南アのデクラーク元大統領、85歳で死去 アパルトヘイト時代最後の政権

南アフリカの元大統領で、同国最後の白人指導者となったFW・デクラーク氏が死去した。85歳だった。今年になって、がんと診断されていた。

1989年に合法的にアパルトヘイト(人種隔離)政策が続く中、大統領に就任した。その後、民主主義への移行において重要な役割を果たした。

収監されていた反アパルトヘイト指導者ネルソン・マンデラ氏(故人)の釈放を命令。マンデラ氏が同国初の黒人大統領となった歴史的選挙を実現させた。

アパルトヘイトを終わらせた功績が評価され、ノーベル平和賞をマンデラ氏と共同受賞した。だが、デクラーク氏の「遺産」は国内を二分させている。

「無条件に謝罪する」

死去を受け、FW・デクラーク財団は録画してあったビデオ「最後のメッセージ」を公表した。その中でデクラーク氏は、アパルトヘイトについて語っている。

「今日、最後のメッセージとして繰り返し言いたい。南アフリカで肌が黒い人たち、肌が茶色い人たち、インド人たちが受けた痛み、苦しみ、侮辱、損害に対して、無条件に謝罪する」

財団によると、デクラーク氏は胸膜が侵される中皮腫の闘病を経て、自宅で穏やかに息を引き取った。

南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領は、デクラーク氏の死去によって「国民の誰もが、この国の民主主義の誕生を振り返るべきだ」と述べた。

アパルトヘイト廃絶

デクラーク氏は法律家として10年以上働いた後、国民党の国会議員に当選した。国民党は1948年にアパルトヘイトを導入した政党だった。

いくつかの大臣職を歴任し、1989年2月に党首に。その年、大統領に就任した。

デクラーク氏はアパルトヘイトの意義を強く信じていた。だが大統領になると、南アフリカを人種差別的ではない国にすべきだと訴えた。

1990年の有名な議会演説では、マンデラ氏をシンボルに掲げるアフリカ民族会議(ANC)などの政党について、禁止を解くと宣言。さらに、27年間収監されていたマンデラ氏の釈放を命じた。

こうした行動が、アパルトヘイトを終わらせることにつながった。1994年に複数政党制のもとで選挙が実施され、マンデラ氏が大統領に就任すると、2人の副大統領のうちの1人となった。

1997年に政界を引退。「党と国のためにそれが最善だと信じている」と当時語った。

複雑な遺産

マンデラ氏はデクラーク氏と意見が激しく対立することもあったが、デクラーク氏のことを高潔な人物だと述べていた。

ネルソン・マンデラ財団は11日に声明を発表。デクラーク氏について、「南アフリカの歴史において永遠にネルソン・マンデラと結び付けられる」存在だとした。

「デクラークの残したものは大きい。しかし、それは複雑な遺産でもあり、南アフリカ国民は今この時、その中身を振り返るべきだ」

デクラーク政権時代に黒人や反アパルトヘイト活動家らに向けられた暴力について、デクラーク氏を非難する人は多い。

昨年出演した番組では、アパルトヘイトは人道に対する罪だと思うかと司会者に問われ、「完全には同意しない」と返答。アパルトヘイトの深刻さを軽んじたとして非難を浴びた。のちに、自分が「ごまかす」ような物言いをしたと認め、謝罪した。

人権問題に取り組む弁護士ハワード・ヴァーニー氏は11日、デクラーク氏について、「アパルトヘイトの弁解者」だと述べた。白人政権時代に殺害された人たちの正義のために活動しているフォート・カラタ財団は、デクラーク氏を「アパルトヘイトの犯罪者」だとした。

南アフリカの主要野党・民主同盟は、同国の民主化に対するデクラーク氏の貢献は、言い尽くせないほど大きいとした。

イギリスのボリス・ジョンソン首相はデクラーク氏について、「鉄のような勇気と現実主義をもって明らかに正しいことをした」人物として記憶されるだろうと話した。

BBCのアンドリュー・ハーディング・アフリカ特派員は、南アフリカではデクラーク氏を内戦の危機から救った傑出した政治家と評価する人がいると説明。一方で、マンデラ氏たちは、冷戦終結や国際社会による制裁の影響から、国内多数派の黒人との交渉をやむなく進めたに過ぎないと、デクラーク氏のことを政治的日和見主義者とみていたという。