タリバン、アフガニスタンでの「勝利」を宣言 ガニ大統領の出国後に首都掌握

アフガニスタンで進攻を続ける反政府組織タリバンが15日夜、アフガニスタンでの戦闘で「タリバンが勝利した」と宣言した。これに先立ち、アシュラフ・ガニ大統領は出国し、タリバンが首都カブールを掌握していた。ガニ政権は事実上崩壊した。

タリバンの広報官は「戦いは終わった」と、カタールの衛星テレビ局アルジャジーラに語った。

アルジャジーラは、大統領官邸内で銃を振りかざす戦闘員の映像を報じた。

アフガニスタンでは2001年の米同時多発攻撃の直後にアメリカ主導の有志連合が侵攻し、タリバンを政権から追放した。多くのアフガン人にとって、そのタリバンの支配が約20年ぶりに復活することを意味する、恐怖の日となった。

アメリカはドナルド・トランプ前政権が昨年2月の時点で、今年5月までに米軍を撤退させるとタリバンと合意していた。ジョー・バイデン大統領は今年4月、米同時多発攻撃から20年を迎える9月11日までにアフガニスタンの駐留米軍を完全撤退させると表明した。

大統領出国

アフガニスタン国家和解高等評議会のアブドラ・アブドラ議長は15日夜、ガニ大統領が出国したと確認した。フェイスブックに投稿した動画でアブドラ氏は、ガニ氏を「前大統領」と呼び、「国をこのような状態で置き去りにした」ガニ氏について「神が責任を問うし、国も審判を下す」と述べた。

ガニ大統領の所在は確認されていないが、アルジャジーラは側近の話として、隣国ウズベキスタンのタシケントへ飛行機で移動したと伝えた

ガニ大統領は国民に向けてフェイスブックを更新し、自分は首都での流血を避けるために出国するという難しい決断をしたのだと説明した。

「タリバンは剣と銃の裁きで勝利を収めた。彼らには我々同胞の名誉、繁栄、自尊心を守る責任がある」

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これに先立ちタリバンは15日午後、首都に武力で入るつもりはないとして、権力の平和的移譲へ向けた協議が続いていると述べていた。政府内相は、閣僚が「平和的権力移譲」を準備していると述べた。タリバン報道官はBBCに、「全てのアフガニスタン人が含まれるイスラム首長国のイスラム政府」は「国民と国に奉仕する」と言い、懸念されている女性の権利についても教育や就労の権利を認めると話した。

住民パニック

タリバンは15日夜、首都の入り口で待機させていた戦闘員に、市内に入るよう指示した。「略奪を防ぐため」だと、ザビフラ・ムジャヒド広報官は説明した。アフガニスタン治安部隊がすでに市内の持ち場や検問所を離れているため、タリバンが混乱と略奪を防ぐために市内に入るのだと説明した。

タリバン広報官は声明で、市民に戦闘員を恐れないよう呼びかけた。

一方、同市カラバグ地区で戦闘があり、複数が負傷したとの報告もある。

さらに米大使館によると、カブール空港で発砲の情報があった。大使館は、「治安状況は(中略)急速に変化している」として米市民に避難するよう警告した。

こうした状況で、15日には多くの市民がカブールから脱出しようとして、交通渋滞が発生した。カブールで取材するBBC記者によると、多くの店舗や市場は閉店し、一部の政府庁舎も閉じた。持ち場を離れる兵士や警官もいたという。

パキスタンは、国境沿いの地域をタリバンが制圧したため、越境地点のトルカム検問所を閉鎖したとされる。このため、アフガニスタンからの出国ルートはカブール国際空港発の空路のみになった。

空港への道路が渋滞する中、「鍵を車内に残して空港へ歩き始めた人もいる」と、住民の1人はロイター通信に話した。住民は空港へ向かい、車を乗り捨てて徒歩で国外へ脱出しようとした。

22歳の学生は5時間以上も歩き続けたと、BBCに語った。

「足が痛い。水ぶくれができて立っているのもつらい」

「いま僕は逃れているが、逃げ出す術がない自分の家族のことを考えている。未来のことなんて考えられない」

カブール中心部のATMでは終日、現金を引き出そうとする人々の行列ができていた。

アフガニスタンにおけるアメリカの外交トップ、ロス・ウィルソン代理大使は15日夜、大使館を離れてカブール国際空港に避難した。米当局者によると、大使館に掲げられていた星条旗も空港へ運ばれた。

米国務省は16日朝、米大使館職員が全員、カブール空港に避難したと明らかにした。

「平和的権力移譲」を

アフガニスタン政府のアブドル・サッタル・ミルザクワル内相代行は同日午後、地元トロ・テレビが放送した動画で、暫定政府への「平和的権力移譲」が行われると述べた。カブールが攻撃を受けることはないとも話した。

タリバンはさらに声明で、国民に国内にとどまるよう呼びかけ、「あらゆる経歴の人たちに、将来的なイスラム制度の中に自分がいる様子を思い浮かべてほしい。新しいイスラム制度では、責任ある政府が奉仕し、全員に受け入れられるようになる」と強調した。

カタールの首都ドーハでアフガニスタン政府とタリバンが続けていた和平交渉の場に、アフガニスタン各地の部族長たちが参加し、政権移譲の形を協議することになったという情報もある。

タリバン関係者は、アフガニスタン政府軍の兵士たちには、帰宅を認める方針だと話している。関係者はさらに、空港と病院は運営を続け、緊急援助物資の搬入を阻止することもないと話した。

外国人は、出国を希望する人には出国を認めるほか、滞在を希望する場合はタリバン当局に申告するように言われている。

タリバンはさらに、カブール北郊にあるバグラム空軍基地と刑務所を掌握したと発表した。バグラム空軍基地は2001年10月に始まったアフガニスタン空爆から今年7月2日まで、タリバンやアルカイダと戦う米軍など外国駐留部隊にとって最大の作戦拠点だった。

女性の権利は

カタールの首都ドーハでアフガニスタン政府と和平交渉を続けるタリバンのスハイル・シャヒーン広報官は同日、BBCニュースのキャスターとして生放送中のヤルダ・ハキーム記者に電話をかけ、アフガニスタンの人たちに「報復はしない」と話した。

「アフガニスタンの人たち、とりわけカブールの人たちには、あなたたちの財産や生命は安全だと、約束する。誰にも報復はしない」とシャヒーン氏は述べた。

「タリバン指導部は兵士に、カブールの入り口で待機し、市内に入らないよう指示した。私たちは平和的な権力移譲を待っている」とも、シャヒーン氏は話した。

タリバンの政府は「平和と寛容」の政府になると繰り返したシャヒーン氏は、タリバンのイスラム政府には、タリバンに所属しない人も含め、すべてのアフガニスタン人が参加できるとも述べた。「全てのアフガニスタン人が含まれる」「アフガニスタン・イスラム首長国のイスラム政府」は「国民と国に奉仕する」と強調した。

さらに、アフガニスタン内外で懸念されている女性の扱いについては、女子が教育を受ける権利や女性が家の外で働く権利を認め、女性は頭髪を隠すヘジャブを着ければ外出は認められると述べた。タリバンが制圧した地域ではすでに、戦闘員が女子の登校を禁止したという情報があると指摘されると、それは指導部の方針と異なり、タリバンの名誉を傷つけようとする風説だと述べた。

タリバンが掌握した地域ではすでに、女性が全身を覆うブルカの着用を強制されたり、男性の付き添いなしでの外出が禁止されたりしているという。また、タリバンが強制する行動規範に違反した人たちを殴ったりむちで打ったりしているという報告もある。

タリバンが制圧した地域では司令官が、戦闘員の妻にするため未婚の女性を手渡すよう住民に要求しているという話もある。

姉妹2人とパルワンからカブールへ逃れてきたムズダさん(35)は、タリバンに結婚を無理強いさせられるくらいなら、自殺すると話した。ムズダさんはAFP通信に「昼も夜もずっと泣いている」と話した。

アメリカの対応は

こうした中、欧米諸国はアフガニスタンに在留している外交スタッフや市民の出国を急いだ。

バイデン米大統領は、「アメリカや同盟諸国の人員が、秩序だって安全に出国できるよう、駐留中に我々を助けてくれたアフガニスタン人や、とりわけタリバンの脅威にさらされている人たちが、秩序だって安全に避難できるよう」、米兵約5000人を現地に派遣した。

イギリス市民の出国を支援するため、英兵約600人もカブールに派遣された。この英兵たちは、イギリス軍を支援し、タリバンから報復される危険のあるアフガニスタン人の移住も支援する。

他の欧米諸国も自国民を出国させている。大使館を閉鎖する国もある。

バイデン大統領は7月2日深夜に米軍の大半を撤退させたことについて、「よその国の内戦のただなかにアメリカが果てしなくい続ける」ことは正当化できないと述べていた。バイデン氏は7月8日、タリバンがアフガニスタン全土で勝利する可能性は「非常にあり得ない」とも発言していた。

アントニー・ブリンケン米国務長官は日本時間15日夜、米CNNに出演。「どうしてバイデン大統領はこの件についてこれほど間違ったのか」と質問するジェイク・タッパー司会者に対して、「まず文脈をはっきりさせよう。アメリカがアフガニスタンにいた一番の目的は、9/11に我々を攻撃した連中に対抗するためだった」として、オサマ・ビンラディン容疑者を裁き、テロ組織アルカイダの能力を後退させるという目的は果たしたと述べた。

「そもそもアフガニスタンへ行った理由については、我々は目的達成に成功した」とブリンケン氏は言い、「我々が部隊を(アフガニスタンに)残しておけば、現状がずっと維持できたはずだという考え方は、ひたすら間違っていると思う」と続けた。

ブリンケン長官は米ABCニュースに対しても、アフガニスタンでの任務は「成功」だったと強調し、ヴェトナム戦争でアメリカが支援した南ヴェトナム軍の敗北が決定的となった、1975年の「サイゴン陥落」と現状は異なるとの見解を示した。

「これはサイゴンじゃない」と、ブリンケン長官は述べた。

東部ジャララバードは無抵抗

カブール接近の前には、タリバンは14日から15日にかけて、北部バルフ州の州都マザーリシャリーフと東部の主要都市ジャララバードを制圧した。

東部ナンガルハル州の州都ジャララバードでは15日朝、タリバンが一発も発砲することなく、無抵抗の市内を席捲(せっけん)したとされる。

地元政府関係者はロイター通信に「ジャララバードでは何の衝突も起きていない。知事がタリバンに降伏したからだ。市民の命を守るのは、タリバンの入市を認めるしかなかった」と話した。

ジャーナリストのタリク・ガズニワル氏は、州知事がタリバンに行政権を移譲する様子だという写真をツイートした。

ジャララバードを押さえたことで、タリバンはアフガニスタンをパキスタンとつなぐ道路を確保したことになる。

北部マザーリシャリーフ制圧

ジャララバードに先立ち、14日には北部の要衝マザーリシャリーフがタリバンの支配下に入った。伝統的に反タリバン派だったマザーリシャリーフの陥落は、タリバンにとって大きな戦果となる。ほんの数日前には、ガニ大統領が政府軍の視察に訪れたばかりだった。現地の公務員によると、アフガニスタン第4の都市マザーリシャリーフは、ほとんど戦闘のないまま制圧された。

マザーリシャリーフのあるバルフ州のアバス・エブラヒムザダ議員はAP通信の取材に対し、政府軍がまず降伏し、それに親政府派の武装組織が続いたと語った。

マザーリシャリーフの住民はBBCに対して、市内に入るタリバンについて「一軒ずつ調べている。私たちは家にいて、残念ながら何もできない。とても怖い。子供たちはとても怖がっていて、妻は泣いている。明日どうすればいいんだ」と話した。

マザーリシャリーフはウズベキスタンとタジキスタン国境に位置する経済の中心地。タリバンが1990年代までこの地域を占領していた。

ウズベキ系軍閥のアブドル・ラシド・ドストゥム司令官とタジク系指導者アッタ・モハンマド・ヌール司令官は、マザーリシャリーフのあるバルフ州を脱出したとの情報もある。

ソーシャルメディアで共有された動画には、無人となったドストゥム氏の家にタリバン戦闘員が入っている様子が映っている。

ヌール氏は14日、フェイスブック投稿で、自分とドストゥム氏は「安全な場所」にいると書き、マザーリシャリーフでの敗退は政府軍のせいだと非難した。政府軍の兵士たちは自ら武器や装備をタリバンに手渡していたと、ヌール氏は書いた。

<解説>タリバンはずっと時機をうかがっていた――ポール・アダムスBBC外交担当編集委員

2001年10月にアメリカと有志連合がアフガニスタンに侵攻した時、自分たちがどういう場所を前にしているのか、本当はよく理解していなかった。

現地の部族の風習や力関係を理解しようと、各国は文化人類学者を遠方の前線基地へ派遣したりした。

将校たちは各地の地元長老たちと茶を飲みかわし、村の指導者たちと「ジルガ」(意思決定会合)を果てしなく開いた。

私はかつてジャララバード近郊の丘で、そういうジルガを傍聴したことがある。司会していた米軍将校は誠実で、思いやり深く、そして訳が分からず当惑していると私は当時思ったものだ。

欧米は、アフガニスタンに必要なだけ橋を造り、女子が学校に行けるようにして、ケシ畑を掘り返しさえすれば、そして何より、自分たちのイメージに沿った陸軍創設のため何十億ドルとつぎ込めば、アフガニスタンの人たちは完全に自分たちを支持するようになるし、新政府は自立できるようになるはずだと考えていた。

しかし、欧米の側の当惑は結局のところ、完全に消えることはなかった。そしてその間、タリバンはただ時機をうかがい、じっくり待っていた。私たちの関心が薄れてなくなるのを。

アフガニスタン情勢の変化:アメリカの作戦展開とタリバンの進攻

2001年10月: 9月11日の米同時多発攻撃を受け、ブッシュ米政権主導によるアフガニスタン空爆開始

2009年2月: アメリカはさらに兵士1万7000人の増派を決定。NATO加盟国もアフガニスタンへの増派などを約束

2009年12月: バラク・オバマ米大統領(当時)は、アフガニスタン駐留軍を3万人増員し、計10万人に拡大すると決定。一方で、2011年までに撤退を開始すると表明

2014年10月: アメリカとイギリスが、アフガニスタンでの戦闘作戦を終了

2015年3月: オバマ大統領が、駐留軍の撤退延期を発表。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領の要請を受けたもの

2015年10月: オバマ大統領が、2016年末までは兵士9800人をアフガニスタンに残すと述べた。これ以前は、1000人を残し全軍を撤退させると約束していた

2016年7月: オバマ大統領は「安全保障上の不安定な状態」を理由に、2017年には米兵8400人が駐留すると発表。NATOも駐留を継続することに合意したほか、2020年までアフガニスタン政府軍への資金援助を続けると強調した

2017年8月: ドナルド・トランプ大統領(当時)が、タリバンの勢力拡大を受けた増派表明

2019年9月: アメリカとタリバンの和平交渉が決裂

2020年2月: 数カ月におよぶ交渉の末、アメリカとタリバンがドーハで合意に至る。アメリカは駐留軍撤退を約束

2021年4月: ジョー・バイデン大統領、9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると表明

5月: 米軍とNATO各国軍の撤退開始

5月: タリバン、南部ヘルマンド州でアフガニスタン軍へ大攻勢開始

6月: タリバン、伝統的な地盤の南部ではなく、北部で攻撃開始

7月2日: カブール北郊にあるバグラム空軍基地から、米軍やNATO加盟各国軍の駐留部隊の撤収完了

7月21日: タリバンが半数の州を制圧と米軍幹部

8月6日: 南部ザランジの州都をタリバン制圧。タリバンが新たに州都を奪還するのは1年ぶり

8月13日: 第2の都市カンダハールを含め4州都がタリバン支配下に

8月14日: タリバン、北部の要衝マザーリシャリーフを制圧

8月15日: タリバン、東部の要衝ジャララバードを無抵抗で制圧。首都カブールに入る