ミヴィンガ氏は話した。

サマリア・トヴェラ教育相はすでに、当初は来週の予定だった2026年の学年度開始について、内閣が日程変更を検討する可能性を示唆した。

「特に、現在最も被害が大きいマプト州とガザ州で、被災者が引き続き学校を宿泊施設として使用できるようにするためだ」と話した。

チヴィンドジ氏は、学校再開前に洪水が引くかどうか確信が持てないと話す。それでも、自宅に戻る決意を示している。

「私たちはゼロから生活を立て直す」

一方、勤務先の整備工場にたどり着けないムラウ氏は、同じ場所で再び生活を始めることの将来性と危険性について、確信を持てずにいる。

「たとえ水が引いたとしても、あそこに戻るかどうかは分からない」